不安のない生活―――(2)ある看護師の場合
医療法人
和楽会 理事長 貝谷 久宣
パニック障害は慢性の病気です。クリニックが開院されて以来通院している患者さんは少なくありません。中等度以上の重症度を持つ患者さんは完全に治ってしまう人が少ないのではないかと思います。筆者のクリニックはパニック障害患者の最終駅と言う人もいますから、比較的重症の患者さんが集まっています。そのため、筆者は良くなってしまった患者さんを見る機会が少ないのかもしれません。また、治ってしまってそのまま通院しない患者さんも結構いると思いますが、そのような方々の情報はあまり入ってきません。そのようなことで、これまで、パニック障害が治癒してしまった人々の話をあまり書いたことがありませんでした。今回は筆者の身近の人で重症のパニック障害でしたが、完全に治ってしまった事例を紹介します。そして、その完全治癒の要因について考えてみたいと思います。
森田さんは筆者のクリニックで働く准看護師でした。彼女は中学を卒業後内科開業医に看護師見習いとして就職すると同時に准看護学校に通っていました。両親の夫婦仲が余り良くないので親を敬遠し、ひとり暮らしをしていました。准看護学校を卒業し21歳の時に内科から転職してきました。元来彼女は父に同情的で、父親の患うアルコール中毒のことをもっと知りたくて精神科も標榜していた筆者のクリニックに来たのです。筆者のクリニックでは就職のとき東大式エゴグラムをやっていただきその人となりを知るようにしています。その心理検査で、森田さんは、理性的、楽観的なマイホームタイプの結果が出ました。彼女の仕事ぶりは誠に真摯で、患者さんに優しく、事務のスタッフにとても気を使い、一生懸命働きました。この彼女の他者配慮性は時に多少過敏で、その反面、傷ついてしまっているのではないかという危惧を抱かせる一面もありました。パニック障害発症の半年前、それまで付き合っていた大学に通うボーイフレンドの就職が郷里にユーターンすることが決まり、彼女は落胆しました。両親のもとから遠く離れて結婚するかどうか、迷いと困惑の日々を送るようになりました。それに追い打ちをかけるように、それから間もなく叔母の危篤の知らせを受け気分が動転しました。その人は、森田さんの幼児期に彼女を育ててくれた叔母だったのです。彼女の気持ちの動揺は並大抵ではありませんでした。この1ヵ月後森田さんは激しいパニック発作に襲われました。
それは今から11年前の8月26日のことでした。森田さんは、元来、コーヒーは好きではなく殆ど飲まないのにその日はなぜか口が渇きペットボトルに入ったコーヒーを500ml近くも飲んでしまいました。そして午後から出勤すると間もなく、腹部不快感に始まり、心悸亢進、激しい不安・焦燥感、全身のしびれ、震え、胸痛が出現してきました。パニック障害を専門とする筆者が、その激しさに救急車を呼ぼうとさえ考えるほどでした。その時は、即効性のある抗不安薬の静脈内注射で症状を完全に取り去りました。この時点ではまだパニック障害の診断はなされていません。このパニック発作は日に数回連日出現するようになり、4日目にはっきりとパニック障害と診断し治療を開始しました。森田さんのパニック発作は非常に激しく、筆者の徹底的な治療をもってしてもほぼ完全に発作が起こらないようになるまでに3週間もかかりました。その間に激しい発作でクリニックに駆けつけてくることが数回ありました。治療開始10日目頃からパニック発作が少し軽くなり始めると不安・抑うつ発作が出るようになりました。これは理由のない激烈な不安感、悲哀感、孤独感などの発作です。多くの場合、まず流涙で始まります。なぜ涙が出るのか自分でも気づかないことが多いようです。それから、激しい陰性感情が出てきます。そして最後にいやな考えが思い浮かんできていつまでも憂うつな気分が続きます。森田さんは不安抑うつ発作になると自分がパニック障害にかかったという激しい落胆、スタッフに迷惑をかけたという罪業感、病気の頑固さに対する辟易とした気持ちに襲われました。そして、幼少時両親と別れて暮らしたいやな思い出がフラッシュバックとなって現れました。この状態が去ると人が変わったように普通の状態に戻ります。