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パニック障害
貝谷久宣,井上顕,横山知加,土田英人,山中学,梅景正,栃木衛
特集:ここが知りたい他科知識
"耳鼻咽喉科医が知っておきたい疾患の知識"
John 23(3)541-544,2007
はじめに
まず、はじめに日本で一番古い記載のパニック障害と考えられる症例を紹介する(高橋,2002)。
今泉玄祐(嘉永3年−1850年)の事例
「耕野村の農夫七太郎という人が、治療を頼みにきた。実はかれの妻で、28歳になるのが患者で、5年前、お産をして、おりものは27日余りつづいたものの、身体は至って健康で平静と異なるところがなかったので、或る日、石臼を引く作業に携わっていた。ところが急に震えがきてめまいを覚え今にも死ぬのではないかというありさまになった。すぐに医者を呼んで治療を受けたので一命はとりとめたものの、そのことがあってから、身体がフラフラするようになり、なんとなく気分がすぐれず、しかも頭を挙げることができず、寝たままで握り飯しか食べられなくなり、それも噛むとそれが刺激になって気を失いそうになるので、休み休みゆっくり食べなければならなくなった。それに、時々胸の辺りがドキドキしたり、めまい感に襲われたり悲観して泣いたりするようになり、寝たきりになり、目覚めるとまるで惚けたようになって昼夜を弁えないような状態になった。しかし本当に惚けてしまったわけではなかった。また、明るさを嫌って、部屋の戸や窓を閉ざし、布団を被って寝ているありさまである、という。その間に方々の医者に診てもらい、占いや祈祷もしてもらい、その他八方手を尽くして家の財産も使い果たしてしまったが、なんの効き目もない。患者はこうして寝たきりで5年もたつ。月経も年に一回か二年に一回。食事も日にお猪口で三杯くらい。身体はすっかり痩せて、汗もかかなくなり、便秘もしている。しかし排尿はできる。もう八方手を尽くし、妻はこのままでは死を待つしかないところに至っている。家には70になる老母と5歳になる男子がいて、男手一つでは養いきれない.....」
日本で一番古いパニック障害の報告例の主症状はめまいであった。この症例のように、めまいが中心症状であるパニック障害は一般に広場恐怖が強く、生活の障害度が高い。めまいとパニック障害は浅からぬ関係にある。
図1には著者のクリニックにおけるパニック発作症状の頻度を示す。めまいを示す患者の割合は49%でパニック発作の身体症状のうち3番目に多い。パニック発作で見られるめまいは回転性も動揺性も認められる。発作間歇に認められるめまいはほとんどが動揺性である。耳鳴はDSM-WTRのパニック発作症状では見られないが私たちのデーターではパニック発作症状の中では18番目の頻度で、13%の患者が経験している。パニック障害で見られる耳鳴の多くは高音性である。
また、パニック障害患者の既往歴には時々突発性難聴がある。
めまいとパニック障害
めまいを訴える患者では一般人口に比べ5から15倍パニック障害が多いといわれている(Simon
et al,1998)。一般の住民調査で、めまいを訴えた人の2/3はパニック発作があり、1/4はパニック障害であった(Yardleyら,2001)。Clarkら(1994)は、耳鼻咽喉科にめまいで訪問した患者50名と聴覚障害で訪問した患者50名の精神医学的問診を行った。前者では20%がパニック障害の確定診断がなされ、さらに24%の患者は稀にパニック発作があるか、または、不全パニック発作(発作症状が3つ以下)を持っていた。聴覚障害群ではパニック障害は全く認められず、8%の患者にまれなパニック発作または不全パニック発作がみられた。これらパニック障害患者10名のパニック発作症状で最も多かったのは、もちろん、めまい(90%)であり、次に吐き気(55%)、そして心悸亢進(50%)と続いた。パニック障害と平衡障害の平均発症年齢は、42歳と44歳であった。パニック障害と確定診断された10名のうち8名は末梢性前庭障害、2名は中枢性または非特異的前庭障害があった。パニック発作の有無にかかわらず、末梢性前庭障害のある患者群の方が聴覚障害の患者群に比べて恐怖性回避、全般性不安、および抑うつが強かった。Steinら(1994)の研究によれば、めまいを訴えた精神医学的問題のありそうな患者32名を半構成法質問紙にて検査し、14.9%の患者にパニック障害、広場恐怖または両者が認められた。これらの患者がすべて前庭機能障害を認めるとは限らなかった。
パニック障害はどんな病気か
パニック障害は不安障害に分類される病気である。以前は不安神経症といわれていたが、近年の研究による新しい視点からパニック障害と呼ばれるようになった。パニック障害の主症状はパニック発作である。米国精神医学会によるパニック発作の診断基準を表1に示す。パニック障害を発症するような不安体質の人はひとたびパニック発作を経験するとまた発作に襲われるのではないかという予期不安を強く持ち続ける。パニック障害ではパニック発作は著名な症状ではあるが、実は診断の要点として予期不安のほうが重要な症状といえる。予期不安のために生活の障害がいろいろな面で生じる。多くのパニック障害患者は、発作が起こったときにすぐ逃げ出せない場所や助けを求めることのできない状況にいることに強い不快感を示し、そのような場所や状況を回避する状態を広場恐怖(表2に診断基準)という。広場恐怖を持つ患者は、物理的束縛(例:すぐ降りることのできない乗り物)や精神的束縛(例:理容室や美容院の椅子の上)を嫌う。パニック発作はパニック障害以外の障害、たとえば、社会不安障害でも見られる。人前で突然話すことを頼まれ緊張のあまりパニック発作が出ることがある。これに対して、パニック障害のパニック発作は誘引なく不意に生じるのが大きな特徴である。表3にパニック障害の診断基準を示す。
