パニック障害患者のこころとからだ 医療法人和楽会 心療内科・神経科 赤坂クリニック理事長 医療法人和楽会 心療内科・神経科 赤坂クリニック院長 特集:パニック障害−現代人のストレスとパニック障害 パニック障害の症例を通じ、診断基準の背後にある臨床の実態を示す。まず、パニック障害とそれに関連する障害のDSM-W診断基準をに掲げる。そして、症例報告を通じ実際の臨床症状を診断基準と照らし合わせながら検討する。 1:症例報告 症例A:27歳、男性、建設現場監督 父親は母がAを妊娠中に交通事故で死亡。高校まではホテルの厨房に勤める母と祖母との3人暮らし。工業高校を卒業して会社に勤めながら私立大学の夜間部を卒業した。初回発作は、大学5年時(23歳)、仕事を終え地下鉄に乗って大学へ行く途中だった。わけもなく突然不安感に襲われ動悸が始まり、足がガタガタ震えだし、冷や汗が出た。我慢してやっとのことで大学に着いたら、喉がカラカラに乾いており、今度は腹痛が出た。Aが発症した時期はアルバイトの残業が続き、しかも、就職試験の連続で神経をすり減らしている時期だった。この発作の後まもなく就職が決まり、それからは平穏な生活が続いた。 2回目のパニック発作は25歳の時に起きた。新しい建築現場で夜遅くまで仕事をし、疲れて帰宅する途中であった。高速道に入り、インターをクルクル回り助走路からメインロードに車線変更をするため加速を始めた。そうしたら、そのスピードがいつもよりずっと速く感じられ急に恐怖感が出てきた。そしてスピードを上げるに従って道路沿いの街路灯がビューンビューンと飛ぶように後ろに走り、眩暈が起こった。「これは危険だ、もっとスピードを落とさなければならん」とメーターをみてもまだ時速65kmそこそこで、決してスピードが出過ぎているわけではなかった。後続車が追いかけてきたので、もっとスピードを上げなければならないと思っても、それ以上怖くてスピードを上げられなかった。そのうちに頭が混乱し、恐怖感とともに心臓の響きが頭まで伝わり顔中が熱くなってきた。胸の圧迫感とともにハンドルを握る手は汗でべっとりとなり、下半身が麻痺した感じとなった。アクセルを踏む足に力が入らず、路肩車線に車を寄せてノロノロと走った。その間も、心臓の高鳴りも息苦しさも胸の圧迫感も消えなかった。やっとの思いで次のインターを出て、公衆電話に駆けつけ会社に電話をして迎えを待った。その日は、すぐ帰宅してぬるま湯に入り神経を休め寝た。その3日後、3回目の発作が起きた。 今度は、建築資材を積んだトラックの助手席に乗り朝のラッシュアワーに一般道を走っている時だった。停車信号で止まった時、前後左右に車がぎっしり停車しているのを見た瞬間、これはまずいという考えが頭をよぎった。そして次の瞬間、いきなり胸が早鐘のごとく鳴り出した。それは数秒の出来事だった。心臓が爆発するのではないかと思うほど激しく、息が詰まり、体が震えた。叫びたい気分にみまわれたが、下請け会社の人が運転する車だったので我慢した。そうしたら、何か自分の魂がすっと抜けていくようで、現実感が薄れてきた。もう一人の自分が別のところにいて、心臓がどきんどきんしている自分を見つめている感じがした。これが死んでいく気分だと思っていたら,信号が青になり車がゆっくり動き出した。そうすると、心臓の鼓動のペースは少し落ちた。まだしかし、夢うつつの状況は変わらず、運転手には気分が悪いといって前屈みになり、頭から手を抱えじっとしていた。すると、少しずつ正常な気分が戻っていった。 Aは、それまで自分の性格は逆境に強く明るく努力家だと思っていたが、このような発作を経験してからは急に気が小さくなった。そして、またいつあの発作が来るかと、何でも発作と結びつけて考えるようになった。就職してから単身生活で寂しいと感じたことは一度もなかったのに、それからは夜一人でいるのが不安になった。また恐ろしい映画やテレビはまったく見ることができなくなった。それは、恐ろしい場面で胸がドキドキしたらまた発作になるのではないかという恐怖からだった。 それからAの発作は、時・場所を選ばず起こるようになった。