乗り物恐怖症の in vivo 暴露療法

  約束の時間、1時半に7人の恐怖症の患者が私のクリニックに集まりました。Tさん(53歳、主婦)はこれからでかけるというだけでもう蒼白な顔面をピクピクさせ緊張は頂点に達していました。今日集まった大部分の人は乗り物に乗っている最中にパニック発作がありそれからその交通機関を使えなくなっている人たちです。重症の2人は自宅で発作が起きそれから一人で外出できなくなっています。待合い室で自己紹介をお互いにして頂きました。自分がはじめてパニック発作を起こした状況や現在困っていることを手短に話してもらいました。”同病相哀れむ”というのはまったくこの集団に用意された言葉です。この自己紹介によってすぐ患者同士は心易く言葉を交わすことができる雰囲気になりました。また、これぐらいの人の集団ができると、オピニオンリ−ダ−というのかみんなを引っ張っていく人が必ず現れるもので、Sさん、39歳がその人でした。彼女は自分の現状を他の人の5倍ぐらい多くしかも大げさに話しました。そして、他の患者にもどんどん質問し気のおけないム−ドを作ってくれました。

  さて、出発です。付き添いは、臨床心理のベテラン、I教授と私の二人です。まず第1の関門はクリニックのビルの3階から1階までのエレベ−タ−でした。Pさん、36歳、営業マンは眼を閉じて一生懸命耐えている様子でした。しかし乗っている時間が短いので事なきを得無事1階にたどり着きました。次の関門は名古屋駅構内の雑踏です。連休の始まりであったので、いつもより人出が多く、よく見て歩かないと衝突するほどでした。この人ゴミをなんとか切り抜け次は地下鉄です。各自切符を買っている間にMさん、34歳、OLとTさんが見あたりません。大人同士だから心配ないと思いながらも多少不安になり一生懸命さがしました。2人は既にプラットホ−ムに降りていました。不安を持つ人は、恐怖の対象から一刻も早く逃げ出したいというあせる気持ちが心の底にあるのか、他の人のことをかまっている余裕がないようです。家の近くの職場に出勤することは可能なMさんは、いままで家から一人で一歩もでたことのないTさんをかばって腋を抱えてプラットホ−ムに立っていました。しかし、Mさん自身もTさんと手を取り合うことにより不安を解消していることは明かです。

  列車がごホ−ムに滑り込み、ドアが開きました。みんなそろって車内に乗り込みました。7割程度の混雑です。誰も座席のある中までは足を踏み込みません。みんなドアのすぐ前に立ち止まっています。重症者の一人、Dさん、42歳、主婦、とKさん、28歳、主婦とTさん、3人は乗り込んだドアの近くで手を3つ握り合わせていました。男性2人を含む他の4人は反対側のドアの前に立っていました。誰も奥のほうの座席のあるところには進みません。どの患者もいざというときすぐ逃げ出せる場所と考え出入り口の近くに陣取っているのです。地下鉄が動き出しました。はじめの1区間は長いのでみんな緊張しています。ここではおしゃべりがでる余裕はありません。私は一人ずつ大丈夫ですかと手を握りしめていきました。女性はみんな意外にしっかりしていてカサカサした手をしていました。Sさんなんかは冗談混じりでもう一度お願いしますと手をさしだしてきました。しかし、Pさんは違っていました。彼の手は冷や汗でネットリとしていたのです。それは、名古屋駅と伏見駅の間がいちばん長く緊張すると彼がいつも言っていた区間でした。Pさんは話しかけても無言で蒼白で一生懸命耐えている様子でした。伏見駅に到着しドアが開くと、顔から緊張感が少し去りました。多くの患者は列車に乗りいちばん恐ろしい瞬間はドアが閉まる時だといいます。ここで何か(パニック発作)が起きたらおしまいだと考えるようです。これは最大公約数的な恐怖の持ち方ですが、反対に、各人各様の恐怖の持ち方もあります。Pさんが恐怖の持つ理由は独特で興味あります。地下鉄名城線を作ったときは地面から掘り下げていくオ−プンカット工法であったから恐ろしくないが、地下鉄東山線はモグラのように地下を掘り進んでいくシ−ルド工法だから、この路線に乗ることはいやだというのです。また、対抗列車がみえる路線は逃げ場所があるからそれほど恐怖感を抱かないが、穴が1車線ずつ掘ってある地下鉄は恐ろしいともいいます。それに、乗客が降りていって空いていく時は不安感はないが、乗客がどんどん乗ってくるときは耐えられなくなり降りる人がいなくなってからでも下車してしまうというのです。

  地下鉄を降りて地下街に入りました。ゴ−ルデンウイ−クの始まりのせいかいつもの土曜日の午後よりは少し空いていました。それでも患者どうし手を取り合って歩きました。Z君、21歳、浪人生以外、ウインド−・ショッピングをするほど気分の余裕がある人はありませんでした。みんな地下街の真ん中を葬送行進のように歩きました。Z君だけは小さなリュックをしょって軽やかにきょろきょろして歩きました。彼にとって多くの人と一緒にこうして歩くこと自体が心楽しいのでしょう。地下街を通り抜けてデパ−トの地下に入りました。そこからエレベ−タ−に乗って一気に屋上に上がり、屋上の端の柵がしてあるところに近寄りました。地上を見るように皆に促しました。強い高所恐怖を示す人はこのグル−プにはいませんでした。

