Panic Theater 〜パニック障害の病像を理解するために〜 はじめに 10年前にパニック障害を専ら診るようになったころ、筆者はパニック障害はDSM-VRに規定されたパニック発作を主症状とするそれほど難しくはない病気だと考えていた。 ところが、いろいろな患者を診ているうちに少しずつその考えを変更せざるを得なくなってきた。それまでにも、時折外来の窓口で、受付嬢に食ってかかる患者はいたが、それほど気にもしていなかった。これがパニック障害におけるanger attackという病的症状であることは後年知る結果となった。また、パニック障害にはうつ病がしばしばcomorbidすることはどの本を見ても書いてあり、それはパニック障害という頑固な病気との闘いに疲れ果てて生じる、いわゆる意気消沈うつ病だと理解していた。しかし、非定型うつ病という概念の窓からこのような抑うつ状態を見ると、それとは別の理解を深めることが可能となった。 1. パニック障害に対する医療事情 パニック障害に対しての筆者の基本的な考え方を変えてくれたのは、筆者のクリニックで働いていた看護婦である。筆者は彼女の発病からその経過を、パニック障害の治療者という立場から一方的に患者を診るのではなく、患者の同僚としての立場からこの病気に対処する機会を与えられた。そうすると、パニック障害は生易しい病気ではないことを実感させられただけでなく、その真の姿をも観察する機会を与えられた。 パニック障害患者が診察室で治療者に示す姿の多くは、表面的な部分にすぎない。患者は自己嫌悪に陥いるほどの自分の異常行動について、決して診察医に言及しようとしない。また、家族もそれを医師に伝えようものなら家庭が修羅場になることをよく知っており、そのようなことは避けてしまう。結局、医師は患者の実態を知らないままであるということが、日常診療の中ではまれならず見られているはずである。 筆者は、パニック医となって10年を経て,この病気が患者に強い苦しみを与えるだけではなく、家族にも多大な当惑と深い悩みを投げかけることがよく理解できるようになった。そして、パニック障害はパニック発作を主症状とする身体症状が前景に出た病気では決してなく、いろいろな面の精神症状を示す精神障害であることを知ったのである。 すなわち、筆者は、パニック障害は生物学的な基盤を持つ頑固な慢性病であり、一定のプロセスを持って経過していく脳病であると考えるようになった。このような意味において、パニック障害は統合失調症と種々な面で比較対応が可能な病気であると考えられる 。 2. パニック障害の症状経過 このようなことから、パニック障害の経過の進行はあたかも劇場で芝居を見ているかのごとくである。プログラムに沿っていろいろなシーン(症状)が上演されていくのだ。 まず、幕開き前に聞こえるか聞こえないかのかすかなチェロの低音に導かれる音楽が演奏される。すなわち、潜在性の抑うつ状態が時々見られる。または、時にかすかなカスタネットの不気味なリズムが響くこともある。パニック発作の前兆である胸痛や軽い呼吸困難である。それに引き続き、激しい音のシンバルで幕が切って落とされる。このシンバルを持った悪魔(パニック発作)は神出鬼没に舞台に躍り出る。この悪魔の踊りは予期不安という霧を生じさせる。この霧により行動は束縛され(広場恐怖)、利発で活動的な主人公は臆病で何事に対しても躊躇が先立つ抑制型人間となってしまう。このような状況においても時には堰を切ったような快楽追求行動が演じられる(気晴し行動)。劇の進行と共に、激しく短いシンバルの音は、激しさの弱められた太鼓の音色に引き継がれ(不全パニック発作)、その強弱を自由自在に変えて出現する様々な管楽器の音色が加わる(非発作性不定愁訴)。この不快の音色に主人公は悩まされ、辛い日々を送ることとなる。これは最初に経験したシンバルのごとく、死を予感させるほどの深刻さはなくとも、消えたり出たりして終幕まで主人公を悩ませ続ける。主人公は,次第に苦渋に満ちた表情を示すことが多くなる。 悪魔の踊りが影を潜め始めると、第2幕の始まりである。