著者の臨床経験と文献的考察から、パニック障害は次のような特性を持つ精神障害であるといえる。@ 家族性発症が多い A 多くの患者には発症の誘因となるストレスが認められる B そのストレスが去ってもひとたび発症すると病気は残存し、一定の経過をたどる C 広場恐怖の程度、しばしば見られる他の精神障害・人格障害の合併の有無、恐怖・強迫性の程度が重篤度と慢性化に関係する D 軽快はしているがなお残遺症状を持つ患者が多い E 病気により性格の変化が生じ、社会的障害を助長する。F 慢性の病で、再燃、再発が多く、長期治療が必要である。G治療は薬物療法(選択的セロトニン再取り込み阻害薬とベンゾジアゼピン系抗不安薬)と認知行動療法が効果を発揮する(貝谷ら,2006)。以上のことを理解して患者に対応することが重要である。
パニック障害患者における耳鼻科学的異常所見
Jacobら(1985)は、パニック発作にめまいのある、パニック障害と広場恐怖の患者21名に前庭機能検査を行った。頭位および自発性眼振が67%の患者に認められた。カロリックテストで56%、ローテーションテストで35%、バランステストで32%の患者に異常があった。Sklareら(1990)は、平衡障害があるなしにかかわらず、パニック障害患者17名を電気眼振計で検査し、71%に異常を検出した。この異常を示した患者では異常のない患者に比べ不安が高かった。Swinsonら(1993)は、15名のパニック障害患者に耳鼻科的検査をした。聴力検査と温度眼振検査では異常はなかった。パニック障害患者は暗がりでの前庭−眼球活動において眼と頭部の動きの間に大きなデスクレパンシーが出た。めまいを主とするパニック障害患者の心理検査結果は心悸亢進を主とする患者のそれと差はなかった。Tecerら(2004)によれば、34名のパニック障害患者の前庭機能検査の異常率は高かった。しかし、広場恐怖の有無は関係なかった。前庭機能検査の結果異常を予測させる変数はパニック発作間歇期のめまいであった。Pernaら(2001)は、パニック障害では平衡機能の異常が多いことを明らかにした。また、閉眼状態での平衡機能の障害がある場合は、炭酸ガス誘発の実験的パニック発作が生じやすいこともわかった。そして、平衡機能障害と広場恐怖と関係があることを報告した。
まとめ
1) めまいを訴える患者の15〜25%はパニック障害の可能性がある。めまいはパニック発作症状としても見られるし、パニック発作間歇期の非発作性愁訴としても認められる。
2) めまいを訴えるパニック障害患者は広場恐怖を伴うことが多い。
3) パニック障害患者はめまいの有無にかかわらず前庭機能障害が多く検出される。
表1
パニック発作(DSM−W−TR)12)
ある限定した時間内に激しい恐怖感や不安感とともに以下に述べる症状の中4つ以上が突然出現し、10分以内にピ−クに達する:
(1)心悸亢進、心臓がどきどきする、または心拍数が増加する
(2)発汗
(3)身震い、手足の震え
(4)呼吸が早くなる、息苦しい
(5)息が詰まる
(6)胸の痛みまたは不快感
(7)吐き気、腹部のいやな感じ
(8)めまい、不安定感、頭が軽くなる、ふらつき
(9)非現実感、自分が自分でない感じ
(10)常軌を逸してしまう、狂ってしまうのではないかと感じる
(11)死ぬのではないかと恐れる
(12)知覚異常(しびれ感、うずき感)
(13)寒気または、ほてり
表2
広場恐怖(DSM−W−TR)12)
A. 不意のまたは状況関連性のパニック発作またはパニック発作類似症状が起きたとき逃げ出すことが困難かまたは助けを求めることができないと考えられる状況にいることの不安。広場恐怖の恐怖は、自宅の外にいる、人混みのなかで一人で立つ、橋を渡る、バス、列車、車で旅行するといった特徴ある一連の状況に関与している。もし、忌避行動が一つまたは2ー3の特別な状況に限られるならば、「特定の恐怖症」の診断を、また、忌避行動が社会的状況に限られるならば、「社会不安障害」の診断を考慮する。
B. このような状況を避けたり(旅行範囲を制限する)、さもなければ、パニック発作やパニック発作類似症状が出現するのではないかと心配して著明な苦痛を感じたり、誰かに同伴を頼む。
C. これら不安や恐怖による忌避行動がその他の精神障害、たとえば、社会恐怖(恥を恐れ社会的状況のみを忌避する)、特殊恐怖(エレベ−タ−のようなただ一つの状況を避ける)、強迫性障害(汚されるという強迫観念を持つ人が汚いものを避ける)、および、分離不安障害(自宅や身内から離れることを避ける)により説明されがたい。
表3
広場恐怖を伴わない(伴なう)パニック障害の診断基準(DSM−W−TR)12)
A.(1)と(2)をみたす。
(1)再発性で不意のパニック発作の出現
