不安のない生活―――(4)四国お遍路の旅(阿波) 医療法人 和楽会 理事長 貝谷 久宣 この5月の連休に私は四国遍路の旅を始めた。今回は、1番霊山寺から23番薬王寺まで約150qを9日間かけて徳島県を歩いた。これから秋と春に高知県、愛媛県、香川県と88番まで踏破するつもりだ。では、なぜ四国遍路か? 私の場合、供養、懺悔、ブレークハートの繕い、自己挑戦、癒し、自分探し、どれにもあてはまらない。なんとなくでもないが、まあ、人生の区切りをつけ、新しい人生行路のためとでも言っておこうか。人には、朱印が押された納経帳を棺桶に入れてあの世に旅立つと三途の川で閻魔大王から極楽行きのキップをもらえるからだと、冗談を言っている。私はこの伝説を信じるほど信仰深くもない。 郷に入ったら郷に従えのことわざにならい、「一笠一杖に身を託しての巡礼」といわれている装束を1番札所の売店で調えた。菅笠、桐の金剛杖、「南無大師遍照金剛」と墨書きした白衣、それに遍路装束を正装に仕立て上げるネクタイともいうべき輪袈裟を手に入れた。これで遍路ユニフォーム出来上がりである。 お参りには作法があって結構大変で時間がかかる。 旅立ちは早朝である。午前7時にはかなり歩いていた。幸い好天に恵まれ気分良くウォーキングができた。五月風がさわやかで、徳島の田舎の風景はのんびりとしていた。田植えの季節であった。 舗装道路を歩くこともあったが、だれ一人いない山の中を歩くこともあった。また、農家の点在する村里を行くこともあった。自然の中に溶け込み、心和む時間を多く持つことができた。 菅笠に白衣を身につけ金剛杖を持って都内を歩くことははばかれるが、四国ではこのような身なりをしていても決して恥ずかしいことはなく、むしろ誇らしげにまとうことができる。車の多い国道筋を歩いていたら信号待ちの車の中のおばさんが、私に敬礼した。また、人気のない街角を歩いていると、中年の主婦が自転車から降りて私に手を合わせ、百円玉を一つくれた。私は一瞬自分が大師さまになったような錯覚にとらわれた。このような四国の人々の無償の善意を「お接待」といっている。その後も、私はしばしば「お接待」を受けた。吉野川を渡ったところで中年の女性に冷たい大豆茶をごちそうになった。村の辻には、夏ミカンが置いてあり、どうぞお食べください、もう少しで次の札所です、頑張ってください、と張り紙がしてあった。お茶の設備がある無料の休憩所が点在していた。また、私は世話にならなかったが、善根宿といって商売ではない一夜の宿の提供もあるという。一番うれしかったのは、汗びっしょりでやっとの思いでたどり着いた山上の薬師如来の寺でお参りを済ませたところ、お堂の扉が開いて若いお庫裏さんが黙って熱い飴湯を差し出してくれた時であった。一口ごとに熱い液体がおなかの中で疲労を溶かし、力が湧いてくるのが分かった。四国巡礼は「お接待」というホスピタリティーにより他では味わうことのできない特別な人情味の溢れた旅となっている。 歩き遍路をしている人々は多いとはいえないが、同じコースをたどるので休憩所で言葉をかけたり、同宿となるとゆっくり話すことも多くなる。 この遍路旅でいろいろな人と巡り合った。関西の市役所で働いているという30代の女性歩き遍路は、巡礼をする理由はないが、小さいころからの夢だったという。四国遍路は日本人の心に深く根付いているのだ。88か所すべてを一度に回る「通し打ち」の男性に会った。JRで電気機関車の運転手を長年勤め、定年退職したのを機に遍路を始めたという。若いころ釜たきをした蒸気機関車の運転が一番面白かったという。ひとりで長旅をすることについてこの人の妻は、どちらかいづれかは一人暮らしになるのだからその練習だ、と語ったという。白血病で亡くなった20歳の長男の供養のために遍路をしているという50歳のお母さんにも出会った。この人はもう2回目の巡礼で心の傷はかなり癒えており、遍路旅を楽しんでいるかに見えた。巡礼の姿をせず、着のみ着のままのいでたちで、足を引きずり歩く老人を見た。何度目かに出会った時に声をかけたが全く反応なく、そっけなく立ち去ってしまった。おかしな人だと思ったら耳が遠かった。耳元に大声で話しているうちに、この人は若いころ30年以上刑務所を出入りしていたことをもらした。しかし、懺悔で巡礼をしているのではなく、全くの物見遊山だという。それには驚いた。彼の札所での動向をそれとなく見ていると、全く礼拝する挙動は見られない。寺の建物を観察したり、仏像を鑑賞するばかりである。東北の田舎町で生活保護を受けていて明日は帰るというので千円のお布施をした。粗末な木賃宿に泊まった。しかし、そこの女主人は、洗濯を手伝ってくれたり、筋肉痛に効くという手作りのびわの葉の焼酎漬けをくれたりした。そして、隣のお寺の住職の破戒僧ぶりを面白おかしく話してくれた。このように“旅は道連れ世は情け”で10日間の巡礼の旅は楽しく終わった。 旅の終わり頃になって、歩くことに没頭していると気分が高揚してくることに私は気づいた。同志ができて、温かいホスピタリティーを受け、自然の中を歩くことは心の病を癒すには最適だと私は思った。私は関東に不安・抑うつ患者のための遍路道――マインドフルネス・ツアーの道があればよいなと考えながら帰京した。 ケ セラ セラ<こころの季刊誌> |