ドメスティック・バイオレンス 〜なぜ妻が〜

 前回私は夫婦間暴力は圧倒的に男性たる夫に多いと述べました。でも今回はそのような暴力的な男性によって自らも暴力的になってしまう妻の話であります。

 最近ドメステック・バイオレンスという言葉がマスコミでしばしば取り上げられております。直訳すると「家庭内暴力」となり、日本で多い思春期以降の子供たちの、親もしくは親に代わる家族への暴力を指す意味にとられがちですが、もともとは夫婦間だけではなく恋人同士など親しい間柄にある男女間の、それも圧倒的に男性から女性になされる暴力を意味する言葉なのです。

 確かこのシリーズの半ば頃、神戸の14歳の少年による小学生殺傷事件がきっかけで、”人間の攻撃心”で著名なアンソニー・ストーの言葉を借りて、人間誰しもが併せ持つ自らの攻撃性や残虐性に気付き直視する大切さを強調するとともに、その一方で、多くの人達は、かかる衝動性を暴発させまいとする制御装置を働かせることで、その日その日を大過なく過ごせているに違いないと述べたことがありました。

 でも日頃の不安や恨み、鬱積した敵意や憎しみは、その我慢が限界を超えた時には、普段のその人には全く考えられない破壊的行動を暴発させてしまうこともまた、あり得る話なのであります。

 その上、現代の家族では父親は無力化し、母親は過保護となり、子は暴君化するなど衝動抑制力の衰退が目立つ、と懸念する声も聞かれます。今は、夫も妻も、そして子供も、相手と状況次第では、自らの攻撃衝動に歯止めのかかりにくい時代なのかもしれません。

 数年前、酒飲みの夫の暴力に耐えられなかった妻が、娘と2人で夫を殺害しコンクリート詰にして床に埋めたという事件がありました。犯罪被害者学が専門で精神科医の小西聖子博士は、著書「インパクト・オブ・トラウマ」で、この事件に関連させ、女性殺人事件被告百三十名の調査結果(『女性性の病理と変容』振興医学出版社より)について、配偶者・愛人の殺人は合わせて22.1%を占めていたこと、この数字は、実子殺し62.7%に次ぐものであると紹介した後、「新聞記事で妻の夫殺しの記事を読んでいますと、事件の裏に夫の暴力があったのではないかと推測したくなるものがたくさんあります」と指摘しております。

 殺人という決定的な結末を迎えてしまうのは、それでも全人口比でいえばほんの僅かであります。今、家族の最大重要課題である、子供を社会人として自立させるために絶対欠かせない、情動の抑制力や自己責任性の育成が極めて困難な時代にあるとしても、大方の人間にとって、よほどのことがない限り、それこそわが命が突然危険に曝されるとか、心身に特別の変調を来たすこ とさえ無ければ、そこそこのところで身を引いてそれ以上のお相手はしないとか、そこはまず辛抱と、自ら承知のうえで耐えることは可能であります。しかしこのように、相手の暴力的言動にただ耐え忍ぶスタイルの、その場しのぎ的な対処の仕方だけでは、決して根本解決にはならないのはいうまでもありません。夫婦どちらかが相手に対して一方的に暴力的で、犠牲を強い続けるならば、相手はなす術もなくその苦痛を耐え忍ぶだけという極めてストレスフルな状況がいつまでも続き、しかも相談出来る人もいないというのであれば、やがて家庭崩壊をきたすか、或いはもっと最悪の決定的な破局がやってくるのは目に見えております。例えば相手の執拗に繰り返される暴力から我が身を守り、この地獄の苦しみから逃れるためには、加害者である夫を殺すしかないと考えてしまうことだってあり得るわけで、その結果それまでの被害者が突如として加害者に逆転するという悲劇的結末で幕を閉じることにさえなりかねないのです。

 妻をここまで追い詰め、復讐の鬼と化すまでに至らしめるのは、夫の肉体的物理的暴力だけではありません。夫からの精神的な屈辱(不倫による裏切り等)、一方的服従の強要、相手の気持ちを全く顧みない暴言の数々などの精神的苦痛や心理的暴力による場合も決して少なくないのであります。

 最近の女性は強くなったといわれております。私もそれは認めます。でも車のマナーや仕事への取り組み方、何かあった時の自己責任の示し方、そして体力的な面など、女性の非力頼りなさを感じさせる点は、残念ながら精神的にも肉体的にもまだまだ沢山有ると感じてしまいます。夫や男性の暴力を許してしまうのには、その辺にも理由があるのではないでしょうか。しかし、だからといってそのことで、妻の夫への仕返し・復讐としての暴力性
が簡単に許されていいということにはならないと思うのです。

 もしそのような事になったなら、精神面に大きな傷跡を残すなど、その時最大の犠牲を強いられるのは他ならぬ夫婦2人の子供たちなのですから。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Que Sera, Sera Vol.17 1999 SUMMER
岩館憲幸