妄想症

 妄想症は、根拠のない極端な疑い深さまたは不信を意味する精神医学領域の人々に使用されている言葉です。この言葉は日常会話の中で怒りを込めたときに間違って使用されることも多いようです。単に疑い深いだけでは妄想症とは言いません。その疑いが過去の経験や他の人が経験したことに基ずく予想であれば妄想症とは言わないのです。

 妄想症の程度は軽いことがよくあり、そのような人の社会生活は一見、全く普通に見えます。そして、その程度がひどくなってくると社会生活に破綻をきたします。多くの精神障害で妄想症の症状がみられるので、他の病気との鑑別が困難であることがよくあります。妄想症を示す病気として、妄想性人格障害、妄想性障害および妄想型分裂病があります。

  妄想性人格障害

 山本さんはコンピューターのプログラマーとして大きな会社に勤めていました。同僚のプログラマーが昇進したのに対して、山本さんは上司は自分を疎ましく思っており、自分の価値は絶対に認めてもらえないだろうと感じました。そして、同僚も自分のことを密かに見下げていると思うようになりました。同僚達は自分のことを、お茶の時間に噂していると邪推しました。あるグループが笑い声を立てると、彼は自分が笑われていると思ってしまいました。山本さんは自分が不当な扱いを受けたことをいつもクヨクヨ考えていたので、仕事がおろそかになり、上司から注意を受けました。そのことにより、山本さんはますます疑い深くなりました。そして、結局、彼は他の大会社に転職してしまいました。転職して新しい仕事が始まり、数週間が経ちました。今度は、オフィスの人々が自分を嫌っているように山本さんは感じ始めました。自分を仲間から排除しようとしているのではないか、自分を笑いものにして、自分のポジションをとろうとしているのではないかと思うようになりました。こんなことが重なり、山本さんはこの7年間に6回も転職しました。彼は、妄想性人格障害なのです。

 はっきりした原因なしにいつも疑いを持つ人がいます。そのために、その妄想的な考えのために社会生活や家庭生活が挫折してしまいます。このような人を妄想性人格障害といいます。そして次のような症状がみられます。

  疑い深さ

 明白な妄想症の徴候は疑い深いことです。妄想性人格障害の人は世間を敵に回して見ていますから、いつも警戒しています。自分の疑いを深めるような事実を少しでもつかんで、自分の予想を確信に近ずけ、自分の予想に反するような事実を無視したり、誤って解釈してしまいます。彼らは非常に用心深く、いつも何か不都合なことはないかと、様子を伺っています。たとえば、仕事を始めるとか、知らない人との新しい人間関係ができる場合、誰でも心配がなくなるまでは注意深くそして警戒的になるものです。妄想症の人はそのような心配をいつまでも捨て去ることができません。彼らは常に他人の悪だくみを恐れ、人を信頼することができません。人間関係や夫婦関係において、この疑い深さは病的で非現実的な嫉妬という形で現れます。

  敏感性

 妄想性人格障害の人は過度に警戒的ですから、ちょとした侮辱にも気づき、何も企てられていないのに反応します。その結果、彼らは常に防衛的・敵対的となります。自分に落ち度があっても、責任をとろうとせず、軽い助言さえも聞こうとしません。一方、他人に対してはたいへん批判的です。世間では、このような人間を針小棒大に言う人だといいます。

  冷淡無情

 妄想性人格障害の人は、論争好きで譲歩する事を好まず、他人との情動的な関係を嫌います。彼らは冷淡で、人と親しく交際しようとしません。彼らは自分の合理性と客観性にプライドを持っています。妄想性人格障害の傾向のある人生観を持った人が、専門医を受診することはほとんどありません。彼らは、本来、助けを求めることは嫌いなのです。多くの人は、一見、社会的には十分うまくやっています。道徳的で刑罰的な生活スタイルが承認される様な、または少なくとも多少はそのようなことに耐えることができるような居場所を社会の中に見いだしているのです。

  妄想性(偏執性)障害

 精神科医は上に述べた比較的程度の軽い妄想性人格障害とより重症の妄想性障害を区別しています。妄想性障害の特徴は非現実的ではない妄想が続き、そのほかには精神病症状がないことです。

 妄想と言うのは、現実には即しない間違った頑固な信念です。妄想とは、同じ社会に暮らす別の人には信じられることはなく、訂正されることが困難な信念です。妄想の内容は大きく5つに分けられますが、同じひとが2つ以上のテーマを持つこともあります。