落雷の音で第2幕が上がる。いわゆるanger attackが時々出現するのである。主人公は些細で理不尽な出来事や、プライドを傷つけるかすかな言葉に過敏な反応をして切れてしまい、雷のごとく激怒する。その中で前後の見境がつかない行動に出ることも時にある。そうこうしているうちに気が付いてみると、舞台は暗くなっている。抑うつ気分が始まっていたのである。舞台照明は,主人公にとって好ましい出来事が生じると急に明るくなることもあるが、不快な出来事によりさらに暗さを増すことのほうが多い(気分反応性うつ病)。さらにまた、主人公の前に姿は見せない影の陰謀家に悩まされる心気症の出現である。自分を心臓病や脳卒中で死なせる陰謀が行われているのではないかと悩む、この陰の曲者は次々とその陰謀を変えて主人公を悩ませる。このような舞台の中で今までには見られなかった種々なる振る舞い(性格変化)が演じられていく。パニック劇場の佳境である。この演技は終幕に行くほど目立たなくなっていくけれども,このパニック劇場の主人公の特異的なキャラクターとして幕が閉じるまで演じられる。 このパニック劇場が上演されるためには、不安体質という舞台が前提となるが,長期にわたる舞台稽古(ストレス)が繰り返され、やっと公演にこぎ着くことができる。 3. パニック障害の症例 本稿では、パニック劇場でみられる典型的な物語を提示する。パニック障害における性格変化については,最近別に報告したので1)、ここでは,他の症例を提示し、その報告の要旨を述べる。 症例 29歳 主婦
初診
現病歴 第2回目の発作は、平成X−1年11月12日(初診の10ヶ月前)、夕食の準備中であった。それは初めての発作より激しいものであり、患者は不安・困惑のるつぼに放り込まれた。 その後、パニック発作は平成X年7月までは頻回に生じることはなかったが、8月になると(初診の約1ヶ月前)、 頻度と激しさが増し、連日1回以上の発作に見舞われた。それまではヒーリングと称する民間療法を受けていたが、頻発するパニック発作に耐えられず、心療内科・神経科クリニックを受診し、エチゾラムとパロキセチンを、次回からはアルプラゾラムとフルボキサミンを投与された。最終パニック発作は平成X年9月2日の朝であった。このときの発作は、心悸亢進・震え・非現実感・発狂恐怖・死の恐怖・冷感、および口の渇きであった。
現症 東大式エゴグラム検査では、批判的な親の自我状態(Critical Parent)が最も低く、養育的な親の自我状態(Nurturing Parent)が最も高い右肩上がりの”依存性”を示唆する行動パターンを示した。二者択一式の性格についての自己描写では、外向・敏感・繊細・爆発・安定・貴重面・積極的・無力・空想的・反省的・閉鎖的・不満家・依存的・執着的・派手・控えめ・親切・協調的・お喋り・頑固・悲観的・社交的をあげた。パニック障害になってからの性格変化についての問いに対して、「気にせず、たくさんの人と付き合え、心から笑えた」のが「ふさぎこみ、友人からは神経質になったといわれ、マイナス思考になった」と記している。 Self-Rating Depression Scale(Zung,1965)(SDS)日本語版(福田・小林,1973)では24点で抑うつ状態を示すことはなかったが、Beck Depression Inventory (Beck,Ward,Mendelson,Mock&Erbaugh,1961)(BDI)日本語版(林,1988)では、20点と軽度の抑うつ状態を示した。うつ病評価尺度ではうつ病と診断されるには軽度すぎるが、挿間性の抑うつ状態は著者が提案するパニック性不安うつ病といってよい状態であった。それは、特に夕方から夜にかけて、激しい絶望感や自責感にとらわれ、それとともに、日中の過眠や鉛様麻痺が認められた。この抑うつ状態は気分反応性であり、また、買い物に対する強迫的欲求が述べられた。
