パニック性不安うつ病
貝谷 久宣
医療法人和楽会心療内科・神経科赤坂クリニック
(連絡先:貝谷久宣、〒107-0052東京都港区赤坂3-9-18)
心身医学2004年5月・第44巻
第5号 P361-367
抄録
100名のパニック障害患者に大うつ病が34名みられ、その62.5%は非定型うつ病であったことを示す筆者らの最近の報告を紹介した.このようなパニック障害にみられるうつ病―パニック性不安うつ病の特徴について示した.最後に、パニック性不安うつ病を示した広場恐怖を伴うパニック障害の母親と、軽い広場恐怖と不全パニック発作を示した2人の娘の家族症例を示し、一部の広場恐怖を伴うパニック障害と非定型うつ病との間に病因的に関係があることを述べた.
はじめに
不安症状が優勢なうつ病は、以前は不安うつ病と呼称されていたが、近年は不安障害に伴ううつ病を不安うつ病としている.パニック性不安うつ病は筆者の造語である.パニック障害において、大うつ病がcomorbidすることはよく知られた事実であり、その頻度は横断面的には3割前後、縦断面的には5割前後である.ところが、パニック障害の抑うつ状態の臨床症状については記載が少なく、その特質を知る手がかりは少ないのが現状である.筆者は過去10年間、もっぱらパニック障害患者を診察する中でパニック障害にみられるうつ病を観察し、それを「パニック性不安うつ病」と命名した.それは、従来、メランコリー型といわれている定型うつ病とは病像が異なっており、パニック障害にかなり特徴的なうつ病像が認められるからである.
現在、筆者がパニック性不安うつ病として一つの臨床単位と考える病態を に示す.また、これまでのパニック性不安うつ病に関する筆者らの研究結果を以下簡単に記す.
パニック性不安うつ病の臨床症状の特徴は、ハミルトンうつ病評価尺度の結果からは、抑うつ気分が強く、仕事や活動面の障害度が高く、消化器系の身体症状が多く、ふがいなさ感と絶望感が強い.自己評価尺度からみると、SDSでは「泣くまたは泣きたくなる」、「便秘している」、BDIでは、「自分自身に失望している」という特徴が浮かび上がった1).
パニック性不安うつ病は、抑うつ症状のないパニック障害に比べて、定職に就いていない傾向があり、受診直前のパニック発作症状数が有意に多かった.パニック性不安うつ病では、パニック発作症状として離人症や発狂恐怖といった精神症状の出現する頻度が高かった.パニック性不安うつ病では、大部分がパニック発作と抑うつ状態が交代性に出現した.一部には、パニック発作に引き続いて抑うつ状態に移行していくタイプがあった.交代型にしろ移行型にしろ、このような様式でパニック発作と抑うつが出現することの根底には、パニック発作や抑うつを引き起こす共通の病態生理が存在することが推定された.パニック性不安うつ病の6割近くに夜間過覚醒が認められ、また、4割の患者が夕方から夜間にかけて抑うつ症状が出現するという日内変動がみられた.パニック性不安うつ病では自己憐憫、絶望・焦燥感、孤独感、アクティング・アウトといった症状がしばしば認められた.そして、パニック性不安うつ病の57%は非定型うつ病と診断できた2).
パニック性不安うつ病を呈する患者は、多かれ少なかれ性格変化を引き起こす.それは、@感情移入過多、客観性の喪失、A自他の境界不明瞭―気分が感染しやすい/感応性亢進、B直情的自己中心的思考―待てない/許せない/我慢できない/勝手がよい/お節介、C短絡的思考―早とちり/熟慮がない/おっちょこちょい、D過敏性/感受性亢進―激しい嫌悪感、ハーム・アボイダンス行動、回避性人格、E怒り発作とその後の激しい自己嫌悪感、F依存性亢進―依存性人格障害、とまとめることができる.著者らは、これらの性格変化の根底に前頭葉機能の低下を推定した3).
