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不安のない生活―――(12)布施の効用

医療法人 和楽会 理事長 貝谷 久宣

 先日、都内のホテルで開かれた社会献者表彰式典に出席しました。そのとき50名近くの方々が表彰を受けられました。私は精神科医の目で表彰対象となった業績を確認しながら表彰される方一人ずつのお顔の表情をじっくりと拝見させていただきました。それは、主催者のあいさつの言葉通り、皆さん美男美女ではないがそれぞれ立派な業績に見合う敬服に値する尊顔をされていました。その中でもひときわ素晴らしい表情をされていたのは、筆者が所属する社団法人が推薦した武内幸次郎さんでした。武内さんはご子息が筋ジストロフィーという難病であることが判明してから、患者さんが亡くなられてのちも障碍者支援の仕事を40年近く続けてこられました。武内さんは、患者団体の立ち上げ、在宅訪問検診事業の推進、社会訓練センターやバリアフリーアパート創設などに尽力されました。また、今年3月の東日本大震災で自宅が損壊したにもかかわらず、患者家族の安否確認や支援物質の運搬などに奔走されました。

 武内さんは常に“飄々、黙々”の人だなという感を私は持っていました。奇特な慈善家なのです。武内さんの表情は、尊大さも卑下もなく、自信にあふれているのでもなく、昂ぶることもなく、得意でもなく、気負いもなく、もちろん不安そうでは全くなく、明るく地味で淡々とされていました。表彰された時の武内さんの表情は今も私の脳裏に強く焼き付いています。

 わたしはこの表情から武内さんは見返りのない慈善行動に務めてきた人だと看破しました。仏教では見返りのない利他的行動を「布施」といい、仏道を極めるための六波羅蜜の中の最初の修行とされています。釈迦が説かれた根本思想は、この世には実体はなく、あるのは縁(関係性)だけであるということです。あなたも私もいつまでも生き続けることはありませんし、目の前にある机は永遠に存在することはありません。いつかは朽ちて土にかえるでしょう。これを「無常」といい、また「空」ともいうわけです。水が高いところから低いところに流れるという自然な動きのように、宇宙の原則に従って世の中の道理をわきまえた行為が布施なのです。誰が誰に何を与えるかという要素がなくて生じる行為を本来布施というのだそうです。私が世の中のためになることをしてやった、それは私の名誉であるといった考えはすでに布施の根本理念から外れています。布施は見返りを全く期待しない行為です。人のために何かをしてその人が喜ぶのが生きがいであるというのはすでに布施ではありません。これがボランティアと布施とが、似ていて実は根本的に違うところです。お金がなくても布施はできるとされています。眼施(げんせ)は人をやさしい眼で見ること。和顔施(わげんせ)はやさしい顔をすること。言辞施(ごんじせ)はやさしい言葉をかけること。身施(しんせ)は体を使って奉仕すること。床座施(しゃざせ)は席を譲ること。心施(しんせ)は心で思うこと。房舎施(ぼうしゃせ)は宿を貸すことです。これらを無財の七施と言っています。布施は実体的な自分も他人も物もないことを実感して、爽やかに自然に生き死にできるようになるためにすることだそうです。(岡野守也著 唯識のすすめ−仏教の深層心理学入門、NHKブックス)

 ここで自分の利益を考えない行動が人間以外の動物にもあるという事実を見てみましょう。動物園のゴリラが観客と飼育場を隔てている空堀に落ちて気を失った3歳の女の子を救って飼育場に寝かせたことが知られています。2004年、スマトラ沖大地震のとき、タイのリゾートで象が観光客を乗せて街を歩いているときに津波が襲った。どのゾウも海と反対方向へ逃げ出したという。そのとき、一頭のゾウが見知らぬ観光客を鼻で巻き上げて背中に乗せた。ゾウは危険を感じて逃げながら、観光客を助けようとしたのだ。(柳沢嘉一郎著 利他的な遺伝子筑摩選書 より)このように、見返りのない利他的行動は動物にも認められていますが、それはごくまれなことです。人の利他性は動物に比べるとずっと顕著で次元も高いと言われています。それは、人は社会的動物であり、また人の脳はほかの動物とは比べ物にならないほど高度に発達しています。利他性と関係する脳機能である、他人の気持ちを察する能力、共感性、状況を理解する能力などはすべて人間でのみ高度に発達した前頭前野に宿っています。前頭前野はまた、不安・恐怖の源である脳の奥深くに位置する扁桃体の興奮を抑える機能も持っています。このようなことから、利他的行動(布施)の心を育めば前頭前野の機能が活発になり、結果的に不安・恐怖に陥りにくくなると考えることができます。

 しかし、ちょっと待ってください。自分の不安症を治すといって、財施ばかりして一文無しになったり、無財の七施に励んで相手の顔色ばかりうかがっていてはこれまた大変です。うつになってしまいかねません。「非力の菩薩救わんとしてかえって溺れる」という言葉があります。まず、自分に物心ともに余裕をつけてから布施をすることが必要です。「自利利他」により不安から解放され、安穏な生活が得られるのです。

ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.67 2012 WINTER


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