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パニック性不安うつ病にみられた
Eating Disorder Not Otherwise Specified
(むちゃ喰い障害)

貝谷久宣
医療法人和楽会 パニック障害研究センター

山中 学, 熊野宏昭
東京大学医学部付属病院分院 心療内科

Bulimiaの臨床
-病態と薬物療法の可能性-
44-49, 2000

 パニック障害において時折り見られる過食症を呈した症例を呈示し、その疾病論的位置づけと薬物療法について検討する。

症例呈示

【症例】 25歳 主婦

 家族歴:母親が40歳頃より現在まで18年間”自律神経失調症”の治療中。母方叔母が20歳代より現在まで20数年間うつ病の治療中。入院歴有り。 既往歴:0歳時先天性股関節脱臼を手術。小学生の頃より時に不整脈があり、受診することがあった。高校3年時バセドウ病を発病し、2年間服薬した。

 生活歴:父親(52歳)は青果市場の仲買人、母親(55歳)は美容師18名を雇用する大型美容院を経営。5歳年長の既婚の兄はグラフィック・デザイナーとして活躍している。患者は小さいときから親切で人の面倒をよく見、小中学校時代、常にクラス委員を務めていた。人前では明るく主導タイプであるが、一方、神経が細かく、人間関係に一人だけで悩むことが多かった。地元の名門私立女子中学校からその短大を卒業。卒業後、ブティックに2年余勤め、21歳時12歳年長の新聞記者と結婚した。

 現病歴:結婚して半年たった22歳時に、就寝直前にベッドに横たわっているとき、不意に、心悸亢進、発汗、手足の震え、呼吸困難、胸痛、腹部不快感、めまい、非現実感、手足のうずき、体全体の熱感、口の渇きからなるパニック発作に襲われた。2ヶ月後に2回目のパニック発作が生じた。その後発作が頻繁に生じるようになり、食欲が低下し、体重は45kgとなった。その頃、某心療内科を受診しパニック障害と診断され、抗不安薬、抗うつ薬および抗精神病薬の治療を受けたが、不全パニック発作がなお持続し、広場恐怖が発展していった。治療開始して1年後の23歳時、頭痛、全身倦怠感、理由のない不安感などの非発作性不定愁訴のために、バレエのレッスンが十分に受けられず、発表会に出場がかなわないことをきっかけに気分が落ち込むようになった。その後、不全パニック発作、非発作性不定愁訴、抑うつ気分の消長が続き、25歳4ヶ月時に転院してきた。初診2ヶ月前から、入眠困難、中途覚醒が著明で、全身倦怠、興味・意欲の減退、食欲増進症状が憎悪してきた。体重は1年前から増加し始め1年間で16kgの肥満が認められた。転院時処方は、ロフラゼプ酸エチル(メイラックス)4mg、レボメプロマジン(レボトミン) 10mg、アミトリプチリン(トリプタノール) 30mg、マレイン酸フルボキサミン(デプロメール)75mg、ベゲタミンB1錠で、その他にアルプラゾラム(ソラナックス)0.8mg錠を1日6回前後、不安時に頓用していた。

