子どもへの暴カ またまた中学3年生による不幸な出来事でした。12月4日付けの朝日新聞によると、この少年は3日朝4時頃まで期末試験に備えて勉強していたところ、起きてきた父親に「勉強せずにビデオをみていただろう」などと厳しく叱られ、その日の期末試験は受けたが、正午ごろ帰宅後も腹立ちが治まらず居間の壁をこぶしで叩いて穴を開けてしまった。それを帰宅した父親に叱られて殴られ、カッとなった少年が台所から包丁を持ち出し父親の首を刺して殺してしまったというのです。少年は別れて住んでいる母親に父親を刺したことを電話で連絡し、友人宅へ行って警察の来るのを待っていたのだそうです。 父親は日頃少年に対して何かにつけ叱りつけ、暴力的なしつけをしていたところから、そのような父親に対する少年の鬱積していた怒りや恐怖の感情が、その日の一方的で不当な叱責により一挙に爆発してしまったらしいこと、両親が5年前に離婚、父親と1学年上の姉との3人暮しで、非行歴もなく、近所の人達に好感を持たれている明るく真面目な少年だったことなどが、数日後夕刊紙で報じられておりました。 新聞やTVの報道だけで軽々しいことをいうべきではありませんが、父親の、息子への暴力と、自分が全く分かってもらえない無念さで一杯だったに違いない息子の気持ちへの配慮の無さが、かかる悲劇を招いたことだけは容易に想像がつくのであります。 家庭内暴力が子どもの心身の発達に様々な悪影響を及ぼすのは今更指摘するまでもないことです。でも、多かれ少なかれ家族間に争いや確執があるのも、考えてみればすごく当たり前の話であります。家族は家族内の葛藤や不調を抱えながらも、どこかで折り合いをつけつつ発展して行くものだと考えられます。しかしながらやはり相手の気持ちを無視し心に深い痛手を負わせるような暴力や押さえつけだけは家族同士でしてほしくない、いや家族同士だからこそ絶対にしてはならない、その覚悟を少なくとも親達は持っていなければならないと思うのです。家族間の恨みや憎しみの感情には歯止めがかかりにくい場合があり、往々にして最悪の事態を迎えてしまいます。警察庁の調べによれば、家庭内殺人事件は年間400件に上るのだそうです。(週刊現代 97.12.6)※ たとえそこまでには至らなかったとしても、親の子どもへの虐待や夫婦間の暴力行為が、しばしば子どもの心に大きなダメージを与え、いつまでも心の障害となって残ってしまうことについては、多くの専門家の指摘するところであります。 もっともたとえ暴力的で心の通いにくい劣悪な家庭環境にあっても、子ども達の多くは、家族以外の人達との交流や、自らの心の慰みなどで、無事おとなへの道程を乗り切ってしまうものなのかもしれません。少なくとも沢山のきょうだいの中でもまれ、学校が仲間との生き生きとした交流の場であり得た私どもの時代ではそうでした。しかし今は違います。公園や街角から子ども達の元気な声がめっきリ少なくなってしまいました。学校では授業が終われば一斉下校です。教室や校庭で先生や仲間といつまでも遊ぶことがとてもムズカシイ時代になってしまったようです。ですから家族や仲間から、とても耐えられないような心理的圧迫や屈辱があった場合、その持って行き場のない気持ちを一人抱えて、心病んでしまうか自己破壊的行動に暴発させてしまいやすいのだと思われます。 このような時代だからこそなおさらのこと、子どもを追い詰める親の無理解で一方的な押しつけや暴力的言動は許されないのです。
親の暴力や虐待を受けた子ども達に共通してみられる特徴として、キナードはこれまで報告された研究報告を概観し、以下の傾向を見出しております。
(Kinard,1980) いずれも人間関係を困難にさせてしまう性格特徴といっていいでしょう。 最近人との交わりを苦手とする若い人が増えてきているように思われます。その原因の一つとして親からの被虐待が挙げられるというのであれば、理不尽な子どもへの暴力は、子どもの自立と幸せを願う親であるならば絶対にあってはならないのであります。 ※(1996年日本殺人認知件数 1,218件 総理府) ケ セラ セラ<こころの季刊誌> |