パニック障害における特定の恐怖症 特集: 貝谷久宣(Hisanobu
Kaiya) 宮前義和(Yoshikazu Miyamae) 村岡理子(Michiko
Muraoka) 宮野秀市(Hideiti
Miyano) 山中学(Gaku
Yamanaka) 抄録 特定の恐怖症の臨床特徴を簡単に述べた。次にパニック障害の自検例130名について特定の恐怖症の検討をした。その結果パニック障害に特定の恐怖症が先行する割合(受診時での存在をとわない)は39.3%であった。特定の恐怖症の亜型分類では自然環境型が54.3%と最も多かった。特定の恐怖症が先行するパニック障害患者群は先行しない群と較べると統計学的有意に女性が多く、予期不安が頻繁で、恐怖性回避の頻度が高かった。次に受診時なお著明な特定の恐怖症が認められたパニック障害の1症例を記載し、バーチャル・リアリティーによる暴露療法の中間経過を報告した。 はじめに 著者に与えられたテーマは特定の恐怖症の長期治療計画であったが、特定の恐怖症の薬物療法に関する研究報告ははなはだ少なく上記のごとくにテーマを変更した。特定の恐怖症の一般人口中における有病率は10%から11.3%と高いが1)、実際に診療を求める患者は非常に少ない。著者らのクリニックは不安障害の患者を集中的に診療しているが、特定の恐怖症のみを主訴として受診する患者は1000人に1人前後である。著者らのクリニックを受診する不安障害患者の大部分はパニック障害である。パニック障害患者の既往歴を調べると特定の恐怖症を示すものはかなり多い。それ故、本稿ではパニック障害における特定恐怖症について報告する。 特定の恐怖症の基本的病像 DSM−W 1) に従うと、特定の恐怖症の基本病像は、はっきりと他から区別ができるある特定の対象や状況に対して持続的に過剰な恐怖心を抱く状態である。この対象や状況は様々であるが、環境的および文化的な影響を受けることがある。特定の恐怖症はその対象や状況の種類によって5つの亜型に分類され(表1)、各亜型の特徴が認めらるので(表2)、この障害の同質性は乏しいと考えられている。 恐怖心を持つ対象物や状況にさらされると即座に不安反応をほとんど常に生じる。この反応は反射的であり、考える隙を与えないほどの瞬間で生じるので、認知―反応にかかわる神経機構の障害を考える研究者もいる。この不安反応は、時に、パニック発作に至るほど激しいものである。 この恐怖心について、成人であれば本人自身が過剰で理にかなっていないと感じるが、小児ではこの限りではない。成人でこの病識がない場合には、精神分裂病や妄想性障害を考慮する必要が出てくる。 恐怖の対象は多くの場合回避されるかまたは強く嫌悪感をもたれる。そのため日常生活(職業、家事、交際)に何らかの支障を来す。 18歳未満では病期は6ヶ月以上であることが必要である。 次に、パニック障害との鑑別診断の要点を示す。特定の恐怖症状況型(運転恐怖、閉所恐怖など)と広場恐怖を伴うパニック障害の鑑別は困難なことがある。基本的には前者はまず恐怖症がありパニック発作を生じることもあるが、後者ではパニック発作が生じた結果、ある状況に対して恐怖感を持つようになる。しかし、最も重要なことは、特定の恐怖症では、パニック障害のように侵入性の不安(理由のない不意の不安)を認めず、予期不安の程度が軽いことである。 パニック障害における特定の恐怖症 1997年11月より1998年3月までの間になごやメンタルクリニックを受診したDSM−Wに基づいてパニック障害と診断された患者130名を対象とした。そのうち有効な回答が得られたのは117名(男性;46名、女性;71名)であった。特定の恐怖症の診断はDSM−Wの診断基準に従ったが、E項目を充たさなくとも特定の恐怖症とした。すなわち、日常生活に著しい支障を来さなくとも嫌悪感が非常に強ければ特定の恐怖症とした。このようにして、パニック障害の発症に先行して特定の恐怖症が認められた患者は117名中46名(39.3%)であった。この特定の恐怖症は受診時に存在している場合もいない場合もある。特定の恐怖症の発症年齢は7.1±3.7歳であった。パニック障害患者の示した特定の恐怖症の病型は動物型12名(26.1%)、血液−注射−外傷型 4名(8.7%)、状況型 10名(21.7%)、自然環境型 25名(54.3%)、その他の型 14名(30.4%)であった(重複回答)。特定の恐怖症の病型と広場恐怖の関係をみてみると、広場恐怖の高度な患者は動物型が多く、広場恐怖のない患者は状況型に多かった。また、特定の恐怖症の病型と二次的社会恐怖の発症との関係は特に認められなかった。 パニック障害における特定の恐怖症のcomorbidityの頻度は47% 3)、44% 10)、40% 9)、20% 4)と大部分の研究は本報告より高い。特定恐怖の状況型を示す患者は後になり広場恐怖を伴うパニック障害になりやすい 3) とか、広場恐怖になる危険性が大きい 5)といわれている。また、DSM−Wでも状況型はパニック障害との類似性が強いとしている。しかし、本研究では自然環境型の頻度がもっとも高く、状況型はさほど多くはなかった。また、運転恐怖や高所恐怖は発症年齢が比較的遅く、広場恐怖を伴うパニック障害に類似性が高いと述べる研究もある 2)。 次に、特定の恐怖症のある患者群46名とない患者群71名について、病歴や臨床症状を比較した。(表3)に示すごとく、特定恐怖症が先行したパニック障害患者は特定の恐怖症の既往のない患者に比べ、統計学的有意に、女性の割合が多く、予期不安が頻繁で、恐怖性回避の頻度が高かった。パニック発作症状の頻度をみると、受診時のパニック発作症状のうちのしびれのみがが特定の恐怖症先行群で有意に少なかった(10.8%:29.3%)。この結果から、特定の恐怖症が先行するパニック障害はパニック障害の中でも恐怖症状がより強い一群と位置づけることができると言えよう。 |
