パニック障害

貝谷久宣

CURRENT THERAPY 2000 Vol.18 No.7 143-148

はじめに

 パニック障害の生涯発症率はlOO人中1〜3人といわれており、その発症頻度は大変高いのにもかかわらず、なお十分に認知されず、患者は循環器内科をはじめ種々な臨床科を訪れる。また、たとえ診断はされたとしても十分な治療がなされることは少なく、この病気に苦しむ患者は多い。パニック障害の発症は男性では25〜30歳、女性では30〜35歳にピークがみられる3)。パニック障害患者の性差による発症の違いをみてみると、欧米諸国では女性は男性の2倍の割合で多いが、わが国ではこのような傾向はみられない。この事実は、パニック障害の発症は社会・文化的影響を受けている可能性を示している。

T.パニック障害の臨床症状

 パニック障害は不安の病である。その中心症状をなす不安は2種類ある。その一つは内因性不安、または原発性不安とよばれるパニック発作時にみられるものである。これは理由なく身体の内部から生じてくる、破滅的でいたたまれない不安である。他の一つは、予期不安で、これは生命の危機感を伴うパニック発作の発作の再発を恐れる不安である。この予期不安を2次性不安ともよぴ、正常心理で了解可能な不安である。

パニック発作

 パニック発作は、  に示したような13症状のうち4症状以上が突然出現し、10分前後で最高潮に達する。発作の間は明らかに強い不安・恐怖感を感じるか不快感が強い。パニック障害におけるパニック発作症状のうち最も頻度の高いベスト3は動悸、呼吸困難、死の恐怖である。DSM-Wの診断基準にないパニック発作症状として、口の渇き、鼻粘膜の乾き、下肢の脱力(腰が抜けた状態)などがときにみられる。

 パニック発作はパニック障害のみに特異的にみられるわけではない。社会恐怖にも心的外傷後ストレス障害にもみられる。人前であがってしまった状況でパニック発作が起こってもパニック障害とはいわない。パニック障害にみられるパニック発作は不意に誘因なく出現するのが本来の特徴である。まったく緊張していない時に不意にやってくる発作をリラックスパニックとよんでいる。しかし、以前に発作を起こしたことのある場所や、発作を起こすと大変なことになると患者が恐れる状況においては予期不安が強くなり、パニック発作を招来することは、パニック障害でもしばしばみられる。パニック障害における大きな特徴は、発作がまたくるのではないかと強い予期不安を持ち、それにより、生活習慣が変わったり、パニック発作の結果重大な病気になるのではないかと常時憂慮する状態がみられることである。  にDSM-Wのパニック障害の診断基準を示す。

U.パニック障害の経過

 パニック障害の初期ではパニック発作が前景にたつが、強い予期不安をもつ結果、しばしば広場恐怖が発展する。また多くの患者では、全般性不安障害の状態やうつ病が出現してくる。また、非発作性不定愁訴はほとんどすべての患者に慢性的に認められる症状である。

1.広場恐怖

 広場恐怖は、パニック発作が起きた時に逃げることが困難であるか、助けをすぐさま求めることのできない場所や状況にいることに非常に強い不安・恐怖感をもち、不快に感じる状態である。多くの場合このような場所や状況が回避されたり、家族や友人の同伴が求められる。広場恐怖がみられる典型的な状況は、電車、バス、自家用車などの交通機関による移動、とりわけ、急行電車、窓の開かない車両、便所のついていない電車、高速道路、渋滞が恐怖の対象となりやすい。そのほかに、すぐ逃げ出すことのできない人混み・雑踏、劇場の中央の席、会議、会食、美容院や理容院および歯科の椅子、行列に加わることなどが恐怖の対象としてしばしば訴えられる。家に一人でいることができない広場恐怖もある。広場恐怖のために外出できない、仕事にいけない状態が数年に及ぶことはまれなことではなく、広場恐怖が伴うパニック障害の社会的障害度は大変強い。広場恐怖は早期発見・早期治療の重要な病気である。数年間重度の広場恐怖状態にあると、完全にこの恐怖症から脱却することが困難になるばかりか、一時的に回復してもまた再発する例が多いパニック障害患者の約75%に程度の差はあれ広場恐怖が発展する4)

 広場恐怖の大部分はパニック障害に引き続き発展してくるが、5%前後の患者ではパニック発作に先立ち広場恐怖がみられる。このことは、英国ではパニック障害を恐怖症として理解していることの根拠となっている。実際に最近の一般社会における疫学調査では、パニック障害の発症率より広場恐怖の発症率のほうが数倍多いことが示されている。

2.全般性不安障害

 パニック障害の患者はパニック発作に対する予期不安が非常に強く、発作の結末をいろいろな形で心配する。例えば、発作により脳卒中や心臓病で死んでしまうのではないか、重大な病気が隠れているのではないか、人前で発作を起こし大恥をかくのではないか、気が狂ってしまって大変なことをしでかすのではないかと現実には起こりえないことを憂慮する。全般性不安障害の状態とは、パニック発作に関係するこれらの種々な憂慮はもちろん存在するが、それ以外に、身の回りの出来事(仕事の成否、異性問題、家庭問題、学業成績など)について心配し続ける状態である。この心配は過剰であり、制御することが困難で、本人を苦しめる。さらにまた、いわゆる神経過敏の病像(緊張感、易疲労性、集中困難、易刺激性、筋緊張、睡眠障害)を呈する。このような精神的、身体的症状が著明な苦痛を引き起こし、社会的、職業的な役割に障害を引き起こす。これらの全般性不安障害の状態が続くと多くの場合うつ病に移行する。パニック障害患者の38%に全般性不安障害が合併するという報告がある。

