不安のない生活―――(10)出家とその後
医療法人
和楽会 理事長 貝谷 久宣
今から10年前、パニック障害を抱えた男性Tさん、30歳が診察に来ました。Tさんは幼少の頃より不安症がありました。3歳の時にネフローゼで入院中に初めてのパニック発作があったということです。自分でパニック発作とはっきり確認できる発作は10歳の時、3階から4階へ行く階段でパニック発作症状のほとんどを体験するような激しい発作が起こりました。また小学校3年生の頃から中学にかけては暴力を振るう教師に対しひどく恐れを持ったり、自分が癌で死ぬのではないかという疾病恐怖症も認められました。小児期の全般性不安障害があったものと考えられます。お母さんもパニック障害があり、Tさんは家族性のパニック障害と考えられます。パニック障害の治療は私のクリニックに来院される3か月前から地元の診療所で始められていました。今までで一番激しい発作は25歳時、地下鉄霞ヶ関駅で全身がブリージングするほどの恐怖感に襲われ、救急車の世話になりました。
Tさんの来院時の病状は、パニック発作が月に数回あり、地下鉄、新幹線、高層ビルに強い恐怖感を持つ状態でしたが、治療により困った症状はほとんどなくなりました。当時、Tさんは旧帝国大学の大学院で哲学を収めた後、予備校講師と翻訳業をしていました。結婚もされており、仲間との付き合いや、趣味なども充実しており、私生活は病状に比し、比較的満たされていました。5年間の治療を続けた後に、Tさんの人生に転機がきました。高野山で出家されたのです。その動機は、弘法大師に願をかけそれがかなえられたことと、心から敬服する師匠に出会ったからでした。出家の儀式が済むとTさんはすぐ四国88か所の歩き巡礼を始めました。その旅は、途中で中断することがありましたが、2カ月近く続きました。このとき、トンネルの中も橋も強い不安なく通過することができましたが、川幅の広い吉野川はさすがに恐ろしく、ここだけは自動車に乗せてもらわれたそうです。パニック障害の人は一般に病状が軽くなってからも、日常生活でマイナス思考に傾きやすく、物事に対して過剰に不安を持つことが多いものです。しかし、この88寺の行脚の時ほどTさんの心が解放され穏やかであった時期はないと陳述されています。Tさんはこの巡礼中に最初の至高体験(悟り)をされています。
得度されてから5年後にTさんは立派な僧になられて再び受診されました。それは、パニック発作や広場恐怖よりもむしろうつが強くて困られてのことです。Tさんは高野山の修行生活を無事終えられ、下山されて由緒あるお寺の住職見習いとしてこの数カ月は生活されています。お山に籠られている間はそれほどうっとうしい人間関係はなく、黙々と修行に励めばよかったのです。午前2時に起きて読経、作務など激しい肉体的な負荷はかかりましたが、精神的にはさほど悩むことはなく、安定しておりました。服薬はしながらも病状は安定し、不安のない生活を送られていたと思われます。ところが、下山しお寺に務める生活といえども、やはりそれは娑婆の世俗的欲望が渦巻く世界です。将来を約束されているTさんは同僚の些細な誹謗や嫉妬にいたたまれなくなっていました。ある同僚の顔を見るだけでも、体がズーンと重くなり、気分が沈むといいます。また、お山では決められた食事だけでスマートな体型を保たれていたのに、下山すると間もなく10キロ以上も太ってしまいました。ストレスによる過食が出たのです。不安・抑うつ発作がしばしば出現しており、典型的な非定型うつ病になられていました。慢性期にパニック障害の患者さんがストレスに曝されると生じる典型的なうつ病症状と考えることができます。
聞くところによりますと、Tさんは高野山で加行(けぎょう)とよばれる約百ケ日の修行を達成されたそうです。堂に籠り1日2時間の睡眠時間でひたすら瞑想に励む大変きつい修行と聞いています。この間に、Tさんは数回、悟入をされました。それは言葉に表現することのできない悟りの境地です。このような状態に入ると歓喜で満ち溢れ、躍り上がる人もいると言われていますが、Tさんは落ち着いてその体験を受け入れることができました。悟りの境地にまで達したTさんのようなえらい坊さんでも、俗世間の塵にまみれるとパニック障害の病状が再燃してしまうという事実に私は強い関心を抱きました。Tさんが私に聞きました、“私の病気はなぜ悪化してしまったのですか?”と。私は、“Tさんは悟りの境地を体験されても、お山を下りてからは無我の境地を忘れられていたからではないでしょうか”と仏教の生半可な知識で答えました。人から誹謗されても嫉妬されても「私が、俺の、僕を…」といった我執がなければ他人から何を言われても悩む必要はなく、病気は悪化しないと私は考えました。頓悟ではなく日日是修行で漸悟すれば本当に平安な気持ちになり、「不安のない生活」に入ることができるかもしれません。Tさんに毎日の生活が悟りの中にいるような病気から解放された日々が必ず訪れることを私は信じています。
ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.65 2011 SUMMER
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