人知れず泣く人々

医療法人 和楽会 理事長
 貝谷 久宣


Que Sera Sera VOL.50 2007 AUTUMN

 他人の涙があなたの手にポツリ落ちてきた時、あなたはどのように感じますか? 他人の汗やつばきならすぐさま汚いと思ってしまうでしょう。しかし、涙は違いますね。ある学者は、体内のものが外部に排出されると、とたんに汚物になってしまうといっています。唾液も汗も血液もすべて、それが体内にとどまっているあいだは誰も汚いものだとは思わないでしょう。老廃物の大小便さえ体内にあれば汚物とは考えられないのではないでしょうか。ところが、涙だけは別です。“真珠のような涙”という表現があるように、涙はむしろ清らかで美しいものと認識されることがしばしばあります。それが美女のものならなおさら。

 米国のある調査によれば、女性の85%、そして男性の73%は泣くことにより気分が楽になったと報告しました。すなわち、泣くことは精神を浄化させる、手間のかからない気分発散法であります。泣くと言うカタルシス的行為は、それだけでなく、体内の毒素を吐き出すという作用も推定されます。目に異物が入って出る涙と激しい怒りのあまりに出る涙には違いがあるとリポートされています。この激しい情動による涙にはアドレノコルチコトロピンというストレス・ホルモンが含まれているそうです。

 或る女性閣僚の涙ながらの答弁を“涙は女の最大の武器”と言って、国会で懲らしめられた総理大臣がいました。人前で流す涙にはいろいろな意味合いが考えられます。それには、悲哀、無念、歓喜、感激、安堵、光栄、怒り、攻撃、哀願 等々の情が複雑に絡み合っていると考えられます。さてここで涕泣と情動の関係について、柳田国男の「涕泣史談」を引用している山折哲雄の「涙と日本人」というエッセイの中の一文を紹介しましょう。“われわれの常識では人は悲しいから泣くと考えているが、しかしそれは古来の日本語を誤解した結果ではないか。なぜならカナシ、カナシムという古代語は、切実な感動そのものをあらわす言葉だったのであり、かならずしも悲や哀のような不幸な響きをもつものではなかった.....」と。

 次の文をどなた様かがホームページに記しているのを発見しました。“なぜだろう?突然涙がこぼれることがある。悲しくもないし、泣きたい気分でもないのに、くしゃみやあくびが出る様に、自然に涙があふれてくる。悲しみの涙は悲しい匂いと色をもっている。歓喜の涙は輝きと熱い温度を持っている。でもこの涙には匂いも色も温度もない。もしかしたら他の誰かが僕の目の奥に涙を送り込んでいるのかもしれない。”人間も海がめの産卵時のように感動なしで涙が出ることがあるのでしょうか?最近、筆者は診察室で、抑うつ状態がある若い患者さんに“独りになったときわけもなく涙が出ることがありますか?”と質問します。半数以上の患者さんは“はい”と小声で答えます。そのような典型的な事例について記しましょう。