  幸代さんは有能なオフイスレデイです。上司も同僚も彼女の有能さを認めています。しかし、幸代さんは終業後の時間を国や州の当局に手紙を書くことで費やしています。彼女は、神様が自分に乗り移り、自分には癌を治す力があると、信じています。彼女は自分の正しいことを世界中に知ってもらうために、大きな病院が患者のために自分の治癒力を使ってくれることを望んでいます。彼女は次々に手紙を書きましたが、返事がないか、あっても当たりさわりのないものばかりでした。そして、チャンスがあれば癌患者を救えるのに、誰も理解してくれないと感じていました。ある返事を受け取ったとき、彼女はその人は自分の知識と力を故意に無視しているのだと感じました。自分のすばらしい能力を永久に世間は認めてくれないのかと絶望することもありましたが、しかし、彼女はあきらめませんでした。彼女はいまだに手紙を送り続けています。幸代さんは妄想性障害にかかっているのです。彼女の妄想は誇大妄想です。

 妄想性障害で一番多い妄想は追跡妄想です。妄想性人格障害の人は同僚が言っていることを冗談ではないかと考える余裕をもっていますが、一方、妄想性障害の患者は自分は念が入った玄人級の陰謀の罠に陥っているといった疑いを持ってしまいます。すなわち、毒を飲まされるとか、薬殺されるとか、スパイされているとか、自分の名声を台無しにされるとか、また、殺されてしまうといった考えさえ持ちます。よくあるもう一つの妄想は嫉妬妄想です。洋服についたちょとしたシミとか、家に帰るのが少し遅れたとかいった事実を不倫と結び付けてしまいます。

 恋愛妄想は自分がロマンスの対象となり愛されていると信じ込むものです。その相手は地位が高く社会的にもよく知られた人となるのが一般的です。このような人は、数限りなく手紙を出したり、電話をしたり、時には訪問したり、また、人目を盗んで相手をつけまわしたりします。

 誇大妄想の人は、自分は特別な力が授けられていると感じます。そしてこの力を発揮するチャンスがあれば病気を治すことも、世界平和を達成することも、特別な離れ技を成就することができると信じています。

 心気妄想の人は、不治の病にかかっているとか、自分の体から不快な臭いを発しているとか、自分の体の中や表面を小さな虫がはいずりまわっているとか、自分の体は変な形をしていて見苦しいなどと信じきってしまいます。

 妄想性障害の人が他人に害を及ぼすかどうかということは、まだ大がかりには研究されていません。しかし、臨床的経験から言えることは、このような人々が殺人を犯すことは滅多にありません。妄想の患者は、よく腹を立てる人です。彼らはいつも何かにびくびくしています。稀ではありますが、妄想患者が暴力をふるう場合、その犠牲者は彼らの妄想の内容に故意ではなく一致してしまった人です。そのような危険性の最も強い人は、妄想患者の恋人や配偶者です。

  妄想型分裂病

 武史君は高校があまり好きではなかったので、卒業し就職することをたいへん喜んでいました。しかし、自分の目標を達成するためにはさらに教育を受ける必要性を感じ、近くの大学に入学しました。彼は数人の友人と家を借り、勉強を始めました。2年目になると、武史君は友人と食事をともにしなくなりました。外で買うものには毒は入っていないと思い、外食しかしなくなりました。キャンパスを歩くとき、彼は女子学生は避けました。それは、女子学生が彼にクモの巣の様な毒を吹きかけると考えたからです。同宿の学生が自分の部屋に毒ガスを仕掛けたと彼は感じました。そして、彼はついに学校をやめ、家に帰ってしまいました。家に帰ってからも、彼は両親が自分の部屋に入って汚さないように、常に鍵をかけ清潔にしていました。彼は自分の部屋に小さなホットプレートを持ち込み、自分で料理をしていました。母親が一緒に食事をとるように彼に進めると、自分に毒を飲ませるつもりだといって母を非難しました。ついに両親は彼を精神科医のところに連れていきました。そこで精神分裂病の妄想型と診断されました。服薬を始めるとともに精神科カウンセリングがなされ彼は完全に回復しました。そして理解のある雇用主の事務所で働くことができるようになりました。

 妄想とそれに左右された行動は分裂病、特に妄想型分裂病の徴候です。妄想型分裂病の患者は、特殊な内容の奇妙な現実離れした妄想や幻覚を常に持ちます。他人には聞こえない声をきき、そして、自分の考えが他人に支配されたり、大声で広められてしまうと信じます。職場でも家庭でもだらしがなくなり感情を表現することが少なくなります。

 一方、比較的病気が軽い妄想性障害の患者は、追跡妄想や嫉妬妄想は持ちますが、現実にはありえない奇妙な妄想や幻覚はありません。このような妄想性障害の患者は習慣的に仕事は続けることは出来ますし、感情の示し方や行動は自分の持っている妄想の内容に一致しています。妄想を除けば、考え方はしっかりして、話の筋が乱れることはありません。しかし、妄想型分裂病の患者は、辻褄の合わないことをいうことがあります。