3.うつ病

 患者のクリニックに受診したパニック障害患者116名の初診時の所見を分析すると、31%にうつ病がみられた。パニック障害の発病前後を経時的に観察するならばこの割合はさらに増加し、半数以上のパニック障害患者はうつ病を示すことが推定される。実際に諸家の報告をみるとパニック障害にうつ病の合併する割合は、5〜91%に達する。

 パニック障害にみられるうつ病像は基本的にはDSM-Wに規定する大うつ病像が認められる。すなわち、@悲哀感、空虚感のある抑うつ気分、か、日常活動における興味や喜びの喪失、または両者、A著しい体重の増減、B不眠または過眠、C焦燥感または考えが進まない状態、D疲れやすさまたは気力減退、E罪責感または無価値感、F集中力や決断力の減退、G自殺願望または企図、といった症状がみられる。パニック障害にみられるうつ病は、このDSM-Wで規定する大うつ病のクライテリアで示される「ほとんど一日中の抑うつ気分」であることは少なく、むしろ一日のうちある一定に時間だけのうつ状態であることが多い。もちろん、病状が進行すれば昼夜を問わずうつ状態が持続するのは当然である。著者が観察したパニック障害でみられるうつ病は、70%がDSM-Wで規定する非定型うつ病像を呈する。この非定型うつ病像をもつパニック障害にみられるうつ病は従来の精神医学の成書には記載がないので、著者がこの5年間に観察した患者の病像をまとめて  に示す。

 パニック障害にみられるもう一つのうつ状態はKleinがdemoralizing depression(意気消沈うつ病)と表現したうつ病像である。これは、抑うつ気分より意欲減退が前景に立ち、そのほかの点ではDSM-Wで規定するメランコリー型の特徴を示すことが多い。このメランコリー型の特徴は、@日常生活全般における喜びの喪失があるか快適な刺激に対する反応の消失が認められる、A朝方の悪化、B食欲不振または体重減少、C早朝覚醒、D考えが進まないまたは、いらいらする、E罪責感をもつ、などがあげられている。このタイプのうつ病は女性よりも男性に多くみられる。

4.非発作性不定愁訴

 非発作性不定愁訴は基本的にはパニック発作症状がその激しさを弱め、発作的ではなく持続的に出現する状態であると考えられる。  に患者自身の言葉による非発作性不定愁訴症状を示す。パニック障害の慢性期の患者がこれらの症状を主訴として診療を受けると「自律神経失調症」と診断されることが多い。また、慢性疲労症候群と診断された患者の3〜4割はパニック障害と診断されるという米国での調査から、ここに示した「肩こり」「疲れやすい」「手足が鉛を詰めたように重い」といった症状を主訴とした場合に、この診断が下されていると推定される。

V.パニック障害の治療 1),2)

 パニック障害の治療で最も重要なことはまず発作を完全に消失させることである。慢性期でも治療が十分に行われないと、パニック発作は出現する。不全発作でも発作があれば不安は消失せず、広場恐怖やうつ病の発展を促進することになる。パニック発作の治療には薬物療法と認知・行動療法がある。

1.薬物療法

 ベンゾジアゼピン系抗不安薬をまず最初に使用し、パニック発作を減少・消失させるとともに予期不安を低減させる。発作が減少してきた段階で抗うつ薬を併用し、徐々に置換していくのが理想的である。その理由は、ベンゾジアゼピン系抗不安薬にはパニック障害に併発するうつ病や広場恐怖に対する治療効果があまりないからである。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)といわれる抗うつ薬(フルボキサミン・パロキセチン)が日本でも使用できるようになった(なる)ので、口の渇き、便秘、尿閉などの抗コリン性副作用や大量服薬時の致死性中毒の心配なく治療ができるようになった(なる)。

2.認知・行動療法

 パニック障害患者は生理的な身体変化、例えば、階段を駆け上がった時の心悸亢進を「死を招くような危険な緊急事態である」と誤った認知をする傾向にある。この誤警報は不安を惹起し、その不安によりさらに身体変化が著明となり、また不安が高まるという悪循環が生じる。この誤った学習を訂正していく課程が認知療法である。

 広場恐怖に対してはイメージを用いた系統的脱感作療法が行われるが、これよりは実際の場面で不安を逆制止する現実脱感作療法のほうが治療成績はよい。さらに、患者を直接恐怖場面にさらすことが不安の消去により有効であることが明らかにされているので、最近ではこの暴露療法が主な治療法となっている。暴露療法を行う場合、不安階層表を作成し、不安の弱い場面から暴露を始めたり、薬物療法を併用して治療を進めると効果の発現が早い。著者は、また、患者グループの会を催し、各患者の体験を語らせ討論させると、患者の治療意欲が鼓舞され、急速に回復していく事例を数多く経験している。

1)貝谷久宣,上松正幸:パニック・デスオーダーの精神薬理学をめぐって。精神医学レビューNo.3, パニック・デスオーダー(編集:高橋徹), ライフ・サイエンス, 22〜32, 1992
2)貝谷久宣:パニック障害の精神薬理学。最新 脳と神経科学シリーズ4, 最新の神経伝達物質−受容体の分子機構と関連神経疾患, メディカルビュー社, 東京, 192〜203, 1996
3)貝谷久宣:不安恐怖症−パニック障害の克服−, 講談社, 東京, 1996
4)貝谷久宣:脳内不安物質, 講談社, 東京, 1997