 23歳の女性です。3ヶ月前からパニック発作が起きるようになって診察に訪れました。大学家政学部を卒業して食品会社の研究室に就職して2年目になります。夜の10時ごろ自室で何をするともなく過ごしていたら、急に涙が出てきたそうです。自分でも不思議に思っているとまもなく“さびしい!”という気分に心が覆われました。それは、テレビのチャンネルを変えるごとくフッとあらわれる情動の変化です。さびしい気持ちと同時に取り残されてしまったような、そして、取り返しがつかない、なんともいえないいやな気持ちに陥っていきました。次に、1週間前に会社であった情景が突然目の前に浮かんできました。自分はまだ研究室の整理をしているときに新入社員数名と自分より2年先輩の同僚が楽しそうにこれから近くのレストランに食事に行く話をしているのです。仲間の輪に入れない惨めな自分が黙々と部屋の跡片付けをしている光景でした。自分がフラシュバックを見ていることに気がつき、我に帰ると涙はあふれるばかりに出ていました。このような事は女性だけには限りません。女性の半数以下ですが男性でも見られます。この状態を筆者は「不安・抑うつ発作」と名づけました。パニック障害の人でも、社会不安障害の人でも“うつ”が出始めているとこのような症状が見られます。もちろん、不安障害と診断されない非定型うつ病の人でも良く見られます。不安・抑うつ発作は心療内科にかかろうとする気持ちが起こるよりもずいぶん前から生じていることもあります。先日、診察した30代の女性は15年以上前からあったと述べていました。また、パニック発作を経験した後に初めてこのような状態を経験することがあります。不安・抑うつ発作はある意味ではパニック発作に非常によく類似しています。突然不意に理由がなく出現します。それは自分の意思に関係なく出現するのが大部分です。パニック発作では身体的な症状(動悸、呼吸困難、めまいなど)が前景にでますが、もちろん強い不安を伴います。パニック発作では流涙はほとんどありません。不安・抑うつ発作では身体症状よりも精神症状(激しい陰性感情の波)が主ですが、息苦しさや動悸、発汗などの身体症状も多少は伴います。不安・抑うつ発作は一日のうちで出現する時期が大体一定していることが多いようです。7割〜8割は夕暮れ少し前から深夜にかけてです。リストカットやオバードーシスは、良く聞くと、ほとんどこの状態に陥っている時に起こっています。このようなことから「不安・抑うつ発作」には3つの大きな意義が考えられます。第1には、うつ病の前駆症状として発症よりかなり前に見られること。第2には、自傷などの問題行動はほとんどこの不安・抑うつ発作中にみられるということ。第3にはこの症状があるあいだは健康な心とは言えず、治療ターゲットとしての意義があります。

 この不安・抑うつ発作が病的であると考えられるのは健常者の泣く行動とは全く逆の過程を経過することです。健常者が泣くのは情動を激しく揺り動かす事象があり、次に感動が生じ、そして、流涙します。多くの患者さんではその反対の過程をたどることが多いのです。その意味で不安・抑うつ発作は病的な心的過程と考えられます。ではなぜこのようなことが起こるのでしょうか。前述の山折哲雄のエッセイをもう一度引用しましょう。“(柳田の)エッセイのなかでかれは、このごろの日本人は泣かなくなったという。子どもたちのあいだでも、泣き虫や長泣きがみられなくなった。「泣く子は育つ」という類の諺もすでに死語になっているではないか。「男は泣くものではない」という教訓がこれまであったが、それは裏からいえば、女なら大人でも泣くべしと承認していたことだった。けれどもそれがいつのまにか、男でも女でも一様にめったに泣くことがなくなった、泣いてはいけないことになった。なぜ、そうなったのか。それは日本人の言語表現能力が向上したからである、というのが柳田の一応の結論だった。”この理屈を裏返せば、涙のような身体言語は言語表現能が低下しているときに出現しやすいと言えるのではないでしょうか。不安・抑うつ発作を持つ患者さんの心の奥深くに言葉に出せない悲哀感や孤独感が渦巻き、それがなんでもないときに溶岩のように噴出してくるのでしょう。言葉が自由自在に操れることには前頭脳の発達が必要です。クリニックでは最近、不安・抑うつ発作のある患者さんを近赤外線スペクトロメトリーという器械で検査したところ、多くの患者さんでは前頭部の血液の流れが作業負荷をかけても上昇しないことが明らかになりました。このようなことから不安・抑うつ発作は前頭葉機能低下と関係しているのではないか、と筆者は考えています。ですから、不安・抑うつ発作を持つ患者さんの治療には、心のうちを隅々まで話させるという言語化の訓練が非常に大切であると考えられる所以です。私たちはこのようなことを念頭において、不安・抑うつ発作のある患者さんに対する認知・行動療法を考えています。