暴露療法による治療中の症例 特定の恐怖症の治療は薬物療法よりも行動療法が重視されている。まだ継続中であるが、最近、筆者のクリニックで始めた家庭用頭部映像表示装置を利用したバーチャル・リアリティーによる雷恐怖の暴露療法についてその症例の概略と治療手続きについて記す。 症例報告 症例は43歳の主婦.夫は病気で入院中,長男は独立しており,現在は高校生の長女と二人暮らし。 生活歴;幼少時から臆病でカマキリを非常に嫌った。物心つく頃から薄暗がりに幽霊を見たり、人の近づく足音を感じたり、時には肩に手をかけられたと思ったり、次に起きることを予知したりといったことが高校生の頃までしばしば認められた。幼少時の患者の母は強い雷恐怖を持ち、雷が鳴るとコンセントを抜くよう患者に命じ、自分は布団にもぐったり、押入に頭をつっこんすることがよくあった。しかし、幼少時の患者には雷恐怖はなかった。地元の女子高校を卒業後百貨店に勤め、23歳の時に5歳年長の現在の夫と職場結婚し、専業主婦となった。 家族歴;母は前述のごとく特定の恐怖症、父は健在であるが父方の二人のおばがうつ病であった。19歳になる長男、と16歳の長女は健康。 現病歴;26歳で第2子を出産した頃より次第に雷が恐くなりはじめた。5年程前(38歳頃)から雷に対する恐怖が非常に強くなり,雷鳴を聞くと家の雨戸を閉め,耳栓をしたうえで消音用のヘッドフォンを装着し,布団を被って雷が過ぎ去るのを我慢するようになった.また,一日に何度もテレビの天気予報で天候を確認し,「大気が不安定」,「寒冷前線」,「低気圧」等の言葉に雷を連想して不安を感じ,「大気が安定している」という言葉を聞くと安心するという.雨が降りそうな日や,晴れていても午後は,天候の変化を恐れて外出が困難である.子供が大きくなって自分一人で家にいる時間が増えたため,ここ数年で雷に対する恐怖は年々増加し,雷のことが一日中頭から離れず,日常生活が非常に阻害されていた。 8年前、35歳の時、日本酒を5合以上飲み酔っぱらいながら家の中を掃除し始めたら、息切れ、窒息感、吐き気、手足の震え、死の恐怖からなるパニック発作を起こし救急車を呼んだ。それ以後パニック発作が頻発するようになり、一人で自宅にいることが非常に不安で夫に頻回に電話をするようになった。パニック発作は風邪をひいて体調の悪い時に不安に感じそれがきっかけで生じることもあったが、全くリラックスしているときに不意に襲ってくることもあった。 平成10年11月,赤坂クリニックを受診する前2年間は、発作は全くなく、初診時、中等度の広場恐怖および非発作性不定愁訴(喉のつまり、息苦しさ)が見られた。これらは薬物療法により速やかに安定した。パニック発作を恐れて外出を困難に感じることはないが、雷が生じたときに自宅に一人でいる恐怖感はなお激しく、雷恐怖のために生活に支障を来している状態が続いた。そのため、本人の強い希望により雷恐怖の行動療法を行うことになった。なお、患者本人は雷恐怖とパニック障害は全く別ものであると考えているが、全体の経過から見てみると、パニック障害発症3年後頃より雷恐怖が悪化したと考えられる。これはパニック障害の発症により恐怖対象の般化と強化が生じたものと考えられるが、パニック障害の軽快は、雷恐怖の病状には変化を与えていない。 <治療手続き> 患者にバーチャル・リアリティーによる暴露療法の説明がなされ,患者の同意が得られた後,治療が開始された. 1.恐怖刺激と呈示装置 <中間結果> 患者は頭部映像表示装置による雷の映像と音響について迫力感があり現実と変わりなく恐怖を感じると述べている。1週間毎の3回のセッションで患者は恐怖感の低いビデオテープによるバーチャル・リアリティーには恐怖感を感じなくなったと述べている。また、この時点で、父と夫の入院というストレスフルな状況に追い込まれているにもかかわらず、自ら窓を開けて遠くの小さな雷を見ることができたと述べている。最終的な結果は別の機会に報告する予定である。 <文献的考察> これまでの雷恐怖治療の方略は,治療室内で投光照明器やテープレコーダー等の装置を使って実際の雷に似た映像と音声を呈示するエクスポージャー 6) やプラネタリウムで雷をシミュレートするエクスポージャー 7) が行われてきた.しかしながら,プラネタリウムや投光器等の装置を利用するエクスポージャーは,治療室内で治療が行えない,もしくは大がかりな装置の設置が必要である,等の点で時間的,コスト的な問題があった。ところが,近年,バーチャル・リアリティーを利用して恐怖刺激を呈示する暴露療法の研究が始められている.Rothbaumら(1995) 8) は、高所恐怖や飛行恐怖,閉所恐怖等の自然環境や状況を対象とした単一恐怖の治療にバーチャル・リアリティーによる暴露療法が有効であることを示した。著者らの使用した装置は彼らのものに較べ、大がかりではなく安価な装置で所期の目的を達することができる。 文献
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