パニック障害の発病は氏か育ちか?
その(2)環境要因は発病に関係するか?
幼小児期の心的外傷は?
精神障害の原因として幼小時期の心的外傷が問題になることは古くから言われていました(Breuer
& Freud,1957)。また、幼小児期に親と別れるとうつ病や不安障害が多く発症するということも注目されてきました(Bowlby
1973)。では、パニック障害ではどうでしょうか? 筆者らは以前パニック障害患者の幼小児期の養育のされ方について調査しました(Someyaら2000)。104名の患者さんと103名の健康な人を対象として比較しました。パニック障害患者は総じて健常者に比べて、両親から拒絶されることも過保護にされることも多いことがわかりました。そして、母親ではなく父親が好きだという人がパニック障害では多いことが明らかになりました。さらに、広場恐怖を伴うパニック障害患者では、この傾向がより顕著で母親の愛情を感じる人がより少ないことがわかりました。また、広場恐怖を伴なわないパニック障害患者ではより多くの人が、父親が好きであると答えました。ここで明らかにされた両親による拒絶と過保護という両極端の態度は精神分析学者もパニック障害の発症要因として考えられているようです。
筆者の友人でもあり、ドイツのパニック障害研究の第一人者であるゲッチンゲン大学のバンデロー教授は、パニック障害患者115名と健常者124名の15歳までの子供時代に受けたトラウマについて調査しています。それによると、激しいトラウマを経験した人は、パニック障害患者では68.7%であり、健常者では37.1%で、明らかにパニック障害患者では幼小児期に精神的な打撃を受けていた人が多いという結果でした。トラウマの種類を詳しく調べてみると、パニック障害患者に統計学的に有意に多く見られた不幸な出来事は、父親の死、両親と離別してほかの人に育てられた、長期間病気にかかっていた、父または母がアルコールを乱用していた、父または母から暴力を受けた、父が母に暴力をふるっていた、大人に性的虐待を受けた、といったことがあげられています。これら日独の研究結果から共通したことが浮かび上がってきます。ドイツの研究では母親の死はパニック障害発症に大きな影響を与えておらず、日本の研究では母親の愛情を感じる人が少なく、父親が好きであると答えた患者さんが多いということです。筆者もパニック障害患者を多く診る日常臨床の中でパニック障害の母親は職業を持ち、患者さんが小さいころに接触を保つ時間が少ない人が多いような気がします。また、パニック障害を持つ人は親であっても母親には遠慮し“よい子”ぶってきた人が多いように思います。
大人になってからのライフイベントは?
パニック障害の発症前に重大な人との離別や死別が報告されています。Klein(1964)は32人の患者中16名に、Raskinら(1982)は17名の患者中9名に、Breierら(1986)は60人の患者中38名にそのような“深刻な別れ”を経験したと報告しています。また、人間関係の葛藤を契機として広場恐怖が発症したと報告する学者もいます(Lastら1984)。これらの研究は対照を置かない研究ですが、近年の研究はより科学的になされています。Roy-Byrneら(1986)はパニック障害患者44名と健常者44名の過去1年間のストレスフルなライフイベントを調査しました。その結果、パニック障害患者では明らかにライフイベントが多く、中でも脅迫的なものが多かったことを報告しています。ただ、これらのライフイベント中のストレスを調査した研究では、パニック障害患者では感受性が亢進し、健常者ではストレスと感じないことでもストレスと感じてしまうということも考慮することが大切だと指摘されています。
膨大な資料でストレスがパニック障害の発症に関係することを示した重要な論文があります(Jordanら、1991)。ベトナム戦争は世界中に大きな影響を与えました。参戦した兵士1632名を11年〜24年後に精神医学的な詳しいインタービューがなされました。その結果、死ぬか生きるかの激しい戦闘にかかわった兵士の6割以上何らかの精神障害があることがわかりました。これらの高度戦闘ストレス暴露群は男性でも女性でも診察前6ヶ月間におけるうつ病やパニック障害が戦闘を経験していない人に比べて有意に多く見られました。この研究結果から言えることは、死ぬか生きるかの高度ストレスにさらされた人は10年以上たった後でもパニック障害が発症する危険性が強いということです。
ストレスとパニック障害の関係は微妙です。絶対的、断定的にはいえませんが、やはり発症には大いに関係があると考えられます。
身近なストレスはパニック障害の発症に関連する?
プライバシーを侵害しないように、筆者が診察室でよく聞くパニック障害の発症に関係したと思われるストレスを述べましょう。まず第1に問題になるのが夫婦の問題です。これはバンデロー教授も彼の本に書いていましたが当事者がストレスと意識していないことがしばしばあります。妻が夫に気づかないうちに精神的に束縛されてしまっているケースです。パニック障害になる人は元来やさしく自分の気持ちに反しても相手の意思に沿おうとする人が多いのです。パートナーが多少ともワンマンであると主従の関係がどんどん先鋭化していきます。そして遂に従に耐え切れない状態でパニック障害が発症するのです。主になる人が発するのは肉体的な暴力だけではなく言語的暴力もしばしばあります。パニック障害になった子羊は飼い主の呪縛から逃れることが大変難しいのです。しかし、ひとたび発病し、パニック発作が治まる時期になるとうつ症状がみられます。そしてそれに伴い、パニック性性格変化が出現します。それまでの従順で穏やかな性格が180度逆転します。これにより、かわいそうな子羊は広い野原で自由気ままに飛びまわることができるようになります。まさにパニック障害は人間性回復―ルネッサンス病です。
最後に、盆正月に悪化する患者さんがいます。これは、夫の故郷に帰り舅姑に会うことのストレスによるものです。21世紀になってもまだまだ嫁姑の問題は日本女性の重大な人生問題のひとつです。
医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣
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