パニック障害はルネッサンス病
〜人間性回復のための病〜
医療法人
和楽会 理事長
貝谷 久宣
前回、「パニック障害発症の周辺」でも述べましたが、パニック障害の発症に先だって多くの患者さんは長期にわたって種々なストレスにさらされます。ストレスが頂点に達し、まもなく精神的な限界点でパニック発作を発症するのです。患者さんを診るにつけ、パニック障害患者は多かれ少なかれストレスに弱い人であることを実感いたします。では、そのようなストレスに弱い人とはどのような性格も持っているのでしょうか?「パニック障害の精神病理学」(日本評論社、2002)という専門家向けの本の中で筆者が引用した研究結果を紹介しましょう。
パニック障害患者の発病前の性格
一昨年医療法人和楽会のセミナーハウスで開催したシンポジウムに招聰したロンドン大学のマークス名誉教授(1979)は、多くのパニック障害の病前性格として、“やさしい、心配性、恥ずかしがり屋、依存的”という特性を挙げています。パニック障害という病気の考え方を世に出したコロンビア大学のクライン教授(1964)は、一生を通して慢性的な“分離不安”を示すといっています。分離不安の典型像は、初めて幼稚園に行った子供が母親と別れる際に不安になり泣き叫ぶ状態です。パニック障害の昔の診断名である不安神経症の病前性格について日本の精神医学者である長岡氏(1986)は、“明朗・活発・活動的・しっかり者あるいは勝ち気・強気・任侠”といった「軽快性−強がり性」と、“神経質・強迫性・粘着性・配慮性・内向性”といった「とらわれ−こだわり性」といった相矛盾した二つの傾向を併せつ患者が60%に見られたと報告しています。毎週土曜日に赤坂クリニックで診察をされている日本における不安障害のパイオニアである高橋徹先生(1989)は、不安神経症者の発病前の性格として、“責任感が強い・まじめ・几帳面(2/3以上)、気にし易い・緊張し易い(1/2以上)”を、発病後の性格特徴として、“気にし易い・緊張し易い(2/3以上)、責任感が強い・まじめ・几帳面(1/2以上)”をあげています。筆者らは、パニック障害患者、男性62名、女性94名に自分の病前性格傾向を2者択一で表現していただきました。その結果、多くの患者さんは自分のことを、“敏感、親切、協調的、おしゃべり、社交的”であると思っていることが明らかになりました(貝谷、1999)。海外でなされた念入りな調査では、パニック障害患者は「自己主張ができず依存的」、「世間体を気にして自分が悪く言われることを恐れる」「怒りや批判に弱く他人に追従する」と自己観察した人が多いと言われています(クライナーとマーシャル、1987)
パニック障害をどう考えるか?
筆者はこのクライナーとマーシャルが示したマイナス面的な人間像がパニック障害の発症に大きく関わっていると考えます。クリニックでは東大式エゴグラムという行動パターンを調べる心理検査を初診の患者さんすべてにやって頂いています。この検査ではパニック障害の患者は、自己犠牲タイプ(自分の羽で反物を織る夕鶴の主人公のような人々)、井の中の蛙タイプ(自分が不幸であると思い込んでいる世間知らずの人々)、仕事中毒タイプ(仕事をやっていないと落ち着かず、趣味とかくつろぎを忘れた人々)を示すことが多いことがわかっています。このような人々は些細なストレスにも過敏に反応して悩みます。要するに、パニック障害の患者さんたちの発症前には、追いこまれた、息の詰まるような、不安定な、いつもびくびくした、人生を楽しむことからは程遠い状態にあった人々が多いと想像することができます。まさに心が束縛された精神的な奴隷状態です。パニック障害の発症によりこのような状態の壁はいろいろな意味で破られていきます。そして、病前のこのような非人間的な状況が発病により少しづつ変化していきます。筆者は、このプロセスを人間性回復一ルネッサンスだといいたいのです。もちろん、人間性回復がすべての患者さんに幸せをもたらすとは限りません。いろいろな環境に置かれた様々な患者さんたちのそれぞれの立場に応じた病気の結果というものがあるでしょう。いずれにしろ、パニック障害という病気を発病することにより、人生の生き方が大きく変えられていきます。このような人間性回復の過程が幸運にも上手く行った事例について以下に述べてみましょう。
