非定型うつ病を伴ったパニック障害 貝谷久宣 SSRI 最新情報 (要旨) 11歳でパニック発作を発症し、その後抑うつ気分が挿間性にみられ、本格的なパニック障害を15歳で発病した症例の抑うつ状態の治療について述べた。この症例の治療の鍵はBipolar U症状がエピソーディックにあることの認知である。半減期の長い抗不安薬とSSRIを基礎薬に採用し、さらに感情調整薬であるバルプロ酸の併用で治療は成功の方向に向かった。パニック障害におけるBipolar Uの存在に今後注意を向ける示す症例であった。 パニック障害ではしばしばうつ病が併発する。とくに、若年女性のパニック障害ではDSM−Wで規定する「非定型うつ病」像を示す症例がほとんどである 。このような症例に対して、わが国の精神科医はヒステリーとか境界性人格障害の診断を用いてきたようであるが、筆者はこのような症例を数多くみてきて、それらをパニック障害という病気による一過性の性格変化と捉え、パニック障害とうつ病の薬物療法を強力にしたほうが好ましい結果を招くと考えるに至った。非定型うつ病は、元来、モノアミン酸化酵素阻害剤に反応するうつ病を意味しており、この薬剤が少ないわが国においては治療に手こずることが多かった。 ところが、筆者はSSRIを他の薬剤とうまく併用して使用すると治療効果が上がる症例があることを経験した。ここではそのような症例について報告する。 症例 症例:20歳(高校2年生)、女性、パニック障害。 既往歴:特筆すべきことなし。 家族歴:恐怖症、うつ病、アルコール中毒およびその他の精神障害の負荷はない。 生活歴:食器作りの職人の父と母、3歳年下の弟の4人家族で暮らす。高校1年時、広場恐怖のため学校を中退し、販売店などでアルバイトをしていたが、その後再入学した。 病前性格:小さい頃はおとなしく、手のかからない子であった。 現病歴:11歳時(小学校5年生)、ベッドに入りまもなく、心悸亢進、発汗、呼吸困難、窒息感、めまい、非現実感、死の恐怖、熱感、口渇、鼻づまり感などからなるパニック発作を発症、恐怖の余り大声を出した。その後、小学生の間は大きなパニック発作はなかったが、一人で家にいると、離人症状、不安発作が襲い大声を出すことがしばしばあった。しかし、家族の中で患者の状況を理解するものはおらず、暗い小学生時代を過ごした。中学になり、予期不安、広場恐怖はほとんど消失し、元来の明るい子供に戻っていた。高校に入学し間もなく再びパニック発作が出現した。発作症状は少し変わり、以前のように大声を出すことはなくなった。朝になると予期不安が強く、咳が出て、腹痛、吐き気、全身から血がひく感じ、心悸亢進が出現するようになった。このため、朝の通学時の満員電車が乗れなくなり、高校1年生の夏休み前に退学した。その後パニック症状と広場恐怖は一進一退が続いた。19歳になり、多少症状が軽くなり、高校に再入学した。1週間前、自動車学校のテスト前に咳が出て不全パニック発作が出現し、テストが受けられなかったため受診してきた。最近はまったく治療を受けていなかった。母親の観察によれば、初診3ヵ月以上前に、気分が沈んんだように見える時期があったと思うと、急に10日間ほどの軽躁状態になることが数回あったという。 初診時所見:パニック発作は月に1〜3回、程度は激しくない。広場恐怖は、満員電車や地下鉄を避ける程度で、日常生活に大きな支障はない。頭重感、肩こり、眼の不快感、胸の圧迫感、息苦しさ、喉のつまり、理由のない不安感といった非発作性不定愁訴が週に3〜5日はあった。また、週に5〜6日、主に夕方から夜にかけての突然の悲哀感、孤独感、抑うつ感、罪業感、興味の喪失があり、全身倦怠感や入眠困難が時々認められた。この抑うつ気分は、友人から電話がかかると速やかに消失するという気分反応性であった。また、急にものが食べたくなったり、買い物を無性にしたくなる衝動がみられた。さらに、父親からこころが弱いと自分を否定されたようなことを言われると、自分のことが理解されていないと感じ、何時間も泣くことがあった。母親の些細なことに腹を立て、口論をすることがしばしばあった。