臨床経過 初診5ヵ月後、追加投与しているレボメプロマジンの効果のためか、極端な行動は少なくなってきた。しかし、基本的な行動パターンに変化はない。この薬物の投与により、抑うつ気分はほとんど消失してきているが、その代わりに、時々不安感が出現するようになった。これは、著者が別に報告している不安とうつの交替現象であると考えられる。初診後1年を経過しているが、患者の基本的な行動パターンに変化はない。 以上の症例を通して、パニック障害患者に特徴的な行動パターンをまとめると のようになる。これらの多くの情態は前頭葉症候群 で説明できる部分が多いと考えられる。感情移入過多も自他の境界不明瞭も前頭葉凸面の「自己の喪失」に関連する状態と考えることができる。 一方、自己中心性・短絡性・過敏性・anger attackなどは前頭葉眼窩面症候である「脱抑制」により説明可能である。このように考えていくとパニック障害患者に見られる突出した行動パターンの多くは前頭葉症候として捉えることが可能となってくる。また、広場恐怖は前頭前野の機能異常による恐怖性回避と考えられている2) 4. パニック障害の行動特性 パニック障害患者の行動特性を概観すると、ここに記したように前頭葉、とりわけ眼窩面の関与が大いに存在すると考えられる。パニック障害と前頭葉の関係について現在までにいくつかの研究がなされている。神経心理学的研究は前頭葉の情報プロセッシングの障害を示唆しているし,脳画像研究では前頭葉の物質代謝と神経伝達機能の障害を示している。これらの文献をまとめると、(1)発病前から存在する前頭葉の機能低下がパニック発作の発症を抑制することが出来ず発病を許してしまう。(2)パニック障害の発症によりパニック発作に関与する橋(青班核)の過活動が前頭葉への連絡路(背側上行束)を通して、また、不安に関与する扁桃核(辺縁系)の過活動が前頭葉(眼窩面)への連絡路(Cummings,1995 )を介して前頭葉の機能変化を引き起こし、その結果、広場恐怖やここで示したような行動変化を呈する可能性が考えられる。 現在までの筆者らのデータによると、これらパニック障害における性格変化にも、anger attackにも,そして広場恐怖にも抑うつが深く関係しており、パニック障害の精神症状の根底には常に不安-抑うつ連続体症候が常に存在するものと考えられる おわりに 最後に,パニック障害の語源であるギリシャ神話のパンの神について一言述べておく。パンは山羊の足と2本の角を持ち騒々しく笑う不思議な姿をしていた 。パンの神は岩かげに横たわって昼寝をすることが好きであった。しかし、この午睡中に誰かが物音を立てたり、笛を吹いたりして安眠を妨げると、パンの機嫌は著しく悪くなり、山々に響く大きなうなり声をあげ、石つぶてを投げた。この怒りがあまりにも激しく恐ろしいものであったので、羊が狂乱して大騒ぎが起きた。そのため、羊をなによりも大切にする羊飼いたちはパンの機嫌を損なわないようにつねにおどおどするようになった。 パニックという言葉は、パンのために羊が荒れ狂い、ひいては牧者も大いに怖れおののくという話にその起源を持っている。また、パンの神は歌舞音曲に秀で、陽気で、享楽的、そして機知に富む天性をも持ち合わせていた。パンは山猫の皮を来て山のニンフを集め、笛を吹き、輪舞することが好きであった。アポロにはかなわなかったが、彼の演奏は素晴らしく、その笛の音は快く、春のどんな小鳥の声よりも美しく聞こえたと言われる。また、パンは好色でニンフを追い回した。ニンフのエコを慕ったが、エコはパンの異様な外形を怖れ、彼の望みから逃れた。そのため、パンの怒りにより、エコは声だけにされ、それも他人の言葉を繰り返すことしかできなくなってしまった。 筆者はこのパンの神の記載から、パンの神はanger attackを持っていたことと気晴らし行動が好きであったことがわかる。そして居眠りが大好きであったこともわかる。現代のパニック障害患者で過眠,易疲労性、発病してしまうと仕事への熱心さを失い、気晴らし行動が増えることがまれならず見られることを、ギリシャ神話はすでに看破し、パニック障害という病気の一端に気付いていたと思われる。 (文献) |