Aは発作の恐怖のために、遂に運転することがまったくできなくなり、会社の上司に事情を話し内勤業務にしてもらった。仕事に出ても、常に発作に対する不安があるため頭がてきばきと働かず、また、仕事に対する根気が以前のようにはなくなった。ある日小さな仕事上のミスをおかし、上司はさほど叱責したわけではないが、Aは過敏に反応し、その上司をひどく嫌うようになった。 週に数回はあったパニック発作が減ってくると時を同じくして、夜一人になると、自分はだめな人間だ、将来は絶対にクビになってしまうと職場でも家でもクヨクヨと考え、気分が落ち込み、涙ぐむことさえあった。朝は比較的すっきりしているが、午後になると非常に眠くなり、手足がずしりと重くなって仕事の意欲が失せてしまった。人と話すのが大変おっくうとなり、仕事でも、プライベートの生活においても興味がまったく湧かず、無味乾燥な生活となった。ただ、工高時代の友人から電話がかかると気分が沈んでいても、かなり楽しく話すことができた。何も計画のない週末は、ほとんど1日中寝た。また、いつも意識の底に発作の不安がつきまとった。 遂に職場の上司が見るに見かねて、Aをメンタルクリニックに連れて行った。そこではうつ病と診断され、1カ月の休養を命じられ、薬をもらった。薬を飲んで初めの1週間は少し気分が楽になったが、しかし意識の底に引っかかっている不安はとれなかった。これはどうもおかしいとAは思い、書店で不安に関する本を探した。その中の1つの本で自分はパニック障害であることを知った。 1)パニック発作症状 Aはある日突然地下鉄の中で発作症状を体験した。それは動悸、体の震え、冷や汗、口渇、腹部不快感の5症状であった。ここで注意を要するのは、これら5症状でDSM−Wのパニック発作の診断基準にないものがある。それは口渇である。2回目の発作では下肢の麻痺した感じ(脱力感)である。筆者らは、383名のパニック障害の患者について初発時のパニック発作の症状を検討したことがある1)。それによると、日本人患者では口渇を訴える患者が31%で寒気または、ほてりを訴える患者25%より多く、米国の診断基準に掲げられているパニック発作の13番目の症状は寒気または、ほてりではなく口渇となった。筆者らの調査では、DSM−Wで示されている13のパニック発作症状以外に、下肢の脱力(腰が抜ける)(19%)、目のかすみ(16%)、頭痛(14%)、耳鳴り(13%)、排尿希求感(12%)、排便希求感(10%)、鼻づまり(6%)が認められた。日本人患者のパニック障害の診断に際しては、これらのパニック発作症状も考慮する必要があろう。 2)パニック発作の発症と経過 Aが第1回目のパニック発作を起こしてから第2回の発作を起こすまで約2年間の間隔があった。第2回目以降ではパニック発作は頻繁に起こったので、パニック障害の発病は第2回目のパニック発作があった25歳と考えてよいだろう。パニック障害におけるパニック発作は誘因なしで起こることが原則である。しかし、第1回目の発作は卒業時の就職試験に追われていた時期であり、第2回目の発作は夜遅くまで仕事が続く日々が重なった時期であった。このように、パニック発作が発症する背景には多かれ少なかれストレスフルな環境があることが多い。心理的ストレスももちろんであるが、過労といった身体的ストレスも重要なトリガーである。パニック発作は起こり始めるとどんどん頻度を増す。要するに、発作の癖がつくという状態である。それゆえ、治療的にはまず発作を完全に消失させることが最も重要である。 筆者らは初診30カ月後の予後調査をした。その結果、パニック発作のまったくない患者は121名中77名(64%)であった。また、5年間追跡調査した別の研究2)では、5年間に症状が完全になくなった患者は39%で男女間に違いはなかった。そのうち53.4%は完全に治ってから3年以内に再発した。この再発率は広場恐怖を伴う群の方が高かった。これらのことから、パニック障害は再発性の強い慢性疾患であると考えることができる。 3)パニック障害患者の心性 症例Aは、パニック発作を発症して常に発作の再発を恐れ、強い予期不安状態を呈した。