不安のない生活―――(5)人生のたそがれを楽しむ
医療法人
和楽会 理事長 貝谷 久宣
A君は筆者の高校時代の同級生であり、剣道部でともに活躍した剣友でもある。彼は某国立大学工学部建築学科修士を終え一級建築士の資格をとっていた。大手のゼネコンに入りバリバリ仕事をした。が、しかし、40代の半ばになり、出世街道をひた走るのに疲れ、中途退職した。男の40歳台は上昇志向の一番強い時期で、同僚に追い越されたりすると奈落の底に落ちたような気分に襲われるものだ。歯が抜けたり、体重が減ったり、ぎっくり腰になったり、ストレスは体に現れていた。本来、彼は宮仕えには向いていない性格であったのであろう。しかし、彼は決して人生に落胆したわけではなく、前から密かにもくろんでいた自営の道を歩みだした。
彼本来の才能と大手ゼネコンで培われたセンスは彼の新しい建築設計事務所をいやがうえにも繁盛させないわけにはいかなかった。A君の事務所には若手の建築家が集まり、応募する設計コンテストに賞をとる者が何人か出た。事務所に所属する新進気鋭が建築学会に発表したり、専門誌に執筆したりで事務所は脚光を浴びた。10年もたたないうちにその分野では押しも押されない建築設計事務所になっていた。彼は不良建築の相談を引き受けるNPOを作り社会貢献にも乗り出した。また、それに伴い講演に引っ張り出されることも稀ではなくなった。このような彼の生活は精神医学的に見れば100点と言えよう。すなわち、“広範囲の行動にわたって最高に機能しており、生活上の問題で手に負えないものは何もなく、その人の多数の長所があるためにほかの人々からもとめられている(1)”と言う状況である。
それはA君が55歳の時だった。父の後を継ぐべき志を持ちカリフォルニアの工科大学院に留学中の子息の訃報が入った。長男は急な上り坂の頂上を超えたところに停車している車に激突して即死した。それからA君の人生は180度変わった。誰よりも自分の仕事を理解していてくれた弟子であった愛息の死は、彼の生きる希望を一挙に奪ってしまった。それから数年間A君は灰色の人生を送っていた。ところが、ある日、“唯だ心だけが存在する”と裏表紙に書かれた本(2)をA君は書店で見つけた。むさぼるようにこの本を読んだA君は混迷の暗闇の中で人生の別の生き方があることをうっすら知るようになった。息子の死から人の死というものを考え、それを自分がいかに迎えるかを真剣に考えた。
A君はこの本を読み終えてから、安楽の法門といわれる坐禅を見よう見まねで始めた。はじめのうちは15分坐るのが苦痛であったが、3年、4年と続けるうちに少しずつそのコツを習得した。毎朝、時間が許せば40分坐れるようになった。坐禅とは何なのであろう。“じっと坐って精神を研ぎ澄まし、外界からの刺激に動じない堅固な状態に自己を保つのである。………それで何をするのかというと知恵の力を起こすのである。………智慧とは自分の心を正しく把握し、それをより良い方向へと改良していくための精神力を指す”、と佐々木閑は云っている(3)。A君は坐禅をするようになって少しずつ変わっていった。“我々は健康とも病気とも自覚できない状態がある。それをユートピア人たちは「鈍感」と呼び、そんなとき我々は虚妄な快楽を求めては疲れ、疲れるとますます「鈍感」となってより強い刺激を求め、強い刺激にはお金がかかるため、もっと儲けようとしてさらにエネルギーを使ってまた疲れる。………健康で感受性が鋭敏であれば、世の中はそのまま無限の悦びを提供してくれるはずである。次々に変化し続ける風や水の音。名づけようのない無数の色たち。そして香り。退屈しようのないそうしたきよらかな刺激………。より強い刺激を求め続ける鈍感な生き物を、仏教では「餓鬼」と云うのである”と玄侑宋久は書いている(4)。A君は坐禅を始めてから「鈍感」な生き物に別れを告げた。最近、彼は美術館に出かけることが多くなった。もともと美術が分かる人間ではなかったが、理解をするために努力をしている。訪れた展示室の中で一品贈呈しようと言われたら何を選ぶかと仮定し、自分の最も気に入った作品を懸命に選んで鑑賞眼を養っている。A君は歩いて野の花を楽しみ、方々の寺を回り、仏像鑑賞も始めた。健康に留意することも忘れていない。胃カメラと大腸ファイバースコープは定例行事となった。皇居一周のウォーキングに励み、毎日ニンニクを摂り、癌体質を守っている。
南直哉が述べている(5)。“そもそも大乗仏教は初期の頃から、現実と夢や幻を違わないものと考えています。………この感覚は、実は坐禅するとわかるんです。坐禅が深まり、自意識が解体していくとたとえば音が聞こえても、どこで聞こえているのか、わからなくなる。さらに意識が視覚から聴覚、聴覚から皮膚感覚に落とし、最後に内臓感覚にまで落とすと、皮膚の中と外の感覚が分からなくなっちゃうんですよ。………さらに意識が落ちると、体の後ろに意識が抜けちゃう。そうすると、通常の現実を秩序立てている内と外の区別は、もうまともな言葉では言えなくなっちゃうんです。”A君は南の云う境地までにはまだまだ達していない。しかし、坐禅中に味わう平安な心、静謐さが楽しくて坐禅をやめられないところまでには達している。そして、「怒り」、「悲しみ」「憂い」「思い」といった貝原益軒が、気が滞る原因として挙げている感情からはずいぶん遠い心境でいることが多くなった。益軒が“時にうごき、時に静なれば、気めぐりて滞らず”の域には達し始めている。A君は60半ばを過ぎたが、依頼原稿の執筆に熱心であり、現在文筆家としても多くの仕事をしている。しかし、彼は、仕事をする中で、眼が見にくい、物忘れが目立つようになった、と感じることも間違いなく増えた。五木が書いている(6)。“(もうろくしていくことは)しかし、じつは人間としての魂はどんどん清浄化されていっている。自我というものが崩壊するのではなく。昇華していくのだろうと私は考えていますし、老いとはそういう人間として大切なプロセスであるのだと覚悟することです。”A君は、五木が云うような、「もっと奥深い智慧、大きな自然の息吹のなかへ還っていこうとするスピリチュアルな過程」にあこがれて毎日を送っています。
(1)DSM-W-TR 精神疾患の分類と診断の手引き(米国精神医学会)、高橋三郎他訳
医学書院 2002
(2)やさしい唯識-心の秘密を解く-横山紘一著
NHKライブラリー 2002
(3)日々是修行-現代人のための仏教100話
ちくま新書 2009
(4)釈迦に説法 玄侑宋久
新潮新書 2004
(5)人は死ぬから生きられる
脳科学者と禅僧の問答 新潮新書 2009
(6)人間の覚悟 五木寛之
新潮新書 2008
ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.58 2009 AUTUMN
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