ひきこもり状態を示す精神障害
パニック障害
貝谷久宣
特集“ひきこもりの病理と診断・治療”
精神医学・45(3):255-258, 2003
本特集でパニック障害がとりあげられたのは、パニック障害において見られる広場恐怖が現象的には“ひきこもり”と理解される可能性があることからであろう。パニック障害は激しいパニック発作で発症し、その発作に対する予期不安が著明で、種々な行動面で物理的精神的束縛が生じ、日常生活に多大な支障を引き起こす病である。まず、はじめに、DSM-W-TRに示されているパニック発作、広場恐怖およびパニック障害の定義を示す。
DSM-W-TR 精神障害の分類と診断の手引き第4版修正テキスト
(米国精神医学協会2000)より抜粋(筆者翻訳)
American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. Fourth Edition Text Revision
(APA:DSM-W-TR),Washington DC, American Psychiatric Association, 2000(筆者訳)
パニック発作
ある限定した時間内に激しい恐怖感や不安感とともに以下に述べる症状のうち4つ以上が突然出現し、10分以内にピ−クに達する:
1. |
心悸亢進、心臓がどきどきする、または心拍数が増加する |
2. |
発汗 |
3. |
身震い、手足の震え |
4. |
呼吸が早くなる、息苦しい |
5. |
息が詰まる |
6. |
胸の痛みまたは不快感 |
7. |
吐き気、腹部のいやな感じ |
8. |
めまい、不安定感、頭が軽くなる、ふらつき |
9. |
非現実感、自分が自分でない感じ |
10. |
常軌を逸してしまう、狂ってしまうのではないかと感じる |
11. |
死ぬのではないかと恐れる |
12. |
知覚異常(しびれ感、うずき感) |
13. |
寒気または、ほてり |
広場恐怖
A.不意のまたは状況関連性のパニック発作またはパニック発作類似症状が起きたとき逃げ出すことが困難かまたは助けを求めることができないと考えられる状況にいることの不安。広場恐怖の恐怖は、自宅の外にいる、人混みのなかで一人で立つ、橋を渡る、バス、列車、車で旅行するといった特徴ある一連の状況に関与している。もし、忌避行動が1つまたは2,3の特別な状況に限られるならば、「特殊恐怖症」の診断を、また、忌避行動が社会的状況に限られるならば、「社会恐怖症」の診断を考慮する。
B.このような状況を避けたり(旅行範囲を制限する)、さもなければ、パニック発作やパニック発作類似症状が出現するのではないかと心配して著明な苦痛を感じたり、誰かに同伴を頼む。
C.これら不安や恐怖による忌避行動がその他の精神障害、たとえば、社会恐怖(恥を恐れ社会的状況のみを忌避する)、特殊恐怖(エレベ−タ−のようなただ1つの状況を避ける)、強迫性障害(汚されるという強迫観念を持つ人が汚いものを避ける)、および、分離不安障害(自宅や身内から離れることを避ける)により説明されがたい。
広場恐怖を伴わない/伴うパニック障害の診断基準
A.(1)と(2)を満たす。
(1) |
再発性で不意のパニック発作の出現 |
(2) |
少なくとも1回の発作後1か月以上以下の症状が1つ以上ある |
(a) |
次の発作を心配する |
(b) |
発作にかかわることやその結果を心配する(とり乱してしまう、心臓発作が起こる、狂ってしまうのではないか) |
(c) |
発作と関係する行動変化の存在 |
B.広場恐怖が存在しない/存在する。
C.パニック発作は物質による生理的作用ではないし(薬物濫用や服薬)、内科疾患によるものでもない(例、甲状腺機能亢進症)。
D.パニック発作はその他の精神障害、たとえば、社会恐怖(恥を恐れ社会的状況のみを忌避する)、特殊恐怖(エレベ−タ−のようなただ1つの状況を避ける)、強迫性障害(汚されるという強迫観念を持つ人が汚いものを避ける)、および、分離不安障害(自宅や身内から離れることを避ける)により説明されがたい。
古典例
