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非定型うつ病
医療法人 和楽会 パニック障害研究センター
貝谷久宣
Pharma Medica Vol.26 41-44 2008(4)
T.疾病概念の歴史と症状
非定型うつ病の概念の誕生には、“まず薬物療法ありき”であった。その元をひも解くと、英国聖トーマス病院のWestら1)は、モノアミン酸化酵素阻害薬(MAOI)イプロアジドを101名のうつ病 患者に投与して、58名に予想に反して迅速な効果があると判定したことから始まる。彼らの記載を以下に示す。“これら患者は、非定型、ヒステリー性といった特別なグループであった。そして、慢性経過を示しており、本来のうつ状態が明らかになる前は恐怖―不安症状によりマスクされている患者が多かった。 何人かの患者は、いわゆる真の’うつ病’というよりは’general inadequency(元気がない)’という
印象のほうが強かった。そして、彼らは不安げで過剰反応を示し、ヒステリーが第一次診断で、うつは二次診断となっていた。このモノアミン酸化酵素阻害薬に反応した患者の臨床特徴として、自責感が少なく、午後悪化が多く、半数近くに恐怖症があり、電気けいれん療法で悪化し、振戦が多く見られ、心血管系症状が8割近くに見られた。
当時の恐怖症とヒステリーという診断は、現代精神医学ではほぼパニック障害とみなすことができる。Westらが観察したうつ病の大部分はパニック障害に伴ううつ病、すなわち、著者がパニック性不安うつ病として報告している状態であると考えられる2)3)。それは、著者らがパニック障害に伴ううつ病の自検例を現代の診断基準に基づいて診断すると62.5%が非定型うつ病であった、ことからもうなづける4)。
同じ病院のSargant5)は翌年、これらMAOI反応性のうつ病の臨床特徴をさらに詳しく記載している。これはまさに、著者が報告してきたパニック性不安うつ病の病像に一致する。ここに彼の記載を記す。“非定型うつ病の一部は大ヒステリーに表面的には類似したケースがある。しかし、大ヒステリーと大いに異なっている点は、発病までは、彼らは良好なまたは時には非常に優れた人格の持ち主であったことだ。彼らは全く問題ない日常生活を過ごしていたようである。彼らは特別なまたは長期間にわたるストレスにより挫折したようだ。発症の2年ぐらい前から、軽い抑うつ状態があったり、感激性が増したり、どことなく不安であったり、そして時に、街頭に出たり1人で旅行することに不安・恐怖の既往がある。また、気立てが悪くなったり、怒りやすくなったり、過敏で攻撃的になったりと、内因性うつ病とは多くの点で異なっている。彼らは自分の異常な行動に対して病識を持っているが、それをコントロールしたり改善することが出来ない。”
Sargantの記載は、この種のうつ病者は問題のない病前性格を持っていたにもかかわらず、長期のストレスが加わることによって広場恐怖を伴うパニック障害を発症し、感情が過敏となっていき、(現代精神医学では境界性人格障害として取り扱われるような)種々な問題行動を起こす事例を主に示しているのだと思われる。
Klein6)はMAOI反応性の病像をHysteroid Dysphoria(類ヒステリー不機嫌症)と名付け、過食、過眠といった逆自律神経症状を呈することを強調しV型(不安障害を根底に持つタイプはA型であるがこれは触れられていない)として記載している。彼の記載を紹介する。“患者はもっぱら女性で、恋愛関係がうまくいっているときには多幸的であるが(overidealized romance)、しかし自分の愛情が批判されたり拒絶されたと感じると激しく打ちのめされてしまう(emotional instability)。その絶望の深さはヒステリーを思わせるものであり、過食や過眠が典型例では伴う。この恋愛が拒絶された状態でも、新しい恋人が出来ると即座に明るくなる。この拒絶過敏性類ヒステリー不機嫌症は非定型植物神経症状が顕著なV型に分類される。
ここでKleinは過食と過眠を特徴的な症状として取り上げ、良いことがあると気分が持ち上がる、すなわち、気分反応性に注目している。DSM-W診断基準(表)は、主に、これらのKleinの記載をもとにして作られている。
非定型うつ病像に説明を加えると、1日10時間以上または普段より2時間以上多く眠れば過眠とし、2kg以上の体重増加または明白な食欲増加を、体重増加または過食とし、鉛様麻痺は手足におもりがついたように重い疲労感とし、拒絶されるのはだれにとっても嫌なものであるが、明らかに過敏な反応を起こし学校や職場を休むといった社会的回避を引き起こすか、大切な人間関係を破滅に導くほどのものである。著者らの大うつ病を伴うパニック障害の調査では、過眠が36.7%に、過食が40%に、鉛様麻痺が56.7%に、人間関係における拒絶に対する過敏性は76.7%に認められた。