その後、パニック性不安うつ病における非定型うつ病( )について、Stewartの非定型うつ病診断スケールを用いて詳しく検討した4).パニック障害患者100名のうち、大うつ病を合併していたのは34%であった.大うつ病を併発していたパニック障害患者の87.5%は気分反応性うつ病であり、62.5%は非定型うつ病であった.非定型うつ病の症状のうち、「鉛様麻痺」、過食項目中の「摂食一食事量の過剰」、拒絶に対する過敏の項目中の「日常生活における支障」が非定型うつ病の診断において重要な症状であることが明らかになった.大うつ病全体から概観すると、非定型うつ病の患者は非定型うつ病でない患者よりも初診時年齢が若いことが明らかになった.非定型うつ病でパニック障害を伴わない場合は、伴う場合に比べ罹病期間が長かった.
一方、うつ病を併存するパニック障害の患者では、それが非定型うつ病であろうとなかろうと経過はさほど変わらないことが明らかになった.大うつ病全体で、非定型うつ病群とそうでない群におけるパニック障害の頻度を比較したが、有意な結果は認められなかった.すなわち、非定型うつ病群はそうでない大うつ病群と比較してパニック障害が多いという結果は得られなかった4).
パニック障害と非定型うつ病は密接に関係しており、その本態は同じものであると筆者はみているが、既存の診断基準によっては証明することはできなかった.それは、DSM-Wではパニック障害と診断できるほどではないが、パニック発作があったり、広場恐怖が認められ、パニック障害の色彩を強く帯びた非定型うつ病症例がある.ここではそのような症例を提示して、パニック障害と非定型うつ病は関連の深い病態であることを示したい.
非定型うつ病
大うつ病エピソードが存在し、以下が病像の特徴となる
A.気分反応性(楽しい出来事に対して気分が明るくなる)
B.以下の特徴を2つ以上示す
(1)著明な体重の増加または過食
(2)過眠
(3)鉛様麻癖
(4)拒絶に対する過敏性
C.メランコリー型または緊張病性の基準を満たさない
DSM-W-TR
精神障害の分類と診断の手引き第4版修正テキスト(米国精神医学協会,2000)5)より抜粋(筆者翻訳)
症例
@症例1
患者:49歳、主婦.
家族歴:母親は30歳代の時に神経科受診の既往があり、父は80歳時に脳卒中で死亡.長女(症例2)と次女(症例3)が非定型うつ病の治療中である.
生活歴:4歳年下の妹と二人姉妹.父は会社員.東京の名門私立大学を卒業後、商事会社に勤務し、28歳で現夫と見合い結婚した.夫は4歳年上で国家公務員.
既往歴:特記すべきことなし.
現病歴:25歳時より、めまい、冷や汗、寒気を主徴とする不全パニック発作が年に数回あったが、治療せず放置していた.46歳時よりパニック発作が頻発するようになった.これは、車の運転中とかスーパーといった状況性のことが多かった.最近は、頭が常にふらついて歩くのが不自由となり、日常生活にも支障をきたしている.最近の発作は、車の運転中に下肢の脱力感、浮動感、口の乾き、心悸亢進、どうしようもない焦燥感に襲われることが頻回に出現し、車の運転をしなくなった.この3年間、夫が仕事に夢中で家庭を顧みることがなく、夫婦仲が冷めているのに気がつき悩み始めた.それと同時に、結婚前に付き合っていたが、親の反対で夫婦になれなかった男性のことばかり考えるようになった.その人といつも一緒にいて、対話しているような感じになっている自分に気がつき、ひどく罪悪感に襲われ、夫に告白した.自分の意志を通さなかった人生は間違っていた、嘘ばかりの人生だったと後悔の念にとらわれることが多くなった.自分は誰と結婚しているのか、自分は一体何者かと考えると恐怖心に襲われた.それに引き続き、落ち着かなくなって、心が分散しそうになり、不安、脱力感、虚無感に見舞われた.自分を破壊するような、何かわからない力が心の奥底から沸いてきた.自殺の考えが脳裏をかすめた.
