ストレス講座 〜その24〜

ストレスとPTSD

早稲田大学人間科学部教授

野村 忍 

 10年前の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の後、PTSD(外傷後ストレス障害)という言葉がマスコミで大きく取り上げられてすっかり有名になりました。それ以来、何か大きな事件や出来事・災害がおこるたびにPTSDが注目を集めるようになりました。PTSDとは、何か脅威的なあるいは破局的な出来事を経験した後、長く続く心身の病的反応で、その出来事の再体験(そのことをありありと思い出すフラッシュバックや苦痛をともなう悪夢)が特徴的です。また、自分自身が直接経験しなくても、周りの人が被害を受けたり、凄惨な現場を目撃したことが原因となる場合もあります。通常はショックな出来事を体験しても時間の経過とともに心身の反応は落ち着き記憶は薄れて行きますが、あまりにもショックが大きすぎる時や個人のストレスに対する過敏性が強い時、小児のように自我が未発達な段階では、大きな精神的障害を残すことがあります。

 PTSDの症状は、

外傷的な出来事の再体験(フラッシュバックや苦痛を伴う悪夢)
類似した出来事に対する強い心理的苦痛と回避行動
持続的な覚醒亢進症状(睡眠障害、易刺激性、集中困難、過度の警戒心、過剰な驚愕反応など)

です。これらの症状が、心的外傷後、数週間〜数カ月の間に発症し、数カ月〜数年続くというものです。外傷的な出来事とは、生命の危険を感じるような強い恐怖を伴った出来事で、大きな自然災害(地震、洪水、火山の噴火など)、人工災害(原発事故、航空機事故、列車事故、大きな交通事故、火災など)、犯罪(殺人事件、人質、強姦、虐待など)があります。

 PTSDの症状は「異常な出来事に対する正常な反応」とも言えます。ただし、多くの人はショックな出来事を経験しても時間経過とともに心身の安定を取り戻して行きますが、大きな心身の障害を残す場合には治療が必要となります。治療法は、薬物療法と心理療法です。不安・過敏症状・睡眠障害には抗不安薬、抑うつ症状には抗うつ薬、最近では選択的セロトニン再取込み阻害薬(SSRI)が第一選択薬として用いられています。心理療法としては、支持的な心理療法(カウンセリング)が中心ですが、恐怖体験の言語化と不安反応のコントロールをめざした行動療法、外傷場面と直面しそれを克服するエクスポージャー法、また最近の新しい治療法としてEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)があります。これは、問題の記憶場面を思い浮かべながらリズミカルに目を動かすという方法で、外傷的記憶を処理するという効果があります。そして、PTSDの人は外傷的記憶を思い出したくないために、あまり口に出さず、ただ我慢しているために、周囲からなかなか理解を得られないことがありますので、ソーシャル・サポートの意義が重要です。

 大きな外傷的出来事に遭遇した人にはPTSDになる可能性がありますが、すべての人がPTSDになるわけではありません。外傷的出来事のショック度と個人のストレス耐性とのバランスで一部の人が発症すると考えられます。したがって、自我の脆弱な幼小児にはその危険性が大きいので、早期から心理的にサポートする体制を作ることが重要です。平和ぼけしたと言われる日本人ですが、いつ何時自然災害や大きな事件に巻き込まれないとも限りません。先の心配をしすぎて窮屈な日々を送る必要はありませんが、何が起こっても良いように日ごろからしっかり心の準備をして「備えあれば憂い無し」といきたいものですね。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.45 2006 SUMMER