パニックの認知療法 B 〜観察と記録 セルフ・モニタリングの「こつ」〜 一年半ほど前のことになります。突然おなかが痛くなって家族が救急を受診したときのことです。対応してくれた外科の当直医は、私たちの話を聞きながら、おなかを触ったり、超音波の検査をしたり、患者の身体に関するデータを次々と手際良く集めます。そして、不安にかられる私たちに、考えられる診断と治療の方針を示してくれました。 パニックの認知療法は、このときの外科医の対応とはずいぶん違っています。医師がデータを集めるのではなく、あなたがそれをするのです。 あなたが認知療法を希望されるなら、おそらく、最初に日課表のようなものが手渡されるでしょう。月曜日から日曜日まで一週間にわたって、朝の八時ころから夜遅くまで、一時間ごとの不安を記録できるようにした「不安記録表」がそれです。「今あなたはクリニックにいるわけですが、どのくらいの不安を感じていますか。一(最小の不安)から五(最大の不安)までの五段階で評価すると、今のあなたの不安はいくらになりますか。」 たとえば、あなたは火曜日の午後四時の欄に、「クリニックにいる、二」と書き留めます。 その後であなたには、一週間のご自分の行動と不安を観察し、その結果を記録するという課題(ホームワーク)が与えられるはずです。 一週間後、「不安記録表」を前にして、あなたと治療者は話し合います。 どこにいるとき、何をしているときに不安が募りやすいか、それがあなたにもはっきりわかりはじめるかもしれません。たとえば、観察と記録を終えるまでは、いつも不安でたまらないと感じていたのが、ほんとうは、近くのスーパーまで出かけようとするときとか、ひとりで家にいるときとかに、不安がとくに強くなることが理解できるようになるのです。 際限もなく広がっていた不安が、今は小さな枠のなかに囲い込まれています。まるで、四方に転移する「悪性」の腫瘍が、被膜に包まれて大人しくなり「良性」のものに変化したようです。 治療者は不安が強かったときの出来事に焦点を絞り、そのときの様子を詳しくあなたから聞こうとします。 あなたは、映画をスローモーションで再生するように、出来事をゆっくり再現していくのです。 夕方、ひとりで買い物に出たときでした。出かけるときから緊張して苦しかったのが、レジで並んでいたときに、「それ」は襲ってきたのです。あなたは不安になって、結局、何も買わずに、一目散に自宅までたどり着きました。 その出来事を治療者に話すだけでもあなたには苦痛です。 ところが、レジで並んでいたときの不安について、治療者はさらに尋ねてきます。「そのとき、何を考えていたか、思い出せますか?イメージのようなものでもいいのです。そのとき、どんな考えやイメージが、あなたの心のなかをよぎりましたか?」 あなたは思い出したくない出来事を反芻するように求められるのです。「何も考えていませんでした。ただもう恐くて、早く逃げ出したかっただけです。」 そうあなたは答えます。 治療者は続けます。「もし逃げ出すことができなかったら、どうなっていたと思いますか?」 考えるだけで、あなたは苦しくなります。『レジに並んでいる人たちが不審げに私を見ている。』 あなたの心臓は早鐘のようです。息がつまってきます。『大声をあげてしまいそうだ。今にも倒れそうで、もう自分の行動をコントロールすることなど不可能だ。』 認知療法では、不安や抑うつ、怒りなどのさまぎまな感情に伴って心をよぎる思考やイメージを「自動思考」と呼んでいます。 不安になったり悲しくなったときのあなたの心のなかに、「自動思考」というものが存在していることなど、おそらくあなたはこれまでほとんど自覚していなかったでしょう。 パニックの認知療法では、不安とともに、どのような「自動思考」が心をよぎるのかを観察し、記録することが勧められます。ある状況下であなたの心のなかで起こっている出来事を、あなたがご自分で探っていくのです。それはセルフ・モニタリングと呼ばれる方法です。 いかがですか?紙と鉛筆を準備して、あなたもセルフ・モニタリングを始めてみませんか? 文献 鳴門教育大学人間形成基礎講座教授 井上和臣 ケ セラ セラ<こころの季刊誌> |