パニック障害におけるひきこもり現象は、広場恐怖が最高度に達し、外出不能となり、家から離れることができない状態であると考えられる。パニック障害におけるひきこもりは本特集の社会的ひきこもりとは根本的に異なる。まず、パニック障害によるひきこもり事例を呈示し、その後、いわゆる社会的ひきこもりとの異同について述べる。まず、1850年に今泉玄祐が著した「療治夜話」に示されている心気病の事例を高橋5)の論文から引用提示する。
文献の事例
「耕野村の農夫七太郎という人が、治療を頼みにきた。実はかれの妻で、28歳になるのが患者で、5年前、お産をして、おりものは27日余りつづいたものの、身体は至って健康で平静と異なるところがなかったので、或る日、石臼を引く作業に携わっていた。ところが急に震えがきてめまいを覚え今にも死ぬのではないかというありさまになった。すぐに医者を呼んで治療を受けたので一命はとりとめたものの、そのことがあってから、身体がフラフラするようになり、なんとなく気分がすぐれず、しかも頭を挙げることができず、寝たままで握り飯しか食べられなくなり、それも噛むとそれが刺激になって気を失いそうになるので、休み休みゆっくり食べなければならなくなった。それに、時々胸の辺りがドキドキしたり、めまい感に襲われたり悲観して泣いたりするようになり、寝たきりになり、目覚めるとまるで惚けたようになって昼夜を弁えないような状態になった。しかし本当に惚けてしまったわけではなかった。また、明るさを嫌って、部屋の戸や窓を閉ざし、布団を被って寝ているありさまである、という。その間に方々の医者に診てもらい、占いや祈祷もしてもらい、その他八方手を尽くして家の財産も使い果たしてしまったが、なんの効き目もない。患者はこうして寝たきりで5年もたつ。月経も年に一回か二年に一回。食事も日にお猪口で三杯くらい。身体はすっかり痩せて、汗もかかなくなり、便秘もしている。しかし排尿はできる。もう八方手を尽くし、妻はこのままでは死を待つしかないところに至っている。家には70になる老母と5歳になる男子がいて、男手一つでは養いきれない.....」
(高橋徹:江戸期におけるパニック障害に対する心理療法−今泉玄祐の移精変気の法.貝谷久宣,不安抑うつ臨床研究会編;パニック障害の精神病理学,p31-39より)
この事例は広場恐怖を伴うパニック障害の古典例である。産後に震え、めまい、死の恐怖、心悸亢進からなるパニック発作を引き起こし、発作症状と非発作性不定愁訴および強い予期不安のため、外出はもちろん日常生活さえもろくにできない“ひきこもり”状態が5年間も続いた。その間に、うつ状態、および不十分な食事摂取と運動不足による体力の低下を来している。他人との交流がない、外出しない、生産的なことはしていないという意味では“ひきこもり”状態といえる。
自験例
S君は18歳で大学に入学したばかりの5月の連休に兄の運転する車で信州に向かっていた。中央高速の恵那山トンネルに入ってまもなく、心悸亢進、呼吸困難、胸痛、冷や汗、めまい、発狂恐怖、しびれ感、熱感、口渇からなるパニック発作を起こした。2回目の発作は美容室で髪を切ってもらっているときに生じた。その時初めて死を覚悟するほどの恐怖感に襲われた。
それからというものは、外出しようとすると意識が遠のくようなパニック発作の前兆の感じがして家から出られなくなってしまった。大学の講義にはそれ以後全く出席することができなくなった。家族はS君がなぜ大学に行かないか理解できず、S君にしばしば小言を言った。S君は自分の苦しみをわかってもらえず、家族に暴言を吐いたり、時にはものに当たることさえあった。S君は、終日、家に閉じこもり、生きていても仕方がないという考えに襲われるようになった。夜になると激しい孤独感に襲われ、自分の状態を悲観し、時には泣いたり、反対にいらつきのため、意味不明の叫び声を上げることがあった。夏休みに入ると、大学に出ていないという後ろめたさが少なくなったせいか、多少気分が晴れるようになった。高校時代の同級生に電話をしたり、メイルのやりとりが少しずつ増えていった。時には同級生が自宅に遊びに来てくれて、楽しく趣味の車の話に興じた。外出不能のS君は友人に自動車の雑誌を買ってくるように依頼したりして、同級生との交流も徐々に活発になっていった。このような状態が夏休み過ぎまで続いた。
