マフィアのボスがパニックになった映画 医療法人 和楽会 理事長 貝谷久宣 「先生、大変!大変!パニック障害の治療はまず薬物療法でしょう?それが精神分析で治るという映画をやっています。日本パニック障害の会から異議申し立てをしなければなりませんかしら?」といって古参の患者Aさんが、ロバート・デ・ニーロ主演の映画”アナライズ・ミー”のパンフレットを持って診察室に現れました。わたしは、「まず、映画を見てから考えましょう」と答え、早速、有楽町の映画館に出かけました。ロバート・デ・ニーロ主演の「レナードの朝」を観て大変感激したことがあったので、それは胸をはずませての映画行きでした。 ニューヨークのマフィアの2代目ボス、ポール・ヴィッティはある日突然パニック発作を起こします。それは、マフィアの総会を間近に控えていることと、ライバル、シンドーネに命を狙われる危険な日々を送っているという二重のストレスの状況下での発症でした。パニック障害患者がたどるお決まりのコース、すなわち、どこで医学的検査を受けても異常なしという経験を経てポールは精神分析を専門とする精神科医ビリー・クリスタル扮するベン・ソボルのもとに診察を求めていきました。ベンも、有名な精神分析医の父を持つファザー・コンプレックスの地味で冴えない2代目でした。彼はポールの哀願と脅しの狭間で治療を引き受けざるをえませんでした。私は医師として、患者を選ぶ権利のない医者の悲哀に同感しました。 ベンはパニックの治療はまず薬物療法であることを説明しますが、「”ドラッグ”はやらない」とマフィアのボスにカウンセリングを迫られたのでした。薬に頼りたくないということ以外に、ポールがベンにカウンセリングを依頼する大きな理由は、自分の同業者には決して見せられない、気が弱くなってしまった自分を支えてほしいという願いがありました。このような精神的なものは決して薬では救われないという専門家以外の一般的な観念がこのくだりの底にありました。恐ろしいパニック発作を経験したからこのように弱気になるということも勿論ありますが、不安の病、パニック障害そのものがこのような精神変化を引き起こす病気であると考えられます。ですから、専門家の立場から言えば、このような精神的な弱さに対しても薬は十分に効果を持っているのです。 マフィアの親玉として貫禄十分なポールがパニック発作によリ180度転回してひとりの気弱で惨めな患者に様変わりするシーンは、デ・ニーロの役者としての本領を見せてくれました。ベンが美しいテレビリポーターと再婚をするために休暇を過ごしている最中でさえも、ポールはパニックの再発でニューヨークからマイアミまで押しかけて治療を強要します。マフィアのボスだからこそこのような我が侭を通せるようにみえますが、実は、パニック障害はポール以外の患者でもこのような行動を起こさせるほど恐ろしい病気なのです。この意味でこの映画はパニック障害の本質の一端を描き出していると言えましょう。 ベンはFBIに強制的に協力させられ体に隠しマイクをとりつけられポールと面会します。マフィアのグループはこれに気づきポールにベンを消すように命じます。しかし、ペンは医者の良心に従いマイクをはずしてしまいます。これにより、ポールの信頼を一層強固なものにしたベンは、それまでは打ち明けることに抵抗を示していたポールの心的外傷体験を聞き出すことに成功します。それは、ポールが子供のころに、父がマフィア間の争いで銃撃死する場面で襲撃に気づきながらも父に知らせることができなかった罪業感と取り残された孤独感です。これは精神分析学の教科書的なテーマ、すなわち、エディプス・コンプレックスと言われるものです。それはギリシャ神話の中からフロイドが作った言葉です。エディプスが父とは知らずに父を殺し、母を妻とした話にちなんで、男の子が無意識のうちに同性である父を憎み、母を性的に思慕する傾向をこのように名づけています。このようにしてポールの心がアナライズ(分析)され、ポールの無意識の葛藤が露わにされていきます。無意識の葛藤が自覚され、それを意識的に自分の中で咀嚼し自分を見つめなおし新しい自分を見出したときに治癒が出現するというのが精神分析の仮説です。しかし、私はこの心の奥底に潜むコンプレックスが露わになり解決されたとしてもパニック障害のような病気はそんなにたやすく治ってしまうとはまったく考えていません。それどころか、このような作業(精神分析)はお金と時間の浪費であるばかりではなく、パニック障害の早期発見早期治療を遅らせ、病気の重症化を招くものだと考えています。 ポールがマフィアの総会でヤクザから足を洗うと衝撃の告白をした直後にFBIにギャングは一網打尽にされてしまいます。分析医ベンは、逮捕され刑務所暮らしのポールに面会に行きます。そして、マフィアのボスと医者という立場ではなく、お互いにファザーコンプレックスを持つ友人として心を許しあい、ベンはポールの治療をさらに続けることを約束するシーンでこの映画は終わります。このように、この映画はパニック障害が精神分析で完全に治ってしまったという筋書きにはなっていません。しかし、この映画は、パニック障害は精神分析で治療するものだという固定観念を観客に投げかけている可能性があります。また、この映画全体がコメディタッチで描かれてしまっているので、パニック障害患者の悩みの深刻さが十分に受けとめられない危険性が大きいようです。以上の2点から、この「アナライズ・ミー」という映画は、患者の立場を離れれば娯楽性があり楽しい映画ですが、パニック障害患者の立場に立つとこの病気について好ましくないメッセージを世間に送っているのではないかという危惧が感じられました。最後に、字幕の超一流翻訳者、戸田奈津子さんの翻訳、Panic(パニック発作またはパニック障害)に対する”パニック症候群”とOCD(強迫性障害)に対する”…偏執狂”は専門医の立場からはいただけないものでした。 |