気分反応性は最近のうつ病で増加していると考えられる。大うつ病の43%から72%、再発性うつ病だけを対象とすると80%以上は気分反応性であることが報告されている。また、非定型うつ病の頻度はうつ病全体からみると、疫学研究では16-36%(25%)、臨床研究ではもう少し多く23-43%(31%)である。気分変調性障害では43%が7),双極U型障害では半数以上が非定型うつ病であるという報告もある8)。
表 非定型病像を特徴づける事項(DSM-WTRによる診断基準)
非定型病像を持つと言えるのは、大うつ病性障害、双曲T型障害、双極U型障害において大うつ病エピソードが最近の気分障害であり、非定型病像が最近の2週間優勢の時か、または、過去2年間の気分変調性障害で非定型病像が優勢の場合である。
A |
気分反応性(すなわち、実際のまたは現実性のある好ましい出来事に反応して気分が明るくなる) |
B |
下記症状の2つ以上 |
1 |
著しい体重増加または食欲増進 |
2 |
過眠 |
3 |
鉛様麻痺(すなわち、四肢の重くて鉛のような感じ) |
4 |
長期にわたる対人関係における拒絶に対する過敏性(抑うつエピソード期間に限らない)、その結果社会生活、職業における著しい障害が生じる) |
C |
同期間のエピソードにおいてはメランコリー性の特徴も緊張病性の特徴の基準も満たさない |
U.症例提示
20歳女性
意味もなく涙が出ること、過食が激しいことを主訴としてパニック障害で治療中の母に連れられて受診した。母親は服飾専門学校を中退し、スナックに勤め、男性を転々と変え、ほとんど家には寄り付かない長女を何とか堅気の生活に戻したいと願い連れてきた。妹は中学校3年生からパニック障害を発症し、やはり治療中である。患者は幼少時から、父親が母親に暴力を振るうのをしばしば目にして、悲しい思いをして育ってきた。高校に入り、家庭を嫌い、同級生の家を泊まり歩いた。高校2年のある日、教室で激しいパニック発作に見舞われてから、教室にいることを嫌い(広場恐怖を伴うパニック障害)学校に行かない日が多くなった。繰り返しあったパニック発作がおさまると、寝ても寝ても眠い日が続き、一日中家でゴロゴロしている生活が続いた。ベットにいる時間が12時間を超える日が多かった(過眠)。弟が患者の顔かたちについて批評めいたことを言うと激しく反応し、大喧嘩になり、つかみ合いの喧嘩がしばしばあった(拒絶に対する過敏性)。そのような出来事と相前後して、過食や、リストカットが見られていた。高校3年の秋、女友達の間で小さないざこざがあってから、朝、体が動かなくなり(鉛様麻痺)、学校に行けなくなった。近くの心療内科の診察を受け、境界性人格障害と診断された。本人は性格異常だと言われてからは医者嫌いになり、治療を受けようとしなかった。
診察の結果、非定型うつ病の診断基準を満たす症状を認め、さらに、夕暮れ1人になると意味もなく涙が出るのに引き続き、急に不安感と形容の仕様のない孤独感に襲われる状態(不安・抑うつ発作)9)が問診により明らかになった。そして、その気持ちを何とかしたいと思い酒を飲み、急に解放的な気分になって、タバコを二の腕に押し付けるという対処行動があることが判明した。患者にはこれはうつ病の一種であり、夕方、気分が変わって自傷行為をするのは“不安・抑うつ発作”であり、これがなくなれば気分も楽になっていくことを説明した。そして、規則正しい服薬と生活態度と、心よりも身体を使う生活が必要なことを告げ治療を始めた。
V.治療
原著の示すMAOIは本邦ではうつ病の適応薬として使用できない。パーキンソン病治療薬として上市されているMAO-B選択的阻害薬 塩酸セレギリンが非定型うつ病に効果があったとする報告が散見されるが、中止後2週間三環系抗うつ薬が使用できないことや、重篤な副作用があることを考えると実用性に欠ける。海外、とりわけ、ニューヨークのコロンビア学派によりMAOIであるフェネルジンが数多く治験され、有効率は約70%であり、イミプラミンの有効率50%に勝ることが明らかにされている。最近では選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)に効果があると米国の総説では書かれているが、著者の経験では日本で使用できるSSRIの多くのものには著効を認めることができない10)。コントロール試験で可逆性MAOIであるモクロベミドにフルオキセチン11)とサートラリン12)は勝っていた。著者はもっぱらイミプラミンを頻用している。非定型うつ病の過眠や重篤な疲労感に対しては将来有望な薬物は、ドパミン系が関与する薬剤であるブプロピオン13)やモダフィニル14)であろう。人間関係における過敏性やKleinがジェットコースターのようだと形容した情動の激変、さらには怒り発作にはバルプロ酸や非定型抗精神病薬は欠かせない。
精神療法のコントロール研究は1報告しかない。Jarretら15)によれば認知療法はフェネルジンに勝るとも劣らない効果があるという。著者の診療では、臨床心理士が認知行動療法のプログラムとして@劣等感の除去A自己主張のスキルBストレス・コーピングC情動コントロールD自己の客観視の向上−瞑想、ヨガなどを行っている。
