ゆったりとした時間

 前回の続きで、「ゆったりとした時間を過ごす」ということについて、もう少し述べてみたいと思います。

 物や情報にあふれた今の時代は、次から次へと新しい刺激が目の前に現れてきて、人の興味というものも次から次へと移ろっていっているのではないでしょうか。何かひとつの物を大切にじっくりと使っていくということも少なくなっているように思います。ほしいものがなかなか手に入らなかった昔であれば、ほんのちょっとした物でも手にいれられた時には、大いに喜び、それを大切にいつまでも長く使っていたように思います。今の時代は、ほしいものが比較的簡単に手に入り、すぐに飽きてしまって、また新しいものがほしくなってしまう、ひとつのもので満足することがなかなかできない、そんな時代です。まわりに目移りしてしまう刺激的なものがあふれているわけですから、それも仕方がないのかもしれません。しかし、次から次に新しいものに飛びついているうちに人は感謝の気持ちを忘れて、疲れていってしまうのではないかと思います。

 また、めまぐるしく時間が過ぎていく中で、公園のベンチにでも腰掛けて、気持ちのいい日差しを感じながら、ゆっくり、のんびりと、空を流れる雲や、風にたなびく木々の緑を眺めて過ごすなどということも、あまりないのではないでしょうか。のんびりしたくてもそんな時間はないし、たとえあったとしても気がせくばかりで、ゆっくり休んでなどいられないというのが正直なところかもしれません。強い刺激に慣れてしまった心には、そういったのんびりした時間というのは、退屈にしか感じられないということもあるかもしれません。

 こういう時代の中で、人々の気持ちにゆとりがなくなっていって、うつ病やパニック障害などの心の病が増えているのかもしれないと、そんなことを考えていた時に、「阿弥陀堂だより」という映画を見ました。もう5年ほど前のことになります。

 ちょうど、ケセラセラのVol.31、2003年冬号に、貝谷理事長も“映画「阿弥陀堂だより」を観て”という記事を書いております(当クリニックホームページ http://www.fuanclinic.com の下のほうにあるQue Sera SeraのカラーのロゴをクリックするとバックナンバーをPDFファイルで見ることができます)。

 都会でエリート医師として働いていた美智子(樋口可南子)が、ある日突然パニック障害を発病し、夫(寺尾聰)の故郷である信州に引っ越し、豊かな自然に抱かれ、素朴な田舎の人々とふれあっていく中で、だんだんに心が癒されていくという物語です。まさに、今、話題にしている「刺激を追い求めず、日々のゆったりとした生活の中に満足を見出し、ひとつひとつの小さなことに感謝をして暮らしていく」ということの大切さを痛感する映画でした。

 この物語の中に、山の中腹にある阿弥陀堂で一人暮らしをしている96歳のおうめばあさん(北林谷栄)が登場します。このおうめばあさんの言葉を聞き書きしたものが村の広報誌にコラムとして連載されているのですが、そのタイトルが「阿弥陀堂だより」です。この記事の中で、非常に印象に残ったものがあり、最後にそれを引用しておきます。

 実は、この言葉をご紹介したくて、今回の一ロコラムを書きました。日々の生活の中で、毎日毎日同じことの繰り返しかもしれないが、これをコツコツと続けて行く、そして、ほんの些細なことにも感謝の気持ちを忘れないでいる、そういうことが大切なんだなと感じます。

医療法人和楽会 心療内科・神経科 赤坂クリニック院長

吉田 栄治



ケ セラ セラ<こころの季刊誌>
VOL.51 2008 WINTER