Aさんの事例−発病前
Aさんは35歳の主婦です。背が高く、大きなひとみのエキゾチックな雰囲気を漂わせた美人です。製紙会社に勤める夫と結婚して13年目ですが、子供に恵まれていません。Aさんは3姉妹の次女で、短大を卒業して3年目に今の夫と職場結婚をしました。夫はAさんより5歳年上のよく気がつく根はやさしい技術屋です。男兄弟3人の長男として生まれ、学生時代は森林研究サークルの部長をしてきた世話好きな人間です。結婚を機に親が建ててくれたマイホームの庭が自慢でした。休日になると野山に出かけて野草や苗木を採ってきて自分の庭に植えました。夫好みの良く手入れされた庭でした。結婚当初は休日に2人で郊外に出かけ植物採集をし、2人で庭の手入れをしていました。Aさんにとっては楽しい新婚時代でした。しかし、夫の仕事が忙しくなるとそのような時間は少なくなり、朝、出勤前に、今日は西側のかどの草取りをしておいて欲しいなどと夫はAさんに注文をつけて出かけました。始めのうちは、夫の注文に従いせっせと庭の手入れをしていました。そのうちに夫の注文はだんだん厳しいものになり、雑草が1本でも残っていると目に見えて不快そうな表情をするようになりました。夫は口に出してAさんを非難することはありませんでしたが、Aさんにとっては夫の不機嫌な表情はそれ以上につらいものとして受け取られました。朝、庭を眺める夫の様子を遠くから息をひそめて見るようになりました。Aさんにとって庭の手入れは少しも楽しいものではなく、つらい義務に変わっていきました。Aさんは夫の顔色をうかがわなければならない妻になってしまいました。庭のこと以外では、やさしくおもいやりのある模範的な夫でした。週末に、今晩は上手いステーキでも食べに行こうと夫に君われると、しかし、Aさんは自分のご機嫌をとってもらっていることに対して夫に気を使ってしまいました。ですから、Aさんが夫を非難したり不満を述べる口実は表面的にはまったくありませんでした。しかし、他人から叱責されたり非難されることに対して極度に過敏なAさんの生活は息の詰まるような日々でした、Aさんは夫がほんのわずかに不機嫌な顔をしたときでさえ、それを笑い飛ばして話題を変えるほどの精神力は持ちあわせませんでした。Aさんは、庭は常に手入れが行き届いていなければならない、それは全部自分の責任であると自分で自分を束縛してしまう思いにとらわれていました。そして、無意識のうちに、夫は自分を監視する恐ろしい人になっていました。Aさんは、前述のクライナーとマーシャルのいう「自分が悪く言われることを恐れ、怒りや批判に弱く、他人に追従し、自己主張ができない」役を演ずる典型的な人間を結婚生活で露呈していきました。
パニック障害の発症とその後
そんなある日、32歳の誕生会をフランス料理店で夫にしてもらい、ワインをたっぷり飲んで帰りました。しかし、その日は、朝から“君の誕生日を祝ってあげよう”という夫の言葉が心のどこかに引っかかっていました。自分以外の人、夫でさえ、人が自分に何かをしてくれると言われるとお返しをしなくてはならないということが気になってしまうというのです。その楽しいはずの記念日の夜、Aさんはベットに入って間もなく激しいパニック発作に襲われました。心臓の鼓動は天にまで届き、全身は震え、手足はしびれ、自分がどこの誰かと煩悶する夢かうつつの状態が30分以上続きました。その日を境にして、Aさんの生活は激変しました。時場所を選ばず襲ってくるパニック発作と離人症におびえ、終日自宅に閉じこもる生活が続きました。夫がインターネットでAさんの病気を調べてくれて、パニック障害ということがわかりました。会社の休みを取りやっと専門医の治療に連れて行かれたのは発病後半年経ってからでした。治療は上手く進み殆ど発作は生じなくなりました。しかし、発作が消えるのと前後して、激しいうつ状態に襲われるようになりました。午後4時過ぎになると、やるせない孤独感が襲い、理由もなく涙があふれます。