(2)少なくとも1回の発作後1ケ月以上以下の症状が1つ以上ある
(a)次の発作を心配する
(b)発作に関わることやその結果を心配する(とり乱してしまう、心臓発作が起こる、狂ってしまうのではないか)
(c)発作と関係する行動変化の存在
B.広場恐怖が存在しない(存在する)
C.パニック発作は物質による生理的作用ではないし(薬物濫用や服薬)、内科疾患によるものでもない(例、甲状腺機能亢進症)
D.パニック発作はその他の精神障害、たとえば、社会恐怖(恥を恐れ社会的状況のみを忌避する)、特殊恐怖(エレベ−タ−のようなただ一つの状況を避ける)、強迫性障害(汚されるという強迫観念を持つ人が汚いものを避ける)、および、分離不安障害(自宅や身内から離れることを避ける)により説明されがたい。
図1
文献
1,高橋徹:江戸期におけるパニック障害に対する心理療法 今泉玄祐の移精変気の法 貝谷久宣、不安抑うつ臨床研究会編 パニック障害の精神病理学 p31-39 日本評論社 東京 2002
2,貝谷久宣, 井上 顕, 横山知加, 土田英人, 山中 学:特集/神経症圏障害のすべて、各論 a.パニック障害 3.治療学。臨床精神医学, 35(6) : 765-776, 2006
3,Simon NM, Pollack
MH, Tuby KS, Stern TA.:Dizziness and panic disorder: a review of the association between vestibular dysfunction and anxiety. Ann Clin Psychiatry. 1998 Jun;10(2):75-80.
4,Yardley L, Owen N, Nazareth I, Luxon L.:Panic disorder with agoraphobia associated with dizziness:characteristic symptoms and psychosocial
sequelae. J Nerv Ment Dis. 2001 May;189(5):321-7.
5,Clark DB, Hirsch BE, Smith MG, Furman
JM, Jacob RG.:Panic in otolaryngology patients presenting with dizziness or hearing loss. Am J Psychiatry. 1994 Aug;151(8):1223-5.
6,Stein MB, Asmundson
GJ, Ireland D, Walker JR.:Panic disorder in patients attending a clinic for vestibular disorders. Am J Psychiatry. 1994 Nov;151(11):1697-700.
7,Jacob
RG, Moller MB, Turner SM, Wall C 3rd. Otoneurological examination in panic disorder and agoraphobia with panic attacks: a pilot study. Am J Psychiatry. 1985 Jun;142(6):715-20.
8,Sklare DA, Stein MB, Pikus AM, Uhde TW.:Dysequilibrium and audiovestibular function in panic disorder: symptom profiles and test findings. Am J
Otol. 1990 Sep;11(5):338-41
9,Swinson RP, Cox
BJ, Rutka J, Mai M, Kerr S, Kuch K.:Otoneurological functioning in panic disorder patients with prominent dizziness. Compr Psychiatry. 1993 Mar-Apr;34(2):127-9.
10,Tecer A, Tukel R, Erdamar B, Sunay T.:Audiovestibular functioning in patients with panic disorder. J Psychosom Res. 2004 Aug;57(2):177-82.
11,Perna G, Dario A, Caldirola D, Stefania B, Cesarani A, Bellodi L.:Panic disorder: the role of the balance system. J Psychiatr Res. 2001 Sep-Oct;35(5):279-86.
12,Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. Fourth Edition, Text Revision. American Psychiatric Association. Washington, D.C. 2000(著者訳)
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