不安のない生活―――(3)ある在家禅者の場合
医療法人
和楽会 理事長 貝谷 久宣
患者さんは回復するともう医者には来ません。ですから、パニック障害の専門医をしていてもそれほど多くの回復してしまった患者さんをみることはありません。今回ご紹介する方は筆者の坐禅仲間の一人です。初めてお会いしたのは、鎌倉の禅寺、報国寺で初心者に坐禅を指導されていました。らくす絡子をつけ、はかま姿で優しく指導されていました。78歳にはとても見えない達者な方です。貫禄満々で近づきがたいというよりはなんとなく愛嬌のある、憎めない感じの方でした。何度かお会いしているうちに、筆者はこの人に職業柄なにかを感じ取りました。そしてその後、ご本人から若い時分に筆者が専門とする病気をされたことを聞きました。先日この方のお宅に招かれ80年近い人生の軌跡をうかがうことが出来ました。
藤田さんは北海道の生まれで、お父様は鉄道員でした。姉二人に続く長男として出生されました。下に弟さんが二人いて、今も姉・弟みんな健在だそうです。この方は長男だけに、父親からの期待が大きくそれだけ厳しく、しかし愛情豊かに育てられたということです。親御さんについての話では父親のことばかりが話題になり、お母さんのことが出てきません。しかし、お母さんが彼を邪険に扱ったわけではなく、どちらかといえば病弱であったこの方を実にかいがいしく面倒を見られたということでした。しかし、藤田さんは、小学校1年の時のPTAで他の子のお母さんと比べ自分の母があまりにも身なりを構ってないことを恥ずかしく思いました。それ以来、どちらかというとアバウトな母親と潔癖な藤田さんはウマが合わなくなりました。しかし、そのお母さんは父の小言にも良く耐え、気の優しい働き者でした。このような家庭で育った藤田さんは順調に成長し地元の旧制工業専門学校を卒業し、上場会社に就職しました。24歳のとき10年越しの恋を実らせ2歳年下の同窓生と結婚しました。
新婚時代は幸せに暮しました。しかし奥様は律儀で神経質な主人と生活するのは大変きつかったといっています。結婚してから5〜6年の頃、藤田さんの宿痾が始まりました。そのころの藤田さんの仕事は工場の電気主任技術者として発電所の三交代制勤務についていました。深夜勤務によって体調を崩し、ひどい不眠症にかかってしまいました。午後10時から翌朝7時までの勤務の番に当たると、これに備えて少しでも眠っておこうと思い、夕食後は家族全員を強制的に床に就かせ、静かにさせておくほど異常でした。このような異常な生活が続いていたある日、突然発電機に大地震でも起こったかと思う程、自分の体が揺られました。発電機ではなく、自分の体に大変な異変が起こってしまったのです。その時の不快感と不安感は忘れられないといいます。藤田さんはパニック発作で発病しました。それ以後、パニック発作、不眠、予期不安、過剰不安、そして種々な身体的苦しみ、他人から変な人間と思われているのではないかという恐怖に苛まれ何度も何度も死にたいと考えました。しかし、家族がいるから死ねないという板ばさみになり、頭が混乱することもしばしばありました。奥様はこの頃の藤田さんを評して、いつも不機嫌で気難しく、周囲にいてもひやひやする生活だったと述べています。これは性格だから仕方ないと諦めていたようです。それから60歳過ぎまで、この病気は自分で治す以外方法はないとわかり、いろいろとやっておられます。初めの頃、藤田さんは、これは親の血筋が良くないのではないかと考え、両親の過去帳を調べるため、秋田まで行ったこともあるといいます。また、他人の目をはばかりながら精神科を訪れたこともあったそうです。さらに、宗教団体の道場を訪れたり、神父さんにカウンセリングを受けたり、いろいろな苦労を重ねてきました。藤田さんはついに40代の半ばで坐禅に出会います。それ以来、地元の寺に毎週参禅するだけでなく、接心にも毎回参加し、また自宅でも坐るようになりました。不安症の人はおしなべて何に対しても熱心です。藤田さんもこの例に漏れることはありませんでした。熱心に厳しく坐禅を続けられました。そして、50代になり、哲学の勉強を志し、NHKの放送大学1回生となります。このあたりの心境を藤田さんは次のように語っています。“この不安症が治るかどうかわからない。しかし、死は必ずある。この不安定な心のままで死を迎えることは出来ない。死の恐怖感に襲われるという不安のまま死にたくない。もっと自覚的に死を受け入れて死にたい。それには学問が必要だと判断した。そして大学で哲学を学ぶ決心をした。”と。藤田さんはまた一生懸命に勉強しました。毎朝、3時に起きて勉強に励んだそうです。ある日、書斎で東京大学の藤田健治博士の話を受講していました。その時、“人間の存在は歴史的規定性の限界状況にある”というヤスパースの言葉を聴いて藤田さんははじけました。一瞬のうちに人生のすべてを原体験されたのです。体がふわっと宙に浮いたような心地がして、蝶のように身が軽くなり、部屋中を飛びまわりました。嬉しくて、嬉しくて涙が溢れてとまらなかったそうです。この至高体験を境にして藤田さんの病状は薄皮を剥ぐように少しずつ回復していきました。この10数年は“めまい(パニック小発作)”を感じたこともありませんし、精神的には不安になることは全くなく、毎日穏やかな心持で暮らされています。藤田さんは、ドイツ語、尺八、チェロ、書(禅の言葉一千語に挑戦中)、山歩きなどの豊富な趣味を持たれています。どれをとってもその熱心さの結果、玄人の領域まで達せられています。とりわけ、6年前に四国八十八か所を歩かれた折に、各寺をスケッチ(水彩画)され、最近、暮らしの手帖社から「照顧脚下四国遍路 絵と文」を出版されました。藤田さんは現在の心境を般若心経の中の言葉 からとりあげ“無罜礙”※と言われています。
藤田さんのようにパニック障害に真正面から挑戦し、他力本願ではなく自力で克服された人はそうは多くはないでしょう。そのもとには藤田さんの強靭な意志力があったわけです。この藤田さんの努力すなわち修行は病気を克服しただけでなく、充実した心をもたらし、藤田さんは今や本当の自分自身を掴まえられました。一病息災どころか一病で菩薩の境地まで達せられたと言えるでしょう。
※むけいげ(注)「心に覆うものがない」したがって、迷悟、生死、善悪などの意識によって心を束縛されることがないという意味(中村元、紀野一義著、般若心経、岩波書店より)
ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.56 2009 SPRING
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