ベックのうつ状態自己評価表の得点は25点、SDS(Self-Rating Depression Scale)は62点、TEG(東大式エゴグラム)ではFC低下のV型であった。 治療経過および治療 : 第1病週からの処方: 第5病週時までの状態:患者は「積極的になった、外出する気が起きてきた」と述べ、母の陳述によれば家事手伝いをするようになった。広場恐怖はまだ多少あり、地下鉄だけが恐いと述べた。パニック性の非発作性持続性不定愁訴は半減した。 第5病週からの処方: 第5〜9病週までの状態:車の免許証を取り、毎日外出するようになった。まだ地下鉄は恐いと述べた。パニック発作症状として咳はまだ少し出ることがあった。 第9〜13病週までの状態:パニック症状はほぼ消失したが、うつ状態が激しくなった。夕方になるとイライラして家族と口論をする。自分の病気はもう治らないと悲嘆にくれ、泣きじゃくる。焦燥の余り、手首を切ることもあった。学校にはほとんど行かなくなった。 第13病週からの処方: 第13〜17病週までの状況:ほとんど毎日気分が沈み込み何をする気にもならないと訴えた。時々死んでしまったほうがよいと考えた。家族と些細なことで喧嘩して、大声を出して叫ぶことがしばしばあった。夜間覚醒状態となって眠れず、明け方に眠りにつき、夕方近くに覚醒した。ヤケ喰いが目立ち、体重が4週間で3kg増加した。週のうち4日は、うつ気分が出現する前後に手足が鉛をつけたように重くなった。強い落ち込み状態でも仲のよい友人から電話があると気分を取り直し、楽しく話をすることができた。 第17病週からの処方: 第17〜19病週間での状況:明るい晴れ晴れしい顔で来院。気分の落ち込みと焦燥感は完全に消失した。ただ、非常に眠くほぼ1日中寝ていると述べた。 第19病週からの処方: 第25病週間での状況:眠気はとれ気分は安定している。両親と口論することはまったくなくなった。パニック症状もまったく出ない。積極的に家事を手伝っている。ただ学校は長い間休んだので、就職したいと考えている。週末に友人とデパートへ買い物に行ったが、帰宅後に疲れて不機嫌になることはなかった。 この症例はパニック障害患者にしばしばみられる非定型うつ病の診断基準をほぼ充たした 。パニック発作症状がおさまるとそれ以前からその兆しがみえていた不安・焦燥の強い抑うつ気分が前景に出現する。この意味ではパニック障害の症状とうつ病症状はシーソー現象的に消長する。この症例にみられたようなパニック障害にみられる特有なうつ病像を にまとめて示す。 SSRIの一種であるfluoxetineは不安障害に伴ううつ病には効果がないという報告 1) がなされているが、本症例ではsodium valproateを併用することにより、SSRIが効果を発揮した。双極性障害におけるパニック障害の生涯有病率は20.8%であり、単極性うつ病のそれは10.0%であると近年報告 2) されており、本症例においても、受診前の気分変調の既往はパニック障害と双極性障害が合併している可能性を示唆している。このような理由で、パニック障害の情動障害に感情調整薬であるsodium valproateが効果を発揮した可能性がある。このことを裏付ける最近報告されたopen研究 3) では、10名の治療抵抗性のパニック障害においてsodium valproate100〜300mgに抑うつ症状、不安症状、また情動不安定もよく反応したことが示されている。さらに、sodium valproateはパニック発作にも効果があり、生活の質の改善をもたらしたという。 まとめ 本症例において比較的大量のfluvoxamineに反応した症状は、パニック発作、広場恐怖および抑うつ気分であった。ただし、夕方から夜間に生じる激しい不安・焦燥、情動の不安定性、行動化には効果がなかった。これにはsodium valproateの追加が効果を示したと考えられる。 文献
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