  妄想症の原因

  素質の影響

 妄想症の発症に関する遺伝的な関わりについてはほとんど研究されていません。妄想を持つ患者の家族に、一般人口より多くの分裂病やうつ病が見つかっているということはありません。しかし、精神分裂病の妄想の症状については遺伝的関与がありそうです。2人とも分裂病を発症した双生児の研究では、一方が妄想を持つと他方も妄想を持ちます。また、妄想性障害の患者は一般の人口に比し分裂病の家族に多いことが、最近、わかりました。妄想性障害が、または妄想をもちやすい素質が遺伝するものかどうかはまだ明かではありません。

  生化学的研究

 精神病(現実認識ができない状態)が薬によって治療可能であることが発見されてから、その重度の精神病の原因は脳内の生化学的異常によるものではないかと考えられるようになりました。1つの神経細胞から他の神経細胞に情報を伝達する物質、すなわち、神経伝達物質が発見されてから、この種の研究はたいへん進みましたが、その一方、ますます複雑になってきました。今のところ明快な答はでていません。遺伝研究の結果と同じように、生化学的研究で妄想型分裂病を除く妄想症に特別な異常を見つけていません。今わかっていることは、妄想型分裂病は他の分裂病と比べて生化学的に別の異常があるということです。

 覚醒剤、コカイン、マリファナ、PCP, LSD などのサイケデリックな状態をひき起こす薬物は妄想症的な思考や行動を引き起こします。妄想型分裂病のような精神病はこれらの薬物によって悪化します。 このような薬物がどの様にして異常な精神状態を引き起こすか研究されています。このような研究によって妄想性障害の生化学的異常が徐々に理解されていくことでしょう。

  ストレス

 妄想症は日常生活において受ける強いストレスに対する反応であると考える学者もあります。この考えを支持する事実がいくつかあります。すなわち、妄想症は移民や戦争の捕虜となって激しいストレスを受けている人々に非常に多くみられます。初めての急激なストレスに会うと急性妄想症と呼ばれる状態にかかることがあります。短期間の内に妄想が発展し数カ月続きます。

 妄想の発症頻度は20世紀になって増加したとする研究もあります。ストレスと妄想との関係はもちろんその他の原因を排除するものではありません。遺伝的な欠陥、脳の異常、情報処理過程の異常といったものが妄想になる人の素質を形作っていると考えられます。ストレスは引き金に過ぎないという考え方です。

  妄想症の治療

 妄想症患者の不信感は治療の導入を難しくします。インタビューに際しても気を許して話すことはほとんどありません。治療者が患者の病歴を知るために重要な質問、すなわち、イエスやノウで答えられない自由形式な質問ーたとえば、職場での人間関係はいかがでしょう?ーといった質問に対してはとても防衛的になります。彼らは入院することも服薬することも嫌います。また、自制力を失ったり、現実または想像上の危険に近ずくことを恐れます。

  薬物療法

 適切な抗精神病薬で治療すると妄想患者の症状は軽減します。患者の日常生活機能は改善しますが、妄想はそのままのことが多いようです。薬物治療により症状は改善しますが、実際は効果のない偽薬でも同じ様な結果が得られたという研究報告もあります。このことにより、妄想は薬そのものの作用によるというよりも心理的な影響で消えたと考えることもできます。与薬されている患者は十分に観察される必要があります。極度の恐怖と被害妄想により、彼らはしばしば拒薬をします。たとえば薬を口の中にいれますが、頬ばんでいて誰もいなくなると吐き出してしまうといったことがよくなされます。

  精神療法

 個々の症例報告によれば、精神療法によって疑いや迷いを定期的に表明させることは妄想患者の社会的な機能を改善する、といわれています。妄想は持続していても、それにより物事に差し障りが生じることはなくなっていきます。芸術療法、家族療法、集団療法でも妄想はあまり消失することはありませんが、社会機能が改善されるといわれています。

  妄想患者の経過

 治療は困難ですが、妄想患者の社会機能は全く障害されることはありません。その妄想内容はびくともしなくても、種々な治療は皆社会機能を高めるのに効果があります。そのため、彼らは長期にわたって入院する必要はありません。妄想型分裂病の妄想に比べ妄想性障害の妄想は奇妙で現実離れしたものがありません。また、妄想性障害では人格の崩れが少なく、社会生活や家庭生活の破綻は少ないようです。進行性に病気が悪くなっていく分裂病とは違って、妄想性障害はある一定のレベルまで達すると、それ以上は悪くなりません。

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 この小冊子は米国、国立精神保健研究所、科学情報部員マーガレット ストロックによる改訂版です。旧版は、国立精神保健研究所員ダビッド ショアー医学博士、ダビッド ピッカー医学博士、ダリール キルヘ医学博士の協力でレイ ヘルバートにより作成されました。
米国国立精神保健研究所 アルコール・薬物乱用、精神障害部1987年印刷、1989年改訂

  翻訳

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