 初診時所見:この3ヶ月間パニック発作はないが、冷や汗、動悸、四肢冷感および理由のない不安感が持続的、または発作的に出現していた。睡眠時パニック発作の既往があった。高度の予期不安のため回避性行動が著明で、ほとんど家庭に縛られた生活をしていた。このような事実から「広場恐怖を伴うパニック障害」の診断がなされた。初診時のM.I.N.I.(半構造式質問票)検査 1)では、「大うつ病再発性」が明らかになった。ベック・うつ病自己評価表の得点は34点。Stewartの質問表 2)で非定型性うつ病の診断 が確診された。その内容について記すと、抑うつ時でも良いことがあれば気分の反応性は100%あり、ほとんど毎日10時間以上眠っており、ほとんど毎日1日中からだが重くなっており(鉛様麻痺)、少なくとも週に3回は度を超して食べたくなり、この3ヶ月間に体重は3kg以上の増加があり、拒絶に対する過敏性はなかった。抑うつ状態はほとんど午後から夕方にかけて出現し、その内容は自分の病状や境遇に焦燥感を抱いたり嘆き悲しむ、他人の境遇を羨望したり嫉妬する、物事に興味・関心を持たない、やりきれない気持ちを解消するためにリストカットをするといったものであった。また、このようなうつ状態になり始めると、過食が始まる。満腹でも甘いものを食べ続けてしまい、その後自己嫌悪に陥る。このようにむちゃ喰いエピソードは明らかに存在するが、嘔吐、絶食など体重増加を防ぐための不適切な代償行動は認められなかった。したがって、DSM−Wに規定する「神経性大食症」の診断基準は満たさず、「特定不能の摂食障害」のうち「むちゃ喰い障害」に相当するものであった。これらの症状以外に、Favaの怒り発作の診断基準 3)を満たす症状が見られた。すなわち、過去1ヶ月間の間に不穏当な方法で夫に対して怒ったり激怒することが数回あった。その怒り発作において動悸、胸痛、手足のしびれ、めまい、発汗、自己コントロール不能感、他人に身体的攻撃を加えたい衝動、器物を投げたり破損する行動が認められた。軽躁病エピソードは現在も過去にも認められていない。

 治療経過:パニック発作は前景になく、薬物療法のターゲット症状は夕方の焦燥感の激しい抑うつエピソードとそれに伴う過食(初診時体重 62kg)やリストカットなどのアクティング・アウト行動であった。

<第1〜3病週の薬物療法>
ロフラゼプ酸エチル(メイラックス)1mg
マレイン酸フルボキサミン(デプロメール)50mg
バルプロ酸ナトリウム(バレリン)100mg

チオリダジン(メレリル)25mg
フルニトラゼパム(ロヒプノール)2mg

アルプラゾラム(ソラナックス)0.8mg

3 T
3 T
3 T
朝・昼・夕食後各1錠
1 T
1 T
就寝前各1錠

1日数回頓用

 第1〜2病週の病状は日による変化が激しく、調子の良い日は外出し買い物をし、外食をとり気分がよかった。調子の悪い日は、わけもなく泣いたり、いらつき、食べたくて仕方がなくなり、手当たり次第に食べた。自分で自分の状態がどうなっているのかと困惑するほどであった。しかし、アルプラゾラム(ソラナックス)の頓用回数は1日2〜3回に減少した。

<第3病週以後の薬物療法>
ロフラゼプ酸エチル(メイラックス)1mg
マレイン酸フルボキサミン(デプロメール)50mg
アミトリプチリン(トリプタノール)10mg
バルプロ酸ナトリウム(バレリン)200mg

チオリダジン(メレリル)25mg
フルニトラゼパム(ロヒプノール)2mg

ロラゼパム(ワイパックス)1mg

3 T
3 T
3 T
3 T
朝・昼・夕食後各1錠
1 T
1 T
就寝前各1錠
1 T
1日1回 頓用

 第3〜4病週になると焦燥性抑うつ状態は減少し、外出できる日が増えた。しかし、調子が悪い日は、体が重くて動かず、意欲が全く消失し一日中家でごろごろしていた。夕方から夜にかけて焦燥感がでてくると甘いものを次々に食べ、吐きそうになってもまだ食べることをやめることができなかった。初診時より体重が3kg増加して65kgになった。

 第5病週になると、担当医の指示で1日5kgを目標にする速歩またはランニングをする運動プログラムに取りかかり始めた。はじめのうちは動悸を訴え躊躇していたが、少しずつ運動量が増えてきた。歩いた後はお腹が空き、かえって過食気味にはなっているが、焦燥の強い抑うつは消失した。体重は67kgに増加。しかし、軽いパニック発作が1回出現した。バーゲンセールが始まり、普段は一人で乗ることが困難な地下鉄に乗ってデパートに出かけた。