おわりに
非定型うつ病についての臨床知見を概観すると現在下記のようにまとめることができる。
@ 女性、若年者に多い
A Comorbidity率高い−社会不安障害、パニック障害、
B 慢性経過、 社会的障害度大
C 双極U型障害の割合が高い
D 治療抵抗性大
E 病前性格の極端化−過敏性亢進、退行(前頭葉機能低下)境界性人格障害
文献
1)WEST ED, DALLY PJ:Effects of iproniazid in depressive syndromes. Br Med
J 1:1491-1494,1959
2)貝谷久宣、宮前義和:パニック障害における抑うつ状態 パニック性不安うつ病(1)頻度と症状.貝谷久宣,不安・抑うつ臨床研究会
編,パニック障害研究最前線.東京,日本評論社,55-78,2000
3)貝谷久宣:パニック障害における性格変化.貝谷久宣,不安・抑うつ臨床研究会
編,パニック障害の精神病理学,東京,日本評論社,41-74,2002
4)貝谷久宣,林
恵美:パニック障害と非定型うつ病.樋口輝彦,久保木富房,貝谷久宣,不安・抑うつ臨床研究会
編,うつ病の亜型分類.東京,日本評論社,41-59,2003
5)Sargant W: Some newer drugs in the treatment of depression and their relation to other somatic treatments. Psychosomatics
1:14-17,1960
6)Klein DF,Gittelman R,Quitkin F,et al: Chronic Dysphoria.
in Diagnosis and Drug treatment of Psychiatric Disorders: Adalt and Children,(2nd
ed.).Baltimore/London,willian & Wilkinsn,243-250,1980
7)貝谷久宣:パニック性不安うつ病―不安・抑うつ発作を主徴とするうつ病.心療内科
12:30-37,2008
8)Zisook S, Schuter SR, Gallagher T, et al: Atypical depression in an outpatient psychiatry population. Depression
1:268-274,1993
9)Benazzi F. Testing atypical depression definitions. Int J Methods Psychiatr Res.
14:82-91,2005
10)貝谷久宣:きまぐれ「うつ」病―誤解される非定型うつ病.東京,筑摩書房,2007
11)Lonnqvist J, Sihvo S, Syvälahti E,
etal: Moclobemide and fluoxetine in atypical depression: a double-blind trial.J Affect Disord.
32:169-177,1994
12)Sogaard J, Lane R, Latimer P, et al:A 12-week study comparing moclobemide and sertraline in the treatment of outpatients with atypical depression. J Psychopharmacol
13:406-414,1999
13)Goodnick PJ, Dominguez RA, DeVane CL, et
al:Bupropion slow-release response in depression: diagnosis and biochemistry. Biol
Psychiatry 44:629-632,1998
14)Vaishnavi S., Gaddle K., Alamy S. et al. : Modafinil for atypical depression: Effects of open-labeled and double-blind discontinuation treatment. J. Clin. Psychopharmacol
26: 373-378, 2006
15)Jarrett RB, Basco MR, Risser R, et al:Is there a role for continuation phase cognitive therapy for depressed outpatients? J Consult Clin Psychol
66:1036-1040,1998
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