パニック障害患者の心性C

 比呂子さんは名古屋の某女子大外国語学部を卒業しました。彼女の郷里は名古屋から電車とバスを乗り継いで1時間半ほどの距離にある岐阜県美濃市です。彼女は大学卒業後そのまま名古屋の貿易会社に就職し、専攻した得意の英語を生かした仕事をしていました。長女で一人娘の比呂子さんは、両親との約束の2年が経ち、最近、郷里に帰りました。美濃から通院してくる彼女がこんなことを言いました。

 「6年ぶりに実家で暮らすようになったら、昔とずいぶん町並みも変わってしまって…なにか…寂しい感じです。昔はああだったな、こうだったなァと感傷的になってしまいます。自分が育ってきた環境が変化していくのをみていると、なんとなくはかなく、怖いんです。昔は元気だった隣のおじいちゃんも最近は弱ってしまって畑仕事にも行かず、えらく歳をとってしまったなァと思います。”老い”について考えさせられてしまいます。また、田舎にいると老人が多いせいか、人が死ぬ話をよく耳にします。自分の周囲がどんどん変わっていくことにどういうわけか良い気持ちがしないんです。不気味な感じさえします。」と彼女は述べました。

 実は、比呂子さんはパニック障害が完全に良くなっていません。まだ時々、離人症がでます。何となく周囲の現実感が薄れ、自分は生きているのだという実感が弱まり、不安な気持ちに襲われるのです。比呂子さんが私に話したような状況は実はこのような軽い離人症がある時に感じたものだと思います。彼女は「自分自身の実感がないのに、周囲だけ変化して、自分だけ取り残されていくようで不安でたまらない」と述べています。しかし、離人症があるなしに関わらず、パニック障害の患者さんはそうじてセンチメンタルな気質を持っています。

 比呂子さんの最初のパニック発作は、大学に入学し両親と別れて名古屋のマンションに暮らすようになって間もなくでした。両親に可愛がられて育った一人娘の彼女が一人暮らしを始めることは、はかりしれない激しいストレスだったのでしょう。また、パニック障害になりやすい人は逆にホームシックにかかりやすいといえるかもしれません。

 比呂子さんのように親元から離れて一人暮らしをし始めてまもなくパニック障害になったという大学生が時々診察室にきます。パニック障害が不安神経症といわれていた時代の精神分析学は、この病気の原因は心の底に隠されている「別離」という心的外傷体験であると言っています。

 あるパニック障害女性の幼少時のことを聞きました。彼女は大変人見知りが激しく幼稚園で挨拶したり手を挙げて先生に話すことが出来ませんでした。両親が離婚をして父親不在の彼女は、若返りのシロップを見つけてきてほしいと本気で頼みました。それは、母親やおじいちゃんおばあちゃんが歳をとって亡くなって自分から離れていくことを大変恐れたからです。また、自分も歳をとりたくない、このままお母さんのそばにいつまでも居たいといつも言っていたということです。

 ある30代後半のパニック障害の女性は、お正月休みの1週間を、福島の両親のところで夫と二人の子供とともに久しぶりに過ごしました。東京へ帰る日の朝になったら、お正月休みの1週間が非常に短く感じられ、両親と別れることを考えたら急に涙が出てきて寂しくなったと述懐していました。また、中学生でパニック障害を発症した患者さんのお母さんがそのパニック障害に罹った息子さんの小さい頃の話をしてくれました。大変おとなしくひとなつっこい幼児だったそうですが、訪問したお客さんが用を済ませて帰る段になるといつも泣いたということです。それは、人に去られることがいやで泣いたのだそうです。

 このように、パニック障害の患者さんは、もともと感受性が高く、環境の変化、とりわけ慣れ親しんできた人やものとの別離の状況が醸し出す哀感を人一倍持ちやすい人だといえるでしょう。言葉を替えていえば、パニック障害になる人は、”ものの哀れ”が人一倍よく分かる人だといえます。お釈迦様や兼好法師ももしかしたらパニック障害気質だったかもしれませんネ。

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