  デパ−トの中でまたエレベ−タ−に乗って4階の喫茶店にいきました。それぞれの好みの品を注文し、30分間ほど歓談?しました。このように喫茶店のようなところで他の人とおしゃべりすることが恐怖の対象となることもしばしばあります。しかし、この頃になると当日の計画の大半は終わったためか、このグル−プの醸し出す特有な不安・緊張感も殆ど認められなくなっていました。気のあった人同士の住所の交換が行われて始めました。同じ悩みを語り合うことは連帯感を強めさらには孤独感を追い出すのにいちばん良い方法のようです。そして、おしゃべりの時間を終え最終コ−スのバスに乗車することになりました。ここ2年間、夫の運転する車以外では外出したことのないKさんは案にそうしてサバサバと乗りみました。私は外の景色を見ていると気分が悪くなるので読書したり目を閉じていますといっていた彼女は、バスが動き出すと他の女性患者ととりわけ一生懸命おしゃべりにふけっているように見えました。はじめは女性ばかりだからと今日の行動療法コ−スに参加を躊躇していたPさんは、あのパニック発作以来乗ったことがなかった東山線に乗れたと喜びを語っってくれました。今日は参加できて良かったとしみじみ語ってくれました。このグル−プの中では最も重症の1人であるTさんと元気の良いSさんが帰路が同じ路線のバスだということが車中の会話で判明しました。バスは恐くないというSさんの頼もしさに不安が吹っ飛んだのか、Tさんはご主人の迎え無しで彼女と2人でバスに乗って家に帰ると言い出しました。これは、今日の行動療法コ−スのさしあたりの最大の収穫のようでした。

  さて、私のクリニックの患者の半数ちかくはパニック障害というたいへんやっかいなな病気の患者です。参考までにパニック障害について簡単に説明させて頂きます。

  パニック障害というのは、

( 1)呼吸困難
( 2)めまい
( 3)心悸亢進
( 4)身震い
( 5)発汗
( 6)窒息感
( 7)嘔気、または腹部不快感
( 8)離人感、ないし非現実感
( 9)しびれ感
(10)紅潮ないし冷感
(11)胸痛、ないし胸部不快感
(12)死の恐怖
(13)気が狂ったり、何か制御できないことをしてしまうという恐怖

といった症状からなるパニック発作が、不安を引き起こすような場所や状況とは全く関係の無いところで突然生じます。そしてこの発作がまた起こるのではないかと不安な状態が続きます。パニック障害の患者は発作が起きたとき助けを求めることが出来ないような場所に行ったり居ることに恐怖感を持つようになります。これを空間恐怖症といっています。この恐怖症の行動療法の1つが暴露療法です。

  このような患者さんは100人に1人の割でいるといわれていますが、まだ適切な診断・治療(薬物療法・行動療法)を受けている人は少ないようです。本人の悩み、および社会的な障害度損失度は見かけよりずっと大きな病気です。この病気でも、早期発見早期治療が予後の大きな決定因子です。著者はこの病気の啓蒙の必要性を強く感じている一人です。

  参加患者さんのプロフィ−ル

Z君は21歳の浪人生です。高校生の時電車の中で大便を失禁してからズボンに便がついているのではないかという強迫観念にとらわれ外出できなくなりました。最近は三環系抗うつ薬の服薬で改善してきていますかまだ不安が残っています。

Kさんは28歳の主婦です。夫が出張で3日間留守をしました。3日目の午後、自宅でパニック発作が出現しました。それから、一人で家にいることも外出することもできなくなり会社をやめてしまいました。

Mさんは34歳のOLです。8年前、地下鉄の中でパニック発作が起きてから地下鉄を避けるようになりました。

Pさんは36歳の営業マンです。小さいときから閉所恐怖症があり、エレベタ−はずっと避けていた。10年前地下鉄の中でパニック発作を経験してから地下鉄も新幹線も乗れなくなった。最近は新幹線はなんとか乗っているがパニック発作を起こした地下鉄東山線にはそれ以来乗っていない。

S子さんは39歳の主婦です。13年前名鉄電車に乗っていてパニック発作が発来以来電車には乗っていない。バスや自家用車には乗れるが電車類にはいっさい乗れない。治療を開始以来パニック発作の残遺症状は完全に消え意欲が出て、最近はパ−トにでるようになった。

Dさんは42歳の主婦です。いつも頭が重いとか肩が凝っているなどと不定愁訴の塊のような人だった。家から離れたときのパニック発作を恐れ、ここ5年間、家からほとんど1歩も出たことがなかった。このような状態であったため、私のクリニックに自分で来院する事はできなかった。娘が病状を書いた手紙をもって受診した。電話での診察や服薬により数週間後に夫の運転する車でやっと来院できるようになった。このような患者には珍しく坂井田啓子さんは治療意欲が比較的旺盛で、きちんと通院してきた。そ甲斐があって、家から最も近いス−パ−マ−ケットまでは1日中で最も人出の少ない時刻を見計らって自転車に乗っていくようになった。

Tさんは53歳の主婦です。4年前に喫茶店で友人とおしゃべりをしていて突然吐き気と貧血症状を主とするパニック発作に見舞われそれ以来家から外にでられなくなった。現在は不定愁訴と夫と一緒ならばやっと外出できる程度の生活をしている。

名医 平成6年7月

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