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病(やまい)と 詩(うた)【28】ーリンゴの唄とドンパン節ー(ケセラセラvol.74)

東京大学名誉教授 大井 玄

東日本大震災のあと、私の訪れる病院の認知症病棟にも何人か患者さんが避難してきた。そのうち福島県相馬郡から移ってこられた七十代後半の女性を、相馬さんと呼ぼう。

彼女は東北の人らしい整った顔の持ち主だったが、淋しいというよりむしろ陰気で無表情な印象を与えた。いつも少し顔を伏せ、無言で坐っていた。そのデイルームでの基本位置は、テーブルについているかテレビの前にいるかである。テーブルに向って坐っているときは、両隣の女性たちが話をしているのに、自分の目の前のお茶を入れたコップをじーっと見ているかのようで話に加わることがない。テレビの前にいるときも、その画面を見ていないかのようにうつむいているのだった。

彼女の横に行き話しかけると、まるで恥ずかしいのかそれとも泣き出そうとしているかのように顔を両手で覆い、小さな声でぼそぼそ話す。断片的にしか意味が判らない。しかし「夜はよくお休みですか」とか「ご飯は美味しいですか」などの、単純な質問をすると「ハイ」ときちんとした答えが返ってくるのだった。

一般に気づかれていないが、人は誰でもそれぞれ「意味の世界」を紡ぎ、そのなかに住む。認知症の人の場合、そこに至るパスワードを見つけるのが、いわばプロの医療者の腕の見せ所と言ってよい。それは試行錯誤の後に見つかるもので、その人の趣味や得意な行為、唄、囲碁、生け花など様々である。

何がパスワードになるのか。福島県はリンゴなどの果物が豊富で美味しい。そういえば、終戦後すぐサトウハチロー作詞で並木路子が歌った「リンゴの唄」が大流行したことがあった。これならこちらも歌える。しかも転院後の記録を丹念に読むと、失禁していたという記載の次の日に、「機嫌よく歌を歌っている」などの記載がある。うつむき両手で顔を覆っている彼女の横で耳に口を寄せ歌い始めた。すると、相馬さんは顔を覆ったままで、しかし歌詞を間違えることなくきちんと歌っているではないか。

赤いリンゴに 唇寄せて

だまって見ている 青い空

リンゴは何にも いわないけれど

リンゴの気持ちは よくわかる

リンゴ可愛や 可愛いやリンゴ

そう、この歌が流行した頃はいつも腹を空かしていた。父は教育者で、食べ盛りの六人の子がいた。米どころの秋田に移住したのに、疎開者という事情で闇米が融通されない。しかも一日大人米二合一勺の配給は滞りがちだった。めぼしい衣類などを売り払った後、一家はヨモギ、大根の葉、ワラビなどを混ぜて配給米を食べていた。小学四年のクラスで、そんな貧しい弁当を持って行ったのは自分だけだった。米の不足を補うために、小麦粉やトウモロコシ粉を丸めたスイトンをしょっちゅう食べたが、腹さえ満たされればよかった。朝食はうすい粥だから、学校に出かける時にはすでに空腹だった。

冬も近いある朝、学校に出かける前に思わず弁当を食べてしまった。弁当なしでは恥ずかしい。学校への途中リンゴを一つ買い、新聞紙にくるんでおき、昼休みにはお腹が痛いという理由で机の上に置いておけばよい。皆は握り飯を持ってきたと思うだろうと、私は計算した。

私の見栄っ張り作戦は成功しなかった。空腹のあまりリンゴを食べてしまったのだ。級友の憫笑を買ったのは当然である。私の薄志弱行はその頃すでに現れていた。

ある朝、デイルームから病室に続く廊下への基部にあるナース・ステーション前で、私はほかの女性患者と話をしていた。この方はまだ六十代だが、おしゃべりで馴れ馴れしげなところがあり、自分はこの病棟に毎日、車でやって来るという妄想があった。周囲の患者さんたちはみな同じ町内からきている人たちで、とても親切にしてくれるのだった。「それでね先生、ついついここに泊まってしまったの、ごめんね」。その時、デイルームのテレビ前のソファに坐っていた相馬さんが立ち上がってこちらに歩いてくるのが目に留まった。気にせず話を聞いていると、相馬さんはわれわれのところまで来て、威嚇するような身振りで何かを叫び、そのまま病室の方に行ってしまった。私は呆気にとられた。彼女が活発に動くさまを初めて見たし、叫びがなんの感情表現か判らなかった。

それから何週間か経った朝、デイルームに行くと、ある古参のナースがCDで民謡をかけていた。患者さんたちは楽しげである。次の曲は秋田民謡ドンパン節だった。秋田出身でその春亡くなった義兄が得意としており、彼が少ししゃがれた声で歌うと、飄逸でいつも座が浮き立つのだった。私もつられて歌いながらそちらに近づいていくと、一人だけ、上半身をくねらせ、今にも立ち上がらんばかりに歌っている患者さんがいた。若々しく艶めかしかった。それが相馬さんだった。彼女はほとんど踊りに陶酔しているように見えた。

ドンドン パンパン ドンパンパン

ドンドン パンパン ドンパンパン

ドドパパ ドドパパ ドンパンパン

それ打て 前出る 後に引く

みんな輪になれ 揃ったら

ドンパン踊りを 始めるぞ

それ打て それ打て 大太鼓

その後、私の見かける彼女は、相変わらずじっとうつむいて坐っている。周りの人たちが愉快そうにしゃべっているのに、自分のコップを見つめるような姿勢を崩さない。

私はナースがあの魔法の曲ドンパン節をかけてくれるのを待っている。

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