パニック障害が発症し、十分な治療がなされないと、予期不安が生活全般を左右し、それまでの性格が少しずつ変化していく。多くの患者は、小心になり、マイナス思考をするようになる。発作が生じた時に助けを求めたいという依存心が募り、孤独を恐れるようになる。また、不安・恐怖をかき立てるものに対して極度に敏感になり、そのような情動がたやすく伝播する。たとえば、救急車の音を聞いただけで自分にも大変なことが起こるのではないかとおののく。すなわち、感応性が亢進すると言える。 イタリアの研究者Cassano3)は、パニック障害をDSM−Wで規定されている病像以外に、分離不安、ストレスに対する過敏性、物質(薬物、ホルモン、コーヒーなど)に対する過敏性、不安性予測(マイナス思考)、広場恐怖とそれ以外の恐怖症および再保証を求める行動(依存性)といった特質を持っているとし、さらに、こういった症状が患者の発病前の生活を破綻させ、永久的な人格変化をもたらすと言及している。 3:パニック障害患者の精神症状 1)広場恐怖 筆者の調査によれば、パニック障害患者の4分の3に多かれ少なかれ広場恐怖が認められる。症例Aは、3回目のパニック発作を起こしてからその恐怖のため車の運転ができなくなり、広場恐怖と診断される。症例Aのパニック発作は、1回目は電車の中、2、3回目は車の中で起きており、それらは常にとっさに逃げ出すことのできない乗り物である。状況依存性のパニツク発作と考えることができる。広場恐怖はパニック発作に引き続き起こることが大部分であるが、なかには広場恐怖が発症してから後にパニック発作を示す患者もいる。であるから、広場恐怖は必ずしもパニック発作に引き続く二次的なものであるという考えは正しいとは言えない。むしろ、一部のパニック障害患者においてはパニック発作と広場恐怖の萌芽が同時に生じているものと考えられる。その別の根拠として、疫学調査においては、広場恐怖の一般人口中の罹病率はパニック障害の数倍に達するという事実がある。 広場恐怖は患者がすぐ逃げられない、または助けを求めることができないと感じる場所や状況に向けられる。に筆者のクリニックのパニック障害患者が表明した広場恐怖を感じた上位10の場所や状況を示す。 2)うつ病 症例Aには、抑うつ気分、思考渋滞、自己評価の低下、絶望感および自発性減退が認められ、大うつ病エピソードが存在した。パニック障害はしばしば大うっ病を合併する。筆者らの研究では、パニック障害の患者116名中31%に初診時に抑うつ状態が認められた4)。疫学調査5)によれば、パニック障害患者のうつ病の生涯有病率は55.6%であった。症例Aは大うつ病エピソードを持つが、それは気分反応性で、良いことがあれば抑うつ気分は消失した。さらに、過眠、鉛様麻痺、拒絶に対する過敏性(仕事のミスの注意を過大にとらえる)も認められ、非定型うつ病の診断が可能である。不安障害におけるうつ病は不安うつ病と呼ばれ、パニック障害では非定型うつ病の病型を取ることがしばしばある4)。パニック性不安うつ病は治療抵抗性で、社会的障害度の高い病気である。 おわりに パニック障害の多くは、パニック発作が頻発している時期になされる。その経過を追うと、広場恐怖が前景に出る時期もあるし、大うつ病が主な症状として出る時期もある。また、発作性不定愁訴だけが残っているいわゆる自律神経失調症と診断されかねない時期もある。このような症状論以上に、パニック障害は理由のない頑固な病的不安により人格の変容をきたし、生活の質を根底から低下させる病である。この稿では、現在までの成書に載っていない事柄を取り上げ、パニック障害が社会的な障害を引き起こす重大な病気であることを示した。 文献 1)Hisanobu Kaiya, Natsuko Kaiya, Seiji Harata et al:Is the DSM-W criteria of 13 panic symptoms valid for Japanese Patients ? American Psychiatric Association Annual Meeting, New Research, Chicago,May 2000 |