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わたしの富士登山

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣

  この歳になると人生まだやっていないことは何かを考える。一度は行ってみたいところはと自問自答すると富士山が浮かんだ。東京−名古屋を毎週1回以上往復しているわたしは富士山を新幹線の車窓から見る機会は多いがまだ登ったことはない。今年は富士山に登ろうと決心をした。その前にまず、体力を作らなければならない。東京にいるときは皇居を一周することに決めた。3月中旬から、週に2回は朝6時前に起き、天皇陛下の住まわれる江戸城跡全周5.1Kmを早足に歩いた。多くの場合、半蔵門に出て、桜田門、正門、坂下門、桔梗門、大手門、平川門、そして乾門と左回りをした。1時間と5分のウォーキングである。冬の名残から春そして夏への季節の移り変わりを見せてくれる皇居の自然は素晴らしい。また、47都道府県の花が刻み込まれた石が歩道に埋め込まれており、これを一つずつ確認して歩くのも楽しみとなった。ちなみに、東京都の花はソメイヨシノ、愛知県はカキツバタ、岐阜県はレンゲソウである。富士登山は7月中にするのがよいと昔から聞いていたので、山開きの直後にすることにした。7月になり体力の最終調整のために岐阜の金華山(標高329m)に3回登った。朝出勤前に岐阜公園まで車で10分走り、七曲がり、百曲がり、そして最後に馬の背登山道を上がった。この馬の背は数ある金華山登山道の中でももっとも険しい岩場の連続であり、富士登山直前のトレーニングとしては最適であった。頂上に立つ岐阜城まで約30分である。城の横に祭られている御岳神社の後ろ手から見る美濃の山々を背に下ってくる長良川は絶景である。

  さて、予定の7月13日が来た。リュックには防寒具、ヘッドライト、マスク、携帯酸素ボンベ、手袋、チョコレート、ポカリスエットなどを詰め込んだ。夜行バスで行って、そのまま頂上まで登りご来光を拝んですぐさま引き返すなどといった強行軍は今のわたしにはとても出来ない。わたしは余裕をもって登りたいと考えた。頼みになる助っ人の同伴者はson-in-lowのDougである。彼はアメリカはメイン州生まれ身長188cmの力持ちである。二人は朝8時新宿発の富士急行バスに乗り昼前に河口湖五合目(標高2305m)に到着した。ここはまだまだ俗界である。五合目まで来て帰る観光客も多いようである。1番大きいレストランに入りしっかりと腹ごしらえをした。いよいよ登山開始である。両手にそれぞれストックを持った。これは最近流行のウォ−キンググッズである。片手のストックよりもずっと楽であることが使ってみてわかった。500mlのポカリスエット2本は助っ人のDougのリュックに入れてもらい身を軽くした。さて、出発進行、本日の目的地は八合目の富士山ホテルである。ゆっくりゆっくり一歩一歩をかみしめるように登った。他の若い登山者たちはわたしのようにそれほど富士登山を大げさに考えていないのかハイキング気分の人が多かった。目立ったのは外国人の登山者が多いことである。日本を象徴するMt.Fujiに来日記念登山をする人が多いのか約3分の1は外国の人のようであった。六合目を過ぎると上り坂は険しくなった。昔の人が「六根清浄」と唱えて登ったということを思い出したのでつぶやいて登ってみた。そうしたらこの四拍子の言葉は体をリズミカルに動かす掛け声となり、足が自然に前に出させた。六根とは人間の眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根という六つの認識器官を指す仏教用語だそうである。六根罪障というと六根により生じた罪業の障りと言うらしい。この障りを清らかにするというのが六根清浄ということだと物の本に書いてあった。江戸時代に盛んになった富士山信仰では、白装束に白鉢巻きで先達が唱える「六根清浄」に随行の富士講の人々が「懺悔、懺悔」と唱和しながら頂上を目指したという。富士登山は一種のみそぎであったのだ。このことをわたしは富士登山を終えて何となく実感した。「六根清浄」とつぶやいて登っている自分の身の中のけがれが本当に汗とともに流れ落ちるような気がしたのはわたしにもわずかばかりの宗教心があったせいであろうか。

  足元のあまりよくない険しい道が続いた。登山中の富士山そのものは岩山で少しも美しい山ではない。「八面玲瓏のたぐいなき美しき富士」というのは登らない人の言う言葉である。しかし、富士山に登山したわたしは他の山の登山とはまったく異なったすばらしさを発見した。山並みの中にある一つの山を登る時には周囲もすべて山であるから頂上にたどり着かなければ見下ろしたり見晴らしたりすることはほとんどない。しかし、富士山は別である。登山中ほとんど常に下界を見下ろせるのである。その展望は登れば登るほど高度を増し素晴らしくなっていく。すぐ真下に河口湖がありその左に西湖、さらに精進湖や本栖湖も見え隠れする。右手には忍野の原生林が広がる。途中何度かDougのリュックからポカリスエットを出してもらい水分を補給した。八合目に近づいてくるとさすがに歩幅は小さくなり速度は鈍った。このときばかりは、"エネルギー産生のためには酸素が必要である"という生理学の基礎を実感した。携帯用酸素の威力をである。簡易ボンベから噴出する酸素を二回も吸引すれば体がスーッと軽くなり元気百倍といった感じである。午後4時過ぎには八合目の富士山ホテルに到着した。チェックイン、さてお部屋にご案内しますと言われリュックを持ってもらい階段を登るまではホテルの名に恥じない待遇であった。ところが行き着いたところは20m以上あるしきりのない二段ベッドの部屋である。「お客さんの部屋は123番です」と言われてもそこはほんの肩幅だけの空間でした。しかし標高3400mで水平に横になれる場所があるだけでも贅沢というものです。日が暮れてホテルの外は強風が吹き気温は5度、自然の厳しさを感じさせられました。その夜は婿殿とはじめて身を寄せ合って寝息を立てました。

  翌朝、4時には起床しホテルの前からご来光を拝んだ。朝の冷え冷えとした薄明かりの中で拝む初々しい陽光の神々しさはやはり富士登山の大きな魅力であった。「ご来光」は「ご来迎」に通じ、行者の臨終に阿弥陀三尊が現れることである。富士登山はやはり宗教的な雰囲気を漂わせる行事ではある。5時には頂上を目指してホテルを出発した。いわゆる胸つき八丁といわれる道である。途中酸素ボンベを数回使用したが、7時には頂上に到着した。浅間大社奥宮、山頂郵便局、久須志神社、剣が峰−富士山測候所(3776m)をまわっていわゆるお鉢巡りを約1時間かけて行った。世間で言うとおりに時計回りで1周した。これで登山が終わったわけではない。実は、下りは登りよりたいへんであった。膝の痛みが出てしまった。後ろ向きに歩いたり、蟹のように横歩きをして下山した。6合目あたりはもっとも辛くもうダウンかと思うところにちょうど馬が待っていた。しかし、ここで自力下山できないのは残念と最後の力を振り絞った。昼前には五合目に帰った。

  富士登山を終えてからの毎日は何となく身も心も引き締まった感じの日々が続いた。これは、自然の厳しさに触れ、多少とも宗教的雰囲気を味わったことと、標高の高い場所で軽い低酸素症にかかった脳味噌が下界に降りて酸素が十分な状態に戻り刺激されたたせいかと考えた。いずれにしろ、たいへん素晴らしい経験が出来たとおもう。日常の仕事を離れた富士登山はわたしにとって一種のみそぎだったかもしれません。パニック障害の全快記念にみなさんも是非富士登山をされたらいかがなものでしょうか。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.26 2001 AUTUMN


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