夫婦の親密性

 本シリーズの始めに、“家族”という言葉から最初に思い浮かぶ言葉やイメージとして、以前はトップに挙げられていた“絆”が、最近四〜五位に順を下げてきていると述べました。家族間の心のつながりが、それだけ弱まってきているようで大変懸念されるのであります。家族が健全であるための最重要キーワードは、この“絆”――心のつながり――であり、更に別の言い方をすれば“親密性”だと思います。その家族の親密性が保たれにくくなってきているのだとするならば、大いに問題があると思うのです。

 今回は家族関係の中核となる夫婦の親密性について考えてみたいと思います。

 親密性とは、相手との関わりにおいて、相互に満たされ幸せを感じ合い、更にその関係性を持続させようとする気持ちが共有できている状態と考えられます。

 二人の男女が結ばれ夫婦として先ず為さなければならないのは、この親密性の確立であり、その後の夫婦にとって、この親密性の維持深化が、常に欠かせない中心課題となります。相手(夫或いは妻)に自分が必要とされ、自分も相手を必要と感じる時、お互いがギブアンドテイクの気持ちでおれる時、夫婦は互いに親密な関係にあることを、改めて認識することになるのです。

 一個の人間が様々な発達課題を自ら乗り越えていかなければならないのと同様、家族も家族としての多くの発達的課題や突発的家族危機に直面し、その解決を迫られることを覚悟しておく必要があります。そのような場合、先ず求められるのが夫婦の協力体制であり、互いに納得のいく役割認識であります。家族における夫婦の役割性は以前のように固定的なものとしてではなく、状況に応じ適宜適切に役割交代も行いながら、相互に至らない所は補い合うという夫婦間の相補正が、最近では特に強調されてきております。

 子育ては妻が、家の経済の担い手は夫がという、お前任せの役割認識は時代遅れであるばかりか、夫婦間のコミュニケーションを一方的なものとし、その結果家族問題への対応に柔軟性を失わせてしまうことことにもなるのです。そのような夫婦に真の意味での親密性を期待することはとてもできないと思われます。

 親密性は、お互いが互いの気持ちや思いに気付き、よくわかっていることが大前提となります。その上で、相手のこちらへの思いや期待に、どのように応えていくかという応答性が問われることになるのだと考えます。相手が自分に何をしてほしいのか、逆に何をしてほしくないのかがとらえられずして、ただ相手のためになるという自分の思い込みのみで相手に働きかけても、相手にとってはかえって有り難迷惑、何のプラスにもならないばかりか、むしろ相手の反発を招くだけということになりかねません。

 夫婦関係がこのような相手の心に添わない一方的なものとならず、お互いに、心から満たし満たされ合うことのできる、親密な関係性を深め維持していくためには、いつでも適正なコミュニケーションが為される必要があります。ところが、近頃の家族には、作家中島梓ではありませんが「コミュニケーション不完全症」とでもいうような、夫婦間、親子間の対話や心の通いのなさが目立ってきているように思われるのです。ある家族心理学者は、家族病理の根底にはコミュニケーションの障害があると指摘しております。

 本来家族には、対人関係におけるコミュニケーション技法の学習という、子供の社会化にとって欠かせない大変重要な機能があると考えられます。かかる家族機能の担い手が親、つまり夫婦なのであります。子どもはその親をモデルとして学び育つのです。

 そのような意味からも、夫婦は、いついかなる場合でも、相互理解を目指すコミュニケーションを絶やすことなく、夫婦としての親密性を保ち続けてほしいものです。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Que Sera, Sera Vol.8 1997 SPRING
岩館憲幸