ある日、S君はテレビでパニック障害の番組を偶然見た。そして、インターネットで自分の症状はパニック障害によるものであると理解するようになった。そのことを兄に伝え、兄の付き添いで来院した。担当医はS君にパニック障害の特徴と患者としての心構えを説明した。そして、薬物療法と認知行動療法が開始された。薬物療法として、ベンゾジアゼピン系抗不安薬と選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が処方された。認知行動療法では2週間に1度臨床心理士のカウンセリングを受けた。治療開始1か月後、近くのコンビニに一人で出かけることができるようになった。2か月後には電車ではなくバイクで大学まで行くことができた。大学には行ってもまだ講義室に入ることはできなかったが、友人とのつきあいは急に活発になった。3か月後には何とか講義を受けられるようになった。しかし、閉鎖空間でパニック発作の起きる不安のため、電車での通学は相変わらずできなかった。また、仲のよい友人と二人だけのつきあいは増えたが、数人のグループで行動したり、一緒にレストランへ行くことは困難であった。それは、人前でパニック発作が起きたら、あまり親しくない人たちに迷惑をかけるという危惧と、恥かしい思いをするのではないかという心が強く働いたからであった。
この事例では2回のパニック発作だけで高度の広場恐怖が発展した。行動を起こそうとすると発作の前兆のような意識が遠のく感じがして外出が全く不能になった。終日家に閉じこもり、鬱々とした精神状態がみられた。これは貝谷ら1)がパニック性不安うつ病と提案している状態である。うつ状態が有り、パニック障害が理解されていない状態はいわゆる“社会的ひきこもり”と見誤られる可能性があると考えられる。また、グループでの行動を嫌うのは人前でのパニック発作を恐れ、社交を回避する状態であり、二次性社会不安障害が生じてきていると考えられる2)。
社会的ひきこもりと広場恐怖によるひきこもりの差異
社会的ひきこもりと広場恐怖によるひきこもりの最も大きな違いは、広場恐怖のひきこもりでは社会的な接触は保たれることである。この事例ではうつ状態がある間は友人との交流はほとんど認められなかったが、抑うつ状態が軽快するとともに、また、治療が進むとともに社会的接触が活発になった。パニック障害の患者は、発病により種々な行動変化すなわち性格の変化を示す。高度で圧倒的な不安のため依存性亢進、感情移入過多、感応性亢進、短絡的思考、感受性亢進・過敏、怒り発作がみられる3)。パニック障害患者はおしゃべりで過関与の傾向がみられる。自閉的であることの多い社会的ひきこもり者の心性と大きく異なるところである。また、本邦で行われた最近の健康調査では、パニック障害の有病率は男性1.7%、女性5.0%であり、広場恐怖を伴うパニック障害は男性1.0%、女性3.3%で女性の頻度は男性の3.3倍であった4)。社会的ひきこもりの8割は男性であるのに比し、パニック障害における広場恐怖の割合は圧倒的に女性に多い。この点も両者の大きな鑑別点となろう。
1)貝谷久宣,宮前義和:パニック障害における抑うつ状態−パニック性不安うつ病(1).頻度と症状.貝谷久宣,不安抑うつ臨床研究会編;パニック障害研究最前線.日本評論社,p55-78,2000
2)貝谷久宣,宮前義和,山中学,他:社会不安障害の評価尺度と鑑別診断.樋口輝彦,久保木富房,不安抑うつ臨床研究会編;社会不安障害.日本評論社,p83-112,2002
3)貝谷久宣:パニック障害における性格変化.貝谷久宣,不安抑うつ臨床研究会編;パニック障害の精神病理学.日本評論社,p41-74,2002年
4)佐々木司,貝谷久宣:パニック障害の疫学−文献展望と本邦における調査結果.竹内龍雄,貝谷久宣,不安抑うつ臨床研究会編;パニック障害セミナー2002.日本評論社,p189-209,2002
5)高橋徹:江戸期におけるパニック障害に対する心理療法−今泉玄祐の移精変気の法.貝谷久宣,不安抑うつ臨床研究会編;パニック障害の精神病理学.日本評論社,p31-39,2002
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