家族の絆
〜 個として認め自立を促す
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本シリーズ初回で、私が学生達に行ったアンケート調査では、「家族」について最初に思い浮かべる言葉のトップは“絆”だったと紹介しました。昨年4月、雑誌文芸春秋は臨時増刊号に「家族の絆」を特集しました。家族といえば絆がまず連想されます。しかし時にはその絆がいとわしいものとなることがあります。家族の絆が逆に強いしがらみとなって家族メンバーそれぞれの、個としての自立した歩みを妨げる足かせとなってしまうのです。
日本で100万に達するのではと懸念される“ひきこもり”、1、200万を超える(2000年度)ともいわれるパラサイトシングル(20〜39歳の親同居未婚者)………、かかる親の際限ない子ども丸抱え現象を生じさせている要因の一つとして、まわりへの関心や心くばりを二の次とさせてしまいがちな、家族中心の密着性が挙げられます。家族の絆には、子どもに対し、社会で自らたくましく生きていくための知恵と力の伝達供給回路として機能する側面と、家族同士をいつまでも共依存的に拘束させてしまう側面があると考えられます。家族同士の密着し過ぎから周囲への積極的関心や社会的交流を見せなくなった家族は、まわりからの多様な情報によって自分達の考えや行動のバランスをとることができず、家族問題をいたずらに内攻させ、その処理を誤ってしまうことがあるのです。
最近の少年凶悪犯罪には、社会的に閉ざされた密着家族(てんめん状態
本シリーズ3)で、家族以外の様々な人との柔軟な交流に欠かせない社会性(社会的スキル)が育てられていなかったケースが多いのではと思われるふしがあります。
この秋大阪で起きた20歳の大学生と16歳の少女によるショッキングな家族殺傷事件も、あの二人には家族についての、たとえ家族であっても侵してはならない個としての存在認識欠落があったのではないでしょうか。二人にとって家族とは、自分の要求をいつでも満たしてくれる依存対象でしかなく、そういう意味では家族密着がもたらした悲劇的な一つの結末だったと言えるのかもしれません。
続発する親の児童虐待や家族による高齢者虐待にも、その家族状況には、まわりの人たちとの関わりが薄く、社会的に孤立しているという点で共通したところがあると言えます。
親による児童虐待、子どもの家庭内暴力、高齢者や障害者に対する家族の介護疲れによる虐待などには、家庭という密室で行われるところから表に現れにくく、まわりからの保護援助の手が差し延べにくい点もありますが、他者の介入を受け入れることのできない家族のかたくなさも、虐待死という最悪の事態に至らしめる最大要因となっていると考えられます。
今年3月愛知県で65歳の女性が、25年間一人で介護を続けてきた知的障害のある兄(当時69)を扼殺死する事件がありました(15年4月19日付朝日新聞)。女性は1年ほど前から体調が悪かったにもかかわらず、兄に対する周りからの知的障害者施設などへの入所の勧めをかたくなに拒み続けていました。脳梗塞で一度入院させられた時も、その翌日には兄の介護を他人に任せられないと退院してしまったのだそうです。
殺人罪で懲役刑5年を求刑されていたこの女性は9月8日留置所で胸部癌疾患によりひっそりと息を引き取ったと新聞の片隅に報じられておりました(9月8日付朝日新聞)。
家族の問題を家族だけで抱え内攻させてしまわないように、日頃から友人もしくは同好会仲間の家族間交流や、家族を取り巻く近隣地域の人達との積極的な関わり・支え合いを心掛けたいものです。とはいうものの、主婦達の立ち話しや若い母親の公園デビューが、とかく住人の噂話か、さもなくば自分の家族の自慢話しで見栄の張り合いに終始しがちなところから、近所付き合いは気が重いという声も少なくありません。そのうえ、家族問題を抱えてでもしていたら余計近所の人と顔を合わせにくくなるに違いない。だからといってそれで対人回避的傾向が一層強められることに無策であってはならない。私は家族関係を安定化させることが、近所付き合いをはじめとする対人交流にうまく臨むことのできる、心の余裕とつながるのではと考えるのです。
家族関係の安定化は家族間コミュニケーションの在り方いかんにかかっております。
夫婦、親子等家族同士の相互理解ができていない家族に、家族一人一人の個としての歩みを認め促すことのできる心のつながり…“絆”…は有り得ないのです。
夫婦は互いに言いたいこと分かってほしいことを積極的に伝え合っているか、親の一方的な思いで子どもを縛り付けていないか、子どもの要求にひたすら応えることでしか親子の絆を繋ぎ止め得ないでいるのではないか………。家族は、少なくとも親は、今一度自分たち家族間コミュニケーションの在り方を再点検してみる必要があるのではないでしょうか。
家族間コミュニケーション不全は様々な家族問題を生み出し、病理性を高める要因となります。
そうならないために家族同士がしっかりと向き合い理解し合える積極的コミュニケーションにより、柔軟性のあるしなやかな家族の“絆”を編み直してほしいものであります。
ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Que Sera, Sera Vol.35 2004 WINTER
岩館憲幸
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