治療経過:広場恐怖を伴うパニック障害・大うつ病の診断のもとに、エチル・ロフラゼペート、SSRI、スルピリドによる薬物療法が開始された.第2病週には、買い物が楽に行けるようになった、家事に集中できるようになったと述べた.昔の彼のことも客観的に考えることができるようになったと話した.その後まもなく、パニック発作は完全に消失し、非発作性不定愁訴の頻度も強度も低減していった.第20病週には、パニック性の症状も発作性の落ち込みもほぼ消失した.その頃より、ささいなことで立腹することが目立ってきた.夫が自分の親族宛てだけの年賀状を作り患者の親族宛てのものを作らなかったことに過激に反応し、家中が大騒ぎになった.第26病週より少量のレボメプロマジンが処方され、怒り発作は徐々に治まっていったが、時に軽い心悸亢進発作が突発した.第51病週頃より、次女の抑うつ状態が強くなり、学校を休むようになり、患者もそれと同時に落ち込むことが多くなった.次女の言葉尻に腹を立て、逆上することがしばしば生じた.一度、逆上すると四肢がずしんと重くなり、ほとんど一日何もできなくなり、終日寝ているという状態であった.夫と次女は近くのマンションに別居することになった.すると、母親としての無価値感に襲われ、再び強い抑うつ状態に陥った.娘が別居するようになり、少しずつ心の安定感を取り戻し、第63病週よりパートに出かけるようになった.そうなると生活のリズムができ、体調がよくなり、気分も安定し、病状は好転した.次女と再び同居するようになった第103病週になり、「お母さんだと思っていません」という切り口上の娘の言葉に、再び強く落ち込むようになった.落ち込むと、甘いお菓子を大量に食べた.現在も、気分の変動はあり安定していない.パニック発作はないが、時にめまい、ふらつきに悩まされる日もある.
症例1の要約:25歳頃より不全パニック発作が発症した.46歳からパニック発作が頻発するようになると同時に、発作性に離人症様状態または軽い解離性状態となったり、過去の出来事に思いふけることがあった.それは強い感情を伴うものであり、結果的には不安・焦燥状態からうつ状態が生じた.これは不安発作から抑うつ状態に移行しているものと解釈できる.49歳になり、本格的に薬物療法を始めると、まもなくパニック発作および非発作性不定愁訴は軽快していった.しかし、それと交代して怒り発作がしばしば出現するようになり、また自己中心的な言動が目立つようになった(パニック性性格変化).そのような状態に対する娘の批判的態度に落ち込んだり、怒り発作をさらに頻発するようになった.いわゆる気分反応性のうつ状態である.家族の言葉に傷つくと、手足の鉛様麻痺と過眠がみられた.このようなうつ状態の合間に突発的に不全パニック発作が出現した.抑うつは気分反応性であり、過眠と鉛様麻痺があり、非定型うつ病と診断できる.
A症例2
患者:症例1の長女、20歳、女子大学3年生.
現病歴:1年前の秋、学部変更のための勉強を始めて1ヵ月後、気力がなくなり、体重減少が出現した.その後、突然過食が始まった.空腹感がなくても、食べ物のことが頭から離れず、アイスクリームやチョコレートを食べ続け、体重が7kg増えた.自己誘発嘔吐や下剤の使用はなかった.新学期になっても大学へ行く気力がわかず、神経科を受診した.薬物療法で学校へは行けるようになったが、夕方になると寂しくなったり、わけもなく涙が出た.大学へはなんとか行くが、朝目覚めても眠気がとれず、ベッドから出るのがつらかった.学校では仲の良い友人とは楽しく話したり、一緒に食事に出かけることができた.午後からは眠くなってしまって、講義中に居眠りすることが多かった.また、地下鉄のホームや地下鉄の中で頭が軽くなり、身体がふらつくような感じに襲われることがしばしば出てきた.しかし、それ以上にパニック発作に発展することはなかった.ただ、地下鉄は何となく避けるようになってしまった.バルプロ酸、イミプラミン、SSRI、エチル・ロフラゼペートの少量投与で、2ヵ月後にはほぼ寛解状態となった.
