不安のない生活―――(7)安心立命 医療法人 和楽会 理事長 貝谷 久宣 筆者がまだ大学病院にいて研究を続けている頃、毎週、地方の精神病院へ行って外来患者と入院患者を診ていました。入院患者の大部分は統合失調症でしたが、時に重症のうつ病の人も入院していました。彼女は当時30代で2人の子供の母でした。何回も自殺を図り、やむなく入院治療となりました。彼女は地方の素封家の長男と結婚していました。義理の母、姉そして弟も同居していました。嫁いびりはなかったようですが、夫は大学教授で気を使ってはくれるが、厳しい人のようでした。ですから、毎日毎日長い間、神経をすり減らす生活が続いていました。彼女には最重症のうつ病でまれに見られる虚無妄想がありました。“もう何も無い。私の体もいっさいの物も無い。私は生きていない。永久に生きなければならない。”といった考えを述べていました。また、“自分のような価値のないものは食事を摂らせていただくことはできない”と言って、給食をほとんど摂らず、体は衰弱していく一方でした。このような精神状態を精神医学ではコタール症候群と呼んでいます。彼女はまた、真っ暗やみの中で火が燃えるのを見たと述べました。これは、コタール症候群で特徴的な“火の体験”症状です。 私が非常に興味を持つのは、彼女が陥ったコタール症候群と坐禅中に体験した光明体験はある意味では類似した対極の状態ではないかということです。うつ病の極期には火の体験をされたことと、坐禅中には光明体験をされたことです。また、コタール症候群のすべてが無い虚無の世界は、以前にも引用した(ケセラセラVol.39
2005 WINTER)、明治時代の著名な禅僧・今北洪川の悟り体験にも類似しています。彼は、“ある夜、坐禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった”と述べています。この至高体験はコタール症候群のすべてが無いという感覚にある意味ではよく似ています。このようにみていくと、人の心のうちの地獄と極楽は紙一重の違いなのかもしれません。 ケ セラ セラ<こころの季刊誌> |