一方、このような不安・抑うつ発作がない日は、パニック発作ではない、不快な体の症状が出ます。体を横にすると繰り返し全身が地の底に引き込まれる感じ、からだ全体で心臓の鼓動を感じる、心悸亢進のため眼球や脳髄が飛び出しそうな感覚、車酔いの感覚、吐き気、頭が後方に引っ張られる感じ、めまい、頭痛、眼痛、食欲低下、全身疲労感などでありました。また、夜寝つかれなかったり、途中で目が覚めたり、悪夢がしばしばありました。筆者はこれらの症状に対して心療内科で使用する薬はほとんど全部使い、その量は普通の3倍から5倍に達することもありました。けれども、結局、これらの症状が出たり消えたり繰り返し、3年経ってもとても看護師の仕事ができる状態ではありませんでした。それでも発病し5年ぐらいしたところで、体調の良い日だけ週に1日か2日パートでまた筆者のクリニックで働くようになりました。森田さんは、しかし、就職当時と比べるとより一層他のスタッフに気を使うことが激しく、間もなく体調が悪くなってしまい仕事に来られなくなってしまいました。表面的には治ってきているようでもまだ感情過敏は残っていたようです。発病後7年目にほぼ病状は全面的に回復し、再度パートで看護師の仕事をするようになりました。仕事をするようになってから、規則的な生活ができますます体調が良くなっていきました。そして、3年前それまで5年以上交際を続けた男性と結婚しました。その結果、精神的にも身体的にもますます健康になっていきました。そうこうしているうちに、半年もすると完全に薬を飲まなくて平気な生活になりました。現在では1歳7ヵ月になる可愛い女児がいます。森田さんは、現在、パニック障害の症状も、感情過敏も、気苦労も、身体的な不調もなにも認められません。心身ともに全く健康で幸せな生活を送っています。
筆者はこれほど重症であったパニック障害でも完全寛解するのだと改めて確認しました。それにはいろいろなわけがあるのだと考えます。私たちの研究では早期治療が予後不良を予防するという傾向のデータを出すことができています。ですから、発病4日後から本格的な治療ができたことは完全寛解の大きな要因の一つだと思います。しかし、何といってもパートナーの人柄が大きいと思います。彼女の旦那様は、同じ歳で、看板を作る仕事をしています。自営業で経済的には恵まれています。それと同じくらいハッピーなのは、非常にやさしい旦那様で、交際が始まって以来一度も口論をしたことがないそうです。森田さんの父親が外出先で骨折してしまった時には、病院までおぶっていくほどでした。彼は、仕事の上で他人には結構きついことを言っていますが、彼女に対してはすべてが受容的だそうです。“こうしなければならない”といった思考を森田さんに押し付けることは全くない人です。森田さんの血液型はB型で、ご主人はO型だそうです。森田さんが今日は味噌煮込みうどんが食べたいと言って二人で出かけ、カレーうどんを注文すると“また、B型が出たね”と言うのがいいところだそうです。二人は森田さんのパニック障害療養中から付き合っており、病気に対する理解も十分で、基本的には楽観的な人のようです。発作の時でも放置したままで、治る時には治るという態度だったということです。一方、森田さん自身はたいへんけなげな人です。朝早く起きて毎日せっせと弁当を作ります。彼女は何に対してもひたすらという心情を持ち、更に良いことは、こまめに体を動かすことです。
このように見てくると、パニック障害は環境病です。気楽にゆったりと過ごすことができる状況に置かれれば、病気はどんどん良くなっていきます。もちろん、病人の状態も大きく予後に影響します。森田さんは何に対しても面倒がらずに甲斐甲斐しく動きます。これはパニック障害の人には一番大切なことだと筆者は思っています。結局、また、不安のない生活の結論は“体を動かすこと”に落ち着いてしまいましたね。
ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.55 2009 WINTER
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