症例2の要約:19歳時、抑うつ気分(退行型)で発症.抑うつ気分は親しい友人に会えば消失する気分反応性である.夕方の孤独感と理由のない落涙があり、夕方悪化するうつ病である.過食と過眠が認められたが、拒絶に対する過敏性はなかった.以上のことから非定型うつ病の診断基準を満たす.抑うつ症状が出てきてから、乗り物の中でパニック発作までは至らないがその未熟な状態があり、軽い広場恐怖が認められた.
B症例3
患者:症例1の次女、17歳.
2年前、高校に入学してまもなく電車通学中、電車に乗っていることに強く苦痛を感じることがあった.特別な身体症状は出ないが、このまま電車に乗っていたくない、いてもたってもいられない感じに襲われ、途中下車してしまうことが数回あった.下車してしまうと急にむなしくなり、いたたまれない気持ちがわき上がった.1年前の5月、大学2年の時に、全身に錘がついたように体が重く朝起床することができず、気分が落ち込み、大学を休むようになった.数力所の神経科と心療内科を訪問したが症状の改善は思わしくなかった.ただ、気分のよい時は父と楽しく買い物に出かけることができた.しかし、結局、1年間休学することになった.同じ時期、母は、パニック発作は消退したものの、時々怒り発作を起こし不機嫌で、十分に家事をこなすことができず、母の面倒をみるつもりでいても自分のほうが母の言葉で傷ついてしまうことがしばしばあった.このような状況で、母との関係が徐々に悪化し、ついには顔を見ることさえもいやになり母と別居するようになった.すると、生活が不規則になり、毎日10数時間眠る状態であった.また、常に何かを口にしないと気分が落ち着かず、食パン、アイスクリーム、スナック菓子を常に身の回りに置いていた.体重の変動は10kg以上あった.姉が筆者のクリニックに通院するようになり病状が好転したので、症例3も受診した.
症例3の要約:高校に入学してまもなく、軽い広場恐怖が出現したがパニック発作までは至っていない.その約1年後、抑うつ気分が出現してきた.これは気分反応性で、鉛様麻痺、過食、過眠があり、非定型うつ病と診断できた.
討論とまとめ
症例1ではパニック障害の発症後明らかな抑うつ状態が出現した.症例2では抑うつ状態の出現後、軽い不全パニック発作症状がみられた.症例3では抑うつ状態発現後に軽い広場恐怖が出た.3症例とも非定型うつ病で、さらに広場恐怖を伴うパニック障害、またはその雛形というべき症状を示した.このようなことからここに示した3症例の病態生理には共通したものがある可能性が強い.もちろん家族性であることもこの推論を強く支持する所見である.また、世代が下がるほど発症年齢が若くなっていたことも興味ある所見である.症例2と症例3が症例1と大きく異なるところは、いわゆるパニック性性格変化を示さなかったことである.また、このパニック性性格変化に相通じる非定型うつ病にみられる拒絶に対する過敏性も、症例2と症例3ではみられなかった.将来、このような症例の生物学的マーカーが明らかになれば、パニック障害と非定型うつ病には共通した病態生理が存在するという筆者の推論が証明されるであろう.
1)貝谷久宣,宮前義和:パニック障害における抑うつ状態―パニック性不安うつ病(1)頻度と症状.貝谷久宣,不安・抑うつ臨床研究会(編):Panic
Disorder Sheehan Symposiumパニック障害研究最前線.日本評論社,pp55-78,2000
2)貝谷久宣,宮前義和:パニック障害にみられる抑うつ状態―パニック性不安うつ病(2)臨床的特徴.貝谷久宣,不安・抑うつ臨床研究会(編):パニック障害症例集.日本評論社,pp149-168,2001
3)貝谷久宣:パニック障害における性格変化.貝谷久宣,NPO不安・抑うつ臨床研究会(編):パニック障害の精神病理学.日本評論社,pp41-74,2002
4)貝谷久宣:パニック性不安うつ病(3)―非定型うつ病との関係.樋口輝彦,久保木富房,貝谷久宣,他(編):うつ病の亜型分類.日本評論社,2003
5)American
Psychiatric Association:Diagnostic and Statistical Manual of Mental
Disorders. Fourth Edition Text Revision. Washington DC, American
Psychiatric Association,2000
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