不安・うつの力(]]T) ― 漫画家 西原理恵子さんの場合 ― 医療法人 和楽会 横浜クリニック院長 山田 和夫
『毎日かあさん』などの作品で現在大活躍中の漫画家西原理恵子さんは昭和39年11月1日高知県浦戸という漁師町に生まれています。その人生は、テレビで見るあの『毎日かあさん』的な笑顔の西原さんからは想像できないような壮絶を極めた人生です。それは生まれた時から始まっています。それは西原さんの著書『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論者、2008年12月10日発行)というとてもカラフルで刺激的な本に記されています。 「わたしはこの町で生まれて、六歳まで暮らした。 お母さんが離婚して、わたしのお兄ちゃんを連れて、実家のある浦戸に戻ってきたの。このとき、わたしはまだお母さんのお腹の中にいたんだよ。これから赤ちゃん生まれようとしているのに離婚したんだから、よっぽどのこと。 わたしの血のつながったお父さんは、お酒を飲むと手がつけられないほど暴れたらしい。お母さんは子どもたちを守るために離婚して、自分が生まれた町に帰ってきた。お父さんはアルコール依存症で、わたしが三歳のときにドブにはまって死んだ。だから私には血のつながったお父さんの記憶がない。」(P12) 高知県は太平洋に面し、県民は豪放磊落で大皿に刺身などを盛り込み(皿馳料理)豪快に酒も飲んだ。そのためアルコール依存症になる人が多かった。西原さんのお母さんは、西原さんが6歳のとき再婚しますが、その新しいお父さんも大変な人で、今度はばくち打ちでした。家にはお金がなくなり、火の車で、家は怒鳴り声が絶えず飛び交う壮絶な家庭になっていきました。 「いちばんかなしい記憶は、それからあとのこと。 お金がないことが人をどれほど追い詰めて、ボロボロにするのか。そのあらゆるパターンを、わたしは見たと思う。 かなしいことほど、いつまでもいつまでも覚えているのはなぜなんだろうね。悲しくても、私にとっては全部、忘れられない、大切な思い出だけど。」(P14〜15) この体験が本の異様な題名の背景になっています。 「とにかく来る日も来る日もバクチばっかりしてる人だった。 せっかくお母さんと再婚したのに、ほとんど家にも帰ってこない。本当に一週間に一度くらいしか家に帰ってこなかったからね。そのあいだ、どこで何をしているのかも、さっぱりわからない。 これじゃあお母さんだって、たまらないよね。しかも、お父さんはバクチをするために、お母さんの貯金にまで手をつけるようになった。それでお母さんも荒れちゃって、いつも怒ってばかりの人になっちゃった。」(P16〜17) 最後も壮絶でした。父親は借金で首が回らなくなり、母親に母親が持っていた最後のわずかな土地を「売れ」と殴り続けるも、母親は首を縦に振らなかったため、父親は首を吊って自殺しました。母親は血だらけで葬儀をしたといいます。丁度、西原さんが東京の美大を受験しようとした日でした。 「夢にチャレンジするはずの日に、お父さんが死んだ。 受験なんかできるはずがない。 電話で呼び戻されたわたしが高知の家にとって返すと、喪服を着たお母さんがいた。顔は殴られて、ぼこぼこに腫れて、頭も髪の毛も血だらけだった。」(P48) 母親は父親が死んでおりた生命保険金のうち100万円を渡し、このすさんだ町を出て新しい人生を進むように促しました。その100万円を持ち、再び美大を目指して東京に出ます。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に入学しますが、渡されたお金は直になくなり、皿洗いやミニスカパブでホステスのアルバイトをしながら何とか大学を卒業します。大学を卒業しても、なかなか仕事がなくやっと手に入れた仕事はギャンブル雑誌にギャンブル漫画を描く事でした。描く為にギャンブルに手を出しギャンブル依存症になってしまい、デビューから10年で5000万円を失っています。 平成8年、旅行体験ルポ漫画『鳥頭紀行』の取材先の東南アジアで戦場ジャーナリストの鴨志田穣さんと出会い、そのまま転がり込むように結婚し、2児をもうけます。しかし鴨志田さんはアルコール依存症でした。こういうことは精神医学上よくあります。父親がアルコール依存症ですと、本来はそのような人との結婚を避けるはずなのに、実際は似たようなアルコール依存症の人と結婚してしまうのです。運命的な負の連鎖です。そして「私がいなければこの人はダメになってしまう」という共依存関係に陥ってしまいます。鴨志田さんはお酒を飲むと暴れましたが、お酒さえ飲まなければいい人でした。だから、毎日が修羅場でありながらギリギリの所で結婚生活は続きました。しかしそれも限界が来て、平成15年離婚します。これが鴨志田さんにとっての「底付き」体験となりました。アルコール依存症の人は、何度もお酒をやめようとしますが結局は飲んでしまいます。そのため様々な人生トラブルを起こし、会社を首になったり、離婚されたり、家族に見放されたして、社会のどん底に行ってしまいます。それを「底付き」体験と言います。そういう状況になって初めて本気でお酒を止めようとします。鴨志田さんも、好きだった家族から捨てられて初めて本気でお酒を止めようとして依存症専門の精神科病院に入院します。そして断酒できるようになり退院して、再び西原家に受け入れられるようになります。しかし、不運な人生はどこまでも不幸が付きまといます。せっかく真っ当な人間になったのに、その鴨志田さんに癌が見つかりしかも末期の腎臓癌でした。帰宅したのも束の間ホスピスに入所します。徐々に衰弱し、最後に西原さんに「真っ当な人間として死ねて良かったと」と言い残して息絶えたといいます。ホスピスに入所中、鴨志田さんは「痛い」とか「苦しい」という言葉を一切吐くことはなく、本当に真っ当な日々の最後だったといいます。鴨志田さんの葬儀では、西原さんが元妻として喪主を勤めました。平成19年3月20日鴨志田さんが亡くなった後、西原さんは大泣きし、更にはうつ状態になり3カ月間執筆できず、泣きながらの日を送ったといいます。 壮絶な人生を送って最後にうつ状態を体験し、西原さんは大きく強くなりました。うつの力です。鴨志田さんの死は『毎日かあさん』にも書き込まれ多くの読者に感動を与えました。2009年には、『毎日かあさん』がアニメ化されるなど、「サイバラ・ワールド」「サイバラ・ブーム」というような大きな社会現象を引き起こしています。仕事を持つ母親・2児を育てるシングルマザーとして大声を出しながら子供達を見守る姿に、一つの現代の女性の理想像として女性から多くの共感を得ているといいます。また『いけちゃんとぼく』にある「弱さを見せてもいい」というメッセージが男性にも支持されたと分析されています(Wikipedia,西原理恵子)。うつを体験した作家はその後、叙情性が深まります。西原さんの今後の作品を楽しみにしています。
ケ セラ セラ<こころの季刊誌> VOL.61 2010 SUMMER
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