ヒュ−マン・ウオッチング −車中にて−

  小生は昨年4月に開院し、医師会B会員よりA会員になった。ビル診療なので岐阜の自宅からJRで名古屋まで通勤している。私の神経科クリニックの診療受付は少し変則的で午後1時から7時までである。新患は予約制で午前中に時間をかけてみることにしている。だから、通勤時間は日によりまちまちで、乗車する時間によりさまざまな乗客を見ることができる。朝、8時台の乗客はほとんどがサラリーマンである。整然と列をつくり列車の到着を待つ。この時間帯の女性はこざっぱりした服装でロングヘアーは比較的少ない。朝早くからまじめに仕事や勉強にいくOLや学生だなと好感が持てる人が多い。乗車時間が9時台になると様相は一変する。乗車順序を守らず横からスルっと乗り込む人が多くなる。手入れの行き届いた長い髪をした女性が目だってくる。もちろん、服装も華美で、上からしたまでピカピカの今風のワーキングレデイさまの登場である。

  さて、女性観察がすぎると、クリニックの受付嬢から ”先生、チエックをいれすぎないで下さい”と叱られるのでこの当たりで本題にはいろう。乗り物のなかで眠っている人が多いことに、最近、よく気づく。これは男性にも女性にも、遠近距離を問わず見られる現象である。朝夕の東京への行き帰りの新幹線の車中は壮年の男性サラリーマンが大部分で、戦い前後の企業戦死は疲れているのであろうか、その半数以上が寝ている。他人から見られていることを意識していない顔、気を張っていない顔、すなわち寝顔は少しも美しいものではない。寝顔が素晴らしいのは乳幼児だけである。とりわけ人生に疲れを感じている”おじ”のそれはいただけない。いびきをかく人、口をポカンと開けたままの人、姿勢を崩し眼鏡がずり落ちそうな人、どの顔も人生の哀感を漂わせている。このような光景は欧米でお目にかかることは滅多にない。私が見聞した限りでは、アメリカでもヨーロッパでも乗り物のなかで眠る人は非常に少ない。たとえ眠ったとしても、新聞で顔を隠すなどして寝顔を人前に曝さないようにしている。

  日本では車中で簡単に居眠りする人が多いのは、日本人の体力が欧米人に比し著しく劣っていて、疲れがでると所かまわず居眠りをするのかも知れない。実際、国際シンポジウムなどで彼らと数日間生活を共にすると、彼らは夜遅くまで飲み騒いでいても翌日になるとケロッとして早朝から会議で盛んにやりとりしている光景を見せつけられて驚かされる。

  人前で平気で居眠りする日本人が多い第2の理由として、日本人は見目うるわしくない眠った顔を他人にさらすことに少しも抵抗を感じないのではないだろうか。言葉を代えていえば、日本人は公衆のまっただ中でも精神的無防備状態で平気でおられる国民なのである。すなわち、”お互いさま”精神が無言の暗黙のうちに流れているのであろう。電車の中で寝る姿は、世界一安全な国日本の象徴といえる。寝首を掻かれることもなく、枕を高くしないまでもどこにおいても安眠できる日本人は幸せな国民である。

  20年前、私がミュンヘンに留学していた頃、教授宅のパーテイーに招かれた。酒に強いドイツ人は盛んに trinnken し、夜更けまで diskutieren する。私のボスはそのうちにアルコ−ルが過ぎたのか赤ら顔になられた。ドイツでは酔った顔を客に見せることは大変恥ずかしいことである。教授は自分の顔色の変化を気にされ、何回も洗面に立たれたことを思い出す。彼ら欧米人は、自分の弱さを見せないように常に訓練されているのであろう。研究所のなかを歩いていて、美しいドイツ人女性と目があった時ニコッと微笑まれたことがあった。これは、この女性が私に好意を持っていたわけでは決してないことが間もなくわかった。というのは、町を歩いていて見知らぬ男性と同じように目が合うと、彼らはやはりウインクしたりうなづいたりしたからである。これは、目と目が合った間の悪さを隠すということもさることながら、自分が見られるという受動的状況を避け、逆に自分の魅力を全面に出す積極的な精神的エネルギ−に溢れた態度ではなかろうか。

  このような欧米人と日本人の行動様式の違いは、狩猟社会 vs 農耕社会、多民族国家 vs 同一民族国家、大陸 vs 島国、言語化コミュニケ−ション vs 以心伝心コミュニケ−ションといった欧米諸国とは違った日本的風土から生まれてくるのであろう。

名医 平成6年1月

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