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不安のない生活―――(7)安心立命

医療法人 和楽会 理事長 貝谷 久宣

 筆者がまだ大学病院にいて研究を続けている頃、毎週、地方の精神病院へ行って外来患者と入院患者を診ていました。入院患者の大部分は統合失調症でしたが、時に重症のうつ病の人も入院していました。彼女は当時30代で2人の子供の母でした。何回も自殺を図り、やむなく入院治療となりました。彼女は地方の素封家の長男と結婚していました。義理の母、姉そして弟も同居していました。嫁いびりはなかったようですが、夫は大学教授で気を使ってはくれるが、厳しい人のようでした。ですから、毎日毎日長い間、神経をすり減らす生活が続いていました。彼女には最重症のうつ病でまれに見られる虚無妄想がありました。“もう何も無い。私の体もいっさいの物も無い。私は生きていない。永久に生きなければならない。”といった考えを述べていました。また、“自分のような価値のないものは食事を摂らせていただくことはできない”と言って、給食をほとんど摂らず、体は衰弱していく一方でした。このような精神状態を精神医学ではコタール症候群と呼んでいます。彼女はまた、真っ暗やみの中で火が燃えるのを見たと述べました。これは、コタール症候群で特徴的な“火の体験”症状です。

 当時、私の行っていたこの精神病院には精神分析を専門とする精神科医がいて彼女をほとんど精神療法だけで治療していました。私はこれほどの重症で体が衰弱したうつ病を本格的な抗うつ薬による薬物療法をしないままにするのは危険だと思いましたが、その精神分析医は治療に大変熱心でしたし、私よりかなり年長の方でしたので傍観せざるを得ない状態でした。案の定、彼女は外泊中にまた自殺を図りました。それからいろいろなことがあり、この患者さんを私が治療することになりました。私は抗うつ薬を少しずつ増やして治療を始めました。彼女の症状は薄皮を剥ぐがごとく少しずつ改善していきました。それ以来30年以上のおつきあいが続いています。私が開業してからも通院してきていただいています。良くなってからも、軽い波があり、不眠があったり、気分の軽い落ち込みがあったり、それから軽い罪業念慮(自分は罪深いから食べてはいけない)が時々出没していました。お薬はずっと処方していますが、数年に1回ぐらいの割合で減らしています。ここ数年やっと完全寛解と言える状態になられました。

 彼女は病気のまだよくなっていないころから宗教に関する書籍をよく読んでいました。診察中にはそのようなことがしばしば話題になりました。最近は尼寺に行って坐禅を組んだり、法話をきいたりしているということです。そして遂にある日。坐禅中に光明体験をしたということです。彼女は輝く光に包まれ、観音様を見たと言っています。その体験はそれ以上言葉に言い尽くせない素晴らしいものだったようです。この人は、このようなお寺への生活ばかりしているかと言うとそうではなく、孫の家に行ったり、姉妹と温泉旅行を楽しんでいます。現在は字のごとく安心立命(あんじんりゅうみょう―神仏に帰依して安らぎを得、落ち着いた穏やかな心に達した究極の境地)の状態になられています。

 私が非常に興味を持つのは、彼女が陥ったコタール症候群と坐禅中に体験した光明体験はある意味では類似した対極の状態ではないかということです。うつ病の極期には火の体験をされたことと、坐禅中には光明体験をされたことです。また、コタール症候群のすべてが無い虚無の世界は、以前にも引用した(ケセラセラVol.39 2005 WINTER)、明治時代の著名な禅僧・今北洪川の悟り体験にも類似しています。彼は、“ある夜、坐禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった”と述べています。この至高体験はコタール症候群のすべてが無いという感覚にある意味ではよく似ています。このようにみていくと、人の心のうちの地獄と極楽は紙一重の違いなのかもしれません。

 いづれにしろ、彼女が60歳も半ばを過ぎて、若いころには想像だにしなかった心穏やかな人生を楽しまれていることは精神科医として大きな喜びです。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.61 2010 SUMMER


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