 第6病週になると抑うつエピソードは完全に消失した。運動プログラムに従い毎日40分前後歩いたり走ったりできるようになった。自ら夫に過食はしないという誓約書を書いた。甘いものが欲しくなくなった。1週間で体重が1kg減少した。

 この症例はまだ治療が終了しておらず、今後の経過については何とも予想がつかないが、さしあたっては軽快の方向に向かっている。

考察

 本症例の本態はパニック性不安うつ病 4)と考えられる。著者らの調査によれば、113名のパニック障害患者を横断的に観察した場合、その31%にうつ病が認められ、その半数はパニック性不安うつ病であった。すなわち、パニック障害患者の16%にパニック性不安うつ病が認められた。パニック性不安うつ病はしばしば非定型うつ病の病像を呈する。われわれの予備調査では、31名のパニック性不安うつ病患者のうち19名(62%)が非定型うつ病の診断基準を満たした。結論からいうと、パニック障害の約10%は非定型うつ病の病像を示すパニック性不安うつ病を呈すると言える。

 本症例で認められた過食は、非定型うつ病に伴う植物神経症状の一つと考えられる。本症例のように、特に甘い食物を欲求する特徴は季節性感情障害においても認められる。本症例では体重増加を防ぐための不適切な代償行動は認められず、DSM−Wでは「特定不能の摂食障害」のうち「むちゃ喰い障害」に相当した。著者らの先行調査では、パニック性不安うつ病患者39名中過食の認められたのは12名(31%)であった。結局、パニック障害患者で過食が認められるのは約6%であるといえる。 切池ら 5)は、摂食障害91例中17例(19%)にパニック障害が過去の一時期かまたは調査時に合併することを見出した。同じグループの別の研究によれば、パニック障害の合併は神経性食思不振症でも神経性過食症でもその頻度には有意差がなかった 6)

 本症例では、過食以外にリストカッティングや多買傾向といったアクティング・アウトがみられ、さらには、しばしば怒り発作があった。パニック障害における怒り発作の頻度は32%であった 7)。本症例のような病像に接すると、多くの臨床家は境界性人格障害の診断を考慮するであろう。しかし、種々の逸脱行動はパニック障害が発症してからの病像であり、人格障害と診断することはできないと考える。それゆえ、著者は積極的に薬物療法を施行した。 本症例の不安うつ病には、フルボキサミンとバルプロ酸ナトリウムの併用療法が有効であると考えられる。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)の一種であるフルオキセチンは不安障害に伴ううつ病には効果がないという報告がなされているが 8)、一方、フルボキサミンが不安障害に併存する大うつ病(不安うつ病)にコントロール試験で有効であったと報告されている 9)。もっとも、この研究の対象数は30例で、その内パニック障害は11例にすぎないので、果たして、パニック性不安うつ病にフルボキサミンが有効であったのかどうかは判断ができない。筆者の経験からいえば、軽度から中等度のパニック性不安うつ病にはフルボキサミンは有効であるが、本症例のような重度のパニック性不安うつ病では、フルボキサミンのみでは効果が得られない。そのような場合には、バルプロ酸ナトリウムの併用が有効のことがある。治療抵抗性の情動不安定を伴うパニック障害(筆者が考えるパニック性不安うつ病にほぼ相応)にバルプロ酸ナトリウムが奏効したという報告 10)がカナダからなされており、筆者もこのような経験を報告した 11)

まとめ

 パニック性不安うつ病に見られた非定型うつ病像の一つとして、過食の著明であった症例を報告した。ベンゾジアゼピン系抗不安薬、フルボキサミン、バルプロ酸の併用療法および速歩・ランニングの運動プログラムで小康状態が得られ、焦燥の強い抑うつ状態および過食は消失した 12)