パニック障害とPTSD

医療法人 和楽会 理事長 貝谷久宣

 最近、自分のことをPTSD、正式には(心的)外傷後ストレス障害、だと自己診断する患者さんが多くなっています。これは先日、NHKテレビで放映された番組の影響でしょう。これらの患者の多くは、筆者からみればとてもPTSDと診断できるような人たちではありません。小学生の頃、母親にひどくしかられた思い出があるとか、父親にぶん殴られたことがあると訴えます。しかし、そのような出来事のとき以外は大部分の患者さんはごく普通にかわいがられて育てられているのです。PTSDの原因となるストレスは、日常的に体験するようなしろものではなく、戦争で捕虜になって拷問を受けるとか、突然大災害に見舞われて瀕死の重傷を負うとか、持続的な激しい虐待を受けて育てられるとか、といった筆舌に尽くせない恐怖と苦しみを味わった人にみられるものです。現在日本で通常にみられるPTSDの原因となる事件としては男性では交通事故、女性では性的暴行がもっとも多いようです。

 現代精神医学がPTSDと診断する状態についてもうすこし詳しく述べましょう。まず、生命の危険に迫るような重大な事件を自分が体験するか、他人が体験するのを目撃し、激しい恐怖感と無力感または戦慄におそわれるほどのストレスを経験することがこの病気の出発点です。そして多くの場合半年以内(6か月を越すと発症遅延)に次のような症状が出現するのです。ストレス源となった重大な事件に関連するおそろしい思い出が自分の意志に背いて繰り返し出現したり、その事件についてのいやな夢を重ね重ねみたり、さながらそのいやな事件の中にいるように行動したり、その事件を象徴するような事柄にふれると激しく心が痛んで不安の身体症状(手が震える、息苦しい、冷や汗、胸が痛い、心悸亢進など時にパニック発作となってみられる)が出現する、といったことが何度も何度もみられます。さらにまた、その重大な事件と関連する事柄を避けようとしたり、その事件を思い出すことができなくなったりします。そして、好奇心や社交性が豊かで、人を愛することができ、人生に希望がもって生きるといった情緒豊かな人間味が失われていきます。また、睡眠障害、いらいら、集中ができない、おどおど、小さなことにすぐびっくりする、といった神経衰弱状態を伴います。このような状態が1ヶ月以上続き3ヶ月未満であれば、急性外傷後ストレス障害、そして、3ヶ月以上続けば慢性外傷後ストレス障害と診断されます。もちろんこのような診断が下された状態下では、本人にとって非常に強い苦しみが続き、多くの場合この病気のために社会生活に大きな支障を来しています。映画ランボーの主人公を思いだしていただくのがPTSDの具体的な理解にはもっとも適切でしょう。ここで一つ注意をしておかなければならないことは、激しい恐怖体験をした人がすべてPTSDを呈するわけではないことです。PTSDにおいても与えられたストレスの強さと与えられた人の感受性の程度の間に相互作用が存在します。阪神・淡路大震災のときにPTSDは有名になりましたが、実際にPTSDの診断が正確につく人はさほど多くはなかったようです。マスコミの騒ぎすぎという感はぬぐい去れません。

 さて、パニック障害とPTSDの関係はどうなっているのでしょうか?PTSDの患者さんでも時にパニック発作が見られます。とくに、そのストレス源となったおそろしい出来事と関連する事柄に出くわした場合に、不安の身体症状が激しいとパニック発作として出現します。しかし、PTSDでみられるパニック発作はこの病気においては重要な症状ではなく、その主症状は外傷的事件の繰り返しの再体験と精神衰弱様状態および性格の変化です。PTSDでみられるパニック発作は、パニック障害にみられるような理由のない不意の発作ではなく、関連する誘発状況のみで発作が起き、パニック発作に対する予期不安はほとんどないか全くありません。このような状態をパニック障害とは診断しません。パニック発作があるPTSDとするのが適切でしょう。このような患者さんはさほど多くはありません。筆者は現在、交通事故後にパニック発作を起こした男性と夜間路上で突然理由なく不良グループに暴行を受け重傷を負いパニック発作を起こすようになった青年をPTSDの診断のもとに治療をしています。このような患者さんは私の診ているパニック発作を示す患者さんの中の1%にも達しません。

 反対に、パニック障害患者でPTSD的な患者さんが稀にみられます。これは、パニック発作が非常に激しく死を覚悟させるほどで、元来ストレスに弱い体質の患者さんにみられます。パニック発作自体が心的外傷となるのです。このような患者さんは、全く関係のない状況で自分の意に反してパニック発作の状況が視覚的にフラッシュバックとして出現します。このような状況は、けれども、ほとんど急性期のみにみられるにすぎず、治療が進みパニック発作が起きないようになりある月日がたつと自然に消失していきます。パニック障害の患者さんのほとんどは、パニック発作の記憶そのものは簡単に脳裏から去らないといいます。しかし、このおそろしい体験がPTSD的に発展する人はごくまれであると言えるでしょう。

 パニック障害はその病気の経過とともにいろいろな状態を呈します。パニック発作を起こす神経の過敏性がパニック発作症状としてではなく、過敏なこころとしてでてくることがあります。また、パニック発作を起こすことにより神経全体が過敏になり、その過敏症状が精神的に現れ、感受性が異常に高まることがあります。発作がおさまってくると腹が立って仕方がなくなったり、急に涙もろくなったり、今まで何とも思わなかった音楽に深く感動したり、購買欲が急に高まったり、パチンコなどのキャンブルに魅了されるなど、人により様々な心模様を示すようになります。このような感受性の亢まりが記憶の分野で賦活されることがあります。ある若い女性は、5年前、つきあっていた男性にお金を貸し、返却の要求に対してひどい暴行を受けたことを、パニック障害発病後半年ほどして急に強い怨念の情とともに繰り返し思い出すようになりました。その暴行場面とその男性のおそろしい面もちがフラッシュバックとして出現するようになりました。彼女は腹の虫を押さえることができなくなり、5年前の出来事をその男性の母親に訴えに行きましたが、あまりにも昔の話でその母親は何のことかとっさに理解できず、彼女を追い返してしまいました。それは彼女の激昂をますます高める結果となってしまいました。パニック障害でみられたこのような外傷的事件を繰り返し再体験するという点は、PTSD的な症状ということができるでしょう。

 以上述べましたように、パニック障害とPTSDにおいては臨床的な類似点が多々みられます。また、最近の脳研究において、PTSDでもパニック障害でも海馬の変化が指摘されていることは注目に値します。しかし、それでもパニック障害とPTSDは異なった病気であることは間違いありません。原因も治療法も予後も異なっています。筆者は、パニック障害の患者さんが自分はPTSDだと自己診断をし、原因ストレスを引き起こしたと自分流に解釈して周囲の人々に怨念を持つことは避けてほしいと思っています。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
Vol.21 2000 SUMMER