不安・うつの力(][) ― 東大教授 姜尚中氏の場合 ― 医療法人 和楽会 横浜クリニック院長 山田 和夫
今年上半期に最も売れた新書は姜尚中著「悩む力」(集英社新書、2008年5月発行)で、間もなくミリオンセラーになろうとしています。このような本が売れるという事は、現代社会において「悩んでいる人」がいかに多くいるかという事も示しています。「悩む」事はマイナス思考ですが、それが「力」というプラス思考になると言われると、手にとって読んでみたいという気持ちになります。これは正に「不安・うつの力」でもあります。これが売れている社会的背景でもあるのでしょう。 姜氏は、現在59歳で東京大学教授(大学院情報学環・学際情報学府教授)で最も社会的影響力のある政治学者です。つまり、現代社会で最も成功者の一人です。しかしこの本を読みますと、職を得るまでは、「悩み」が続いた不安で苦しい人生が続いていました。しかし、同じ苦悩の人生を歩んだ巨人、夏目漱石とマックス・ウェーバーを知り、その著作に傾倒し、人生に共感する事で、自身の苦悩の人生を肯定的に捉え直す事ができるようになりました。この本はその人生体験を纏め上げたものです。 姜氏のテレビで見る話し振りは、くぐもった低い声で、ゆっくりと思索的に話します。決して喜怒哀楽は含まず、同じ声の調子で生真面目に、自身にも言い聞かせるように語ります。相手が興奮して語りかけてきても、決してそれに反応して声を荒げたりする事がありません。表情も、硬いくらい生真面目です。それは今でも、苦悩の思いが通奏低音のように響いているようです。悩んでいる人は、この生真面目な思索と真剣な思いと、苦悩を帯びた声によって、癒されるのではないでしょうか。 姜氏は1950年熊本県熊本市に生まれます。在日という出生は隠され、「永野鉄男」として育ちます。熊本県立済々黌高校に進学するも、17歳の時自我に目覚め、自身の出自、アイデンティティに深く悩むようになります。 「このとき私は、自分がどんな存在として生まれてきたのかを詮索するようになっていたのです。しかしそうすると、自分の人生は重いものにならざるをえないように思えて、暗い気持ちになってしまいました。 そして、『吃音』という状態に陥ってしまいました。母音で始まることばが出なくなり、朗読などをさせられると、立ち往生してしまい、途方に暮れてしまったのです。そのときの気分を、いまでもときどき思い出す事があります。ちょうど水に潜って、水面が上のほうに見えているような感じです。水面が見えているのにどうしても浮かび上がっていけず、息が苦しくてしかたがない、そんな息が詰まる感じです。」(文献1:38-39頁) 「自我に目覚めてからは内省的で人見知りをする人間になってしまいました。」(文献1:39頁) これは思春期に生じた典型的な社会不安障害をベースとした不安・抑うつ状態です。この社会不安・うつ状態を克服していく過 程が、アイデンティティを確立していく過程でもあった訳です。しかし、それを確立するまでには、更に十数年を要しています。1969年済々黌高校を卒業後、早稲田大学政経学部政治学科に入学します。そして、1972年「永野鉄男」から本名の姜尚中を公にします。ありのままの自分を晒して、それを社会に受け入れて貰わなければ、社会不安状態から脱しきれないという自意識が働いたものと思います。 「結局、私にとって何が耐えがたかったのかと言うと、自分が家族以外の誰からも承認されていないという事実だったのです。自分を守ってくれていた父母の懐から出て、自分を眺めてみたら、社会の誰からも承認されていなかった。私にとっては、それが大変な不条理だったのです。単なる思いこみだったのかもしれませんが、当時の私には、どうしてもそうとしか思えなかったのです。そして、それまで一心同体であった両親さえも、対象化してみるようになってしまいました。非常に殺伐とした気持ちでした。 この経験も踏まえて、私は、自我というものは他者との『相互承認』の産物だと言いたいのです。そして、もっと重要な事は、承認してもらうためには、自分を他者に対して投げ出す必要があるという事です。 他者と相互に承認しあわない一方的な自我はありえないというのが、私のいまの実感です。もっと言えば、他者を排除した自我というものもありえないのです。」(文献1:39-40頁) このテーゼは、現代社会人の精神病理・社会病理上を考える上で大変重要な結論を提示していると思います。姜氏が指摘しているように、「自我の発見」は17世紀のフランスの哲学者、ルネ・デカルトの「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」にあります。デカルトはこの命題を哲学の第一原理に据えて物心二元論を確立していくわけです。これは混沌とした魑魅魍魎ともいえる旧弊の中から、合理的・明晰な自我を明確化していった論考であり、今でこそ自明ですが当時は大きな生みの苦しみがあったはずです。実際、デカルトはうつ病になっています。 姜氏は自我は明確化され、自己、自分、自我は意識化されてきましたが、日本では「他者問題」が未解決のまま意識化されていない事が現代の「貧困」や「引きこもり」、「うつ」や「自殺」などの社会問題を引き起こしている背景と指摘しています。 「さらにそれと関連して、『他者問題』が未解決のまま残されることになりました。つまり、自分の中に、自分を中心としてものごとを考える自我というものがあるとすれば、他者の中にも同じくものごとを考える自我があるわけで、自己と他者の関係をどのように根拠付けるのか、この問題がデカルト以後の重要なテーマとして残されたわけです。 自己と他者がそれぞれに自我として独立したままであれば、人間の社会はてんでんばらばらな『自我の群れ』ということになってしまいかねません。」(文献1:30頁) 現代日本社会は、この『他者問題』に対して無自覚なままに来たため、「ひきこもり」や「自殺」がどんどん大きな問題になってきているように見えます。この問題に真正面から対峙したのが夏目漱石であり、マックス・ウエーバーであったわけです。明治維新によって社会体制は近代社会に突然変革し、服装や外見は西欧化されましたが、近代的自我は覚醒しないままでした。漱石はロンドンに留学し、デカルト的近代自我を覚醒し、正に社会不安・うつ状態となり帰国し、自我と他者、家族と社会の問題に悩み抜き、東大教授を辞し小説家になっていきました。マックス・ウエーバーも同様の体験から精神病院に入院したと言います。そういったプロセスから、漱石は小説の形態を創造していく中で『他者問題』に対峙し明確化しようとしていきました。そして生まれた作品が、三部作「門」「それから」「こころ」であったわけです。Kが自殺しているのを発見した先生は、Kの事を心配するより、自分の非道を記した遺書がないかを探すわけです。結局遺書は無いわけですが、無いとわかると安堵と共に、自身の『こころ』のエゴ、醜さを明らかに見るわけです。自我がエゴであっては、他者を自殺に追いやってしまうわけです。追いやってしまった自己のエゴを引きつり、結局は先生もそれを乗り越えられず自殺してしまうわけです。これは私にとっても衝撃的な小説でした。私自身の「心」自我も覚醒し、生き方を変える事になったリアルな小説でした。 姜氏は自殺が年間3万人を超え続けているのは、大変な異常であり危機的な社会状況である事を真剣に語り、他者との共生、絆の構築の重要性を訴え続けています。その基本的拠り所が、『他者問題』の自覚であり、他者の自我を知る事で初めてその他者との絆ができる事を自己の体験と、夏目漱石とマックス・ウエーバーの同様の体験と著作を通して語ろうとしたのがこの『悩む力』の主旨のように思います。 文献(1)姜尚中著『悩む力』(講談社新書/2008年5月発行)
ケ セラ セラ<こころの季刊誌> VOL.58 2009 AUTUMN
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