共働き 〜子育ては?〜

 このシリーズ前回は、われわれ亭主族にとって単身赴任が、すべてかみさんまかせの、不健康なライフスタイルを変える(自立への)良い機会になるといわせてもらいました。夫が家事手伝いをしたり子育て参加で体を動かすことは、本人の健康のためになるだけでなく、夫婦の協力関係を密にして、家族の絆強化にもつながります。

 ところが残念なことに日本の夫たちは、家事手伝いをしないという点で世界有数の地位を誇っているのです。家事・子育ては妻の役割だと思っている男性は夫だけではない、大学生を対象とした調査結果でも、80%余りの男子学生は「夫は外、妻は家庭」というわけです(岩堂ら「男子大学生の性役割意識について」1987)。

 さまざまな家族問題が頻発、家族崩壊の危機が叫ばれている昨今しばしば指摘されるのが、一度このコラムで取り上げた”父親不在”です。日本では子育てを始め、家のことは全て母親任せ妻任せというのは、昔から極めて当たり前のように思われてきたふしがあります。果たしてそうなのでしょうか。実は父親の不在がことさらいわれ始めたのは、ここ10〜20年来のこと、それより以前は、格別父親の存在感が問われることは少なかったのです。父親の権威が強固だった江戸時代の武士家庭でも、父親は子育てや家事に精を出していたという記録が残されているのです。

 今回"共働き"をテーマに選んだのは、夫の役割性について、夫婦共働き家族の視点から、我が身の体験も交えながらもう一度語ってみたかったからでした。

 わが国では、共働き世帯は年々増加の一途をたどり、1992年以降は、非共働き世帯数を上回って、共働きが一般的といえる程になりました。

 共働きをする女性側の理由としては、生計維持・家計補助と並んで、才能・能力の発揮、社会参加等が挙げられます(総務庁統計局「労働力調査特別調査」(1993))。

 男女の雇用機会均等法が施行されたのは1986年のことでした。以来女性の社会進出が目に見えて加速されたのかというと決してそうではありませんでした。教員や公務員など一部の職業を除いて、仕事の内容や労働条件・労働報酬等での男女差別はなくなりませんでした。子育てと家事は女の役割という意識がまだまだ根強く、そのことは育児・介護のために時間外労働の上限を通常の労働者より低いものとする(1年150時間等)と定めた、激変緩和措置(労働基準法第133条)が一定の女性労働者だけを対象としたものであったという事実に象徴的に示されております。この法律が平成13年度末で終了したことから、改正された時間外労働の制限規定で、初めて男女共通の育児・介護のための時間外労働の制限の制度が定められたのです。このことは共働き夫婦に対して、少なくとも子育てに必要な時間を、国家が夫婦同等に認めたことを意味しております。これで女性にとって夫婦共働きのための環境条件が一つ整ったことになります。問題は、夫婦それぞれの役割意識と、相互協力性(相補性)がどうなのかです。

 前述したように、日本の男性は夫婦の役割性について保守的考え方が支配的、一方女性には子育てや家事と仕事の両立に不安を持っている人が多いという現実があります。共働きがうまくいくためには「男は仕事、女は家庭」という性別役割意識の変革と、女性の家庭と仕事の両立への不安解消が第一の要件なのです。夫婦の役割意識の変革については、まず夫が積極的に育児と家事に関わってみせることです。

 江戸時代末期の桑名藩の武士、渡辺勝之助の日記には、彼が子育てと家事をいかにまめまめしくこなしていたかが詳細に記されています(AERA2000・7・3)。彼は赤ん坊のおしめを変え、おんぶしてあやし、離乳食も作って与えました。歩けるようになると、あちこちに連れて行ったり、ホタル狩りやキノコ狩りに付き合いました。宿直の日弁当を届けに来た子どもと一緒に泊まったりもしました。家事では、朝一番に起きてかまどに火を入れ、洗濯をし、買い物に行き、風呂に水を汲みました。この日記の研究者皆川美恵子十文字学園女子大学教授は「当時の父親としては、これが当たり前の姿だったと思います」と述べています。日本の「サムライ」は家でもよく働いていたものなのです。

 かくいう私たち夫婦も、結婚当初からの共働きでした。それぞれ仕事を続けることで互いの生き方や自主性を認め合っていたように思います。5年後に長女が生まれました。妻は産休後復職、子育ては、遠縁のおばあさん、妻の同僚の奥さん、そして近所のおばあさんと目まぐるしく、しかしとても良い方々に引き継がれお世話になりました。そのお陰で長女は言葉の発達が早く、病気らしい病気になることもありませんでした。2年後に長男が誕生、折よくかねてから申し込んでいた新設の区立保育所が完成、長女と共に入所させることができました。保育園への送り迎えはどちらか都合のよい方が行い、買い物や食事の片付け等がこちらのお役ということもありました。赤ん坊が泣きやまない時、体の大きい男の私が抱いてあやすと不思議に泣きやんでくれました。入浴も私が主役でした。

 これまでの私の知り得たわずかな知識と、乏しい体験から言い得ることは、共働き子育てがうまくいくかいかないかは、夫の積極的な役割分担行動と、周りからの協力支援の取り付けの如何かにかかっている、そしてそれを可能にしてくれるのが夫婦間の一方的でない親密なコミュニケーション、いたわり合いの気持ちであるということであります。

 最後に、もしあらためて共働き子育てのキーワードは何かと問われるならば、私はやはり『夫婦(とりわけ夫)の性別役割意識の変革』を挙げるに違いないと思っています。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Que Sera, Sera Vol.29 2002 SUMMER
岩館憲幸