そして居ても立ってもおられない焦燥感が生じてきます。大声で泣くこともしばしばでした。そして、その焦燥感が去った夜更けになると、急に甘いものを食べたいという衝動に追いやられ、台所へいって手当たり次第に食べ物を口に入れます。発作がおさまってから3sも太ってしまいました。また真夜中に突然目が醒め悶々とする日も多くなりました。当然のことながら朝の目覚めが悪く、ベットから起き上がっても全身に鉛を打ち込まれたように身体が重く、夫の朝食の準備さえ容易ではありません。そして、些細なことに腹が立つようになりました。或日、朝刊が入っていませんでした。早速地区の新聞集配所に電話をいれ苦情を言いました。言い訳を聞くとますます腹が立ち、さらに攻撃的となりました。代理店の人がお菓子を持って謝りにきてもまだ怒りが鎮まりません。自分でもこれは怒り過ぎだと感じても、自分の感情をコントロールすることができません。Aさんはそのことに対しても激しい自己嫌悪感に見まわれました。そのうちに、庭仕事はもちろんのこと、家事は殆どできなくなりました。近くに住む夫の実家から姑がきて掃除・洗濯をやってくれていました。Aさんは日中は殆どベットの中で過ごしました。気が向くと自分の好きな俳優の主演するテレビのドラマを少しだけ見ました。真夜中になると元気になり、インターネットに向かいます。そのうちに、人形のネット販売にはまってしまいました。一体数万円もする人形を次々に注文しました。家計を省みることなく、定期預金を下ろし、100万円近くも人形に使っていました。人形を自分の部屋で見ているだけで、気分が安らぎ癒されるというのです。夫は、しかし、パニック障害についての病状を本やクリニックで開かれたパニック障害の講演会で一生懸命勉強してくれました。Aさんの自分勝手でわがままな行動や買い物狂い、そして怒り発作が病気の症状であることを知り、Aさんを非難することはありませんでした。病前の人となりからは想像もできないほど激変してしまったAさんの行動はパニック障害という病気に引き続く、パニック性不安うつ病に罹ったために出てきた一過性の性格変化だということをしっかり理解してくれたのです。夫の暖かい見守りと、担当医の指示に従った服薬で、そして、マイナス思考を是正する認知療法志向の心理カウンセリングにより、行きつ戻りつではありましたが、Aさんの病状は確実に好転していきました。
Aさんの述懐
発病後3年経ったある日の診察室で、Aさんは病状と最近の生活振りを話してくれました。週に1回か2回、目の前がちらちらするような軽い小発作があるが、不安感もないしあまり気にならないと。週末は夫と温泉に行ったり、美術館めぐりをしたりしてゆったり暮らしていると。また、毎日1時間の散歩を欠かさないと。結婚して10年以上過ぎたせいか、夫と一緒にいても気詰まりな気持ちになることはなく、自分の言いたいことを夫にはなすことが出きるようになったと。余裕を持って夫の気持ちを察することに出きるようになったと。自分に少しずつ自信を持てるようになったなどと述べました。
パニック障害は人生行路を変えるルネッサンス病
Aさんは、広場恐怖を伴うパニック障害の発症に引き続き、パニック性不安うつ病を発展させ、その中で自己中心的な行動にふけるようになりましたが、恵まれた治療環境で徐々に回復していきました。Aさんの経過を見ているとパニック障害は人間性回復の過程をたどる病気ールネッサンス病だということが理解していただけると思います。Aさんのような幸運に恵まれなく、不運にも離婚をしてしまう患者さんもしばしば見うけますが、その不運の中でも患者さん自身は人間性に目覚め、自分を再発見していると思います。そのようなことから、それぞれ、どの患者さんにとってもパニック障害はルネッサンス病であるということができます。病気を憎むのではなく、病気にかかったことにより、より良い人生を再発見していただける患者さんが一人でも多いことを筆者は願っています。
ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.34 2003 AUTUMN
|