不安のない生活(28)呼吸について(1)(ケセラセラvol.84)
医療法人 和楽会 理事長 貝谷 久宣
私は高校時代から大学まで10年近く剣道に励んだ。その経験は後年になってもいろいろな面で益になっていると思う。剣道をやっていなかったらひ弱な体質だったろうが、今日まで何とか大病もなく過ごしてこられた。稽古の前後に必ず行う正座瞑想は当時あまり気にもせずやっていたが、今やっている坐禅やマインドフルネスに心を向けてくれた基礎だと考える。高校の剣道部合宿で先輩が来て正座瞑想の仕方を教えてくれた。それは、“静かに鼻だけで息をしろ、息を出すときは鼻の先に旗をイメージし、それがパタパタの音を出さず静かにひらめかせて息を吐け、”ということであった。剣道の奥義は呼吸法にあることを示唆する稽古方法を聞いたことがある。それは小さいろうそくを鼻先にかかげその炎が揺らめかないように息をする練習である。正眼に構えた二人の剣士は鎬(しのぎ)を削りあいお互いに呼吸を見計らいながら打ち込む隙を探す。隙は相手が息を吸った瞬間である。その刹那に面を打ち込めば勝を取ることができる。息を吐きながら面を打つわけだから、勝負は息を吐くか吸うかで決まる。一本を取られないようにするには吐く息は長くし吸う息は短くすることである。そして相手の息を吸う瞬間を見届けることである。
一般に、呼気は陽、吸気は陰と言われている。赤ちゃんが生まれてくる時は”おぎゃー“と呼気で生まれ、人は亡くなる時に息を引き取る。人生はギブ・アンド・テイクである。吐く息が長いのは長生きの証拠である。医学的には、呼気の時には副交感神経が働き精神安定化作用に働き、吸気には脈は速くなり呼吸性不整脈が生理的にも生じる。何も知らない人がパニック発作を引き起こすと、空気が薄いといってアップアップと息を吸おうとする。それでは交感神経優位に傾き、心はますます不安定になっていく。私は、パニック発作を起こしている時には顔を両足の間に入れるように前屈させ息を止めさせる(努責)、その後上半身を持ち上げれば空気は自然に体内に入りこみ、苦しみから解放されパニック発作は消失する。
岩波古語辞典で「息」を引くと、“息と生キと同根とする言語は世界に例が少なくない。例えば、ラテン語spiritusは空気・息・生命、活力、魂、ギリシャ語anemosは空気、息、生命、ヘブライ語ruahは風、息、生命の語源の意。日本神話でも「息吹(いぶき)のさ霧」によって生まれ出る神神があるのは、息が生命を意味したからである。”とある。このように呼吸は、“息をする”ことであり、“生きる”ことであり、生命そのものをさすことになる。「呼吸」は英語ではrespirationである。spirationの原義はラテン語のspiritus 生命、霊、魂、精神である。reは繰り返しを意味するのでrespirationは常に新しいspiritusを体に入れるといった意味が根底にあると考えられる。また、「呼吸する」は独語ではatmenである。これはサンスクリット語のアートマンと同語源だという。平凡社の世界大百科事典では「アートマン」は、本来呼吸を意味したが、転じて生命本体としての生気、生命原理、霊魂、自己、自我の意味に用いられ、さらに、万物に内在する霊妙な力、宇宙の根本原理を意味するようになったとある。
筋ジストロフィーという病気は全身の筋肉が徐々に萎縮していくDNA病である。呼吸筋の萎縮が強くなってくると気管切開をしてそこにカニューレを入れ酸素を送り込まなければならない。そうなると寝たきりになり、その患者さんのQOLは著しく低下する。最近は気管切開をすることなしに鼻マスクを通じて酸素を送り込むという新しい医療がなされるようになった。気管切開を受け2年近く寝たきりであった50代のある患者さんは鼻マスクをつけるようになり車いすで活発に活動可能となり、新しいことに取り組むことができるようになって人生が一変した。私は鼻腔を通さず気管から直接肺に酸素を送り込むのではなく、鼻腔を使う鼻マスクには何か別の命を活発にさせる作用があると推定している。鼻粘膜にある嗅神経が受け取った匂いの刺激は、嗅球、前梨状皮質・扁桃体、視床内側核・無名質、眼窩前頭皮質にまで達する。すなわち、鼻腔からの刺激は生命の基本脳である辺縁系を刺激し、生命をインスパイア-していると私は考えている。白隠は自分のパニック症を直した内観法の中で鼻孔という言葉を使っているので、このようなことに気が付いていたかもしれない。
このように呼吸は我々が生きる原動力であること以上に精神的なそして霊的な意味合いも持っている。瞑想において呼吸が大きな役割を果たしていることに合点がいくのではないだろうか。