不安があると、人はそれから回避しようとする場合と、それを克服しようとする場合があります。後者の場合、その力によって何かを創造する場合があります。今回から、この「ケセラセラ」にコラムを連載させて頂く事になりましたが、私はこの関心事「不安の力」によって生まれた創造について書いていきたいと思います。精神療法というものも、そのような自己の強い不安の分析、自己治療の過程から生まれてくる場合がよくあります。フロイトの精神分析や、森田正馬による森田療法もそのような過程から生まれてきた治療法です。フロイトも森田も元々パニック障害があった人です。当時は薬も治療法も何も無かった時代です。パニック障害という概念も無かった時代です。自ら切り開いて行くしかない時代でした。
フロイトの記載した不安神経症の症状は、正に現代のパニック障害と相通じていないでしょうか。フロイトは「心の問題」がまだ混沌としていた19世紀末に、これだけ明確に不安の疾患概念を取り出してきたわけです。この概念、臨床像は100年以上経った科学万能時代の現代においてもその本質は変わり無く継承されてきていることは、驚嘆すべき分析力と思います。フロイトにはこれ以外にもたくさんの発見、業績があります。これらの多くは、「不安の力」に因ってもたらされたものです。不安は人間にとって、否定的なものだけではありません。「不安」はその人を前に動かす「力」にもなります。今後このコラムでは、そのような事例を順次取り上げて「不安の力」、不安の意義といったことを考えていきたいと思います。 ケ セラ セラ<こころの季刊誌> |