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病(やまい)と詩(うた)【44】ー恥ずかしがりやが生まれる歴史ー(ケセラセラ vol.90)

東京大学名誉教授 大井玄

 

8月初め、ヘルシンキでは日中の最高気温は20℃前後。暑さ寒さに弱い私にはセーターが必要だった。
10日余りの短い滞在だったが、認知症高齢者の施設、露店や書店や料理店、美術館、郵便局、バスさらに通行人などとのやり取りから、ある種日本人に似た雰囲気を感じた。
それは、アメリカはもちろん、英、独、仏などの国々では感じなかった優しい、内向で他者を気にする気質といって良いだろう。
日本人の気質は、狭く貧しい地域で他者と平和に生きる歴史を通じて形成された。フィンランドではどうだったのか。

フィンランド人の歴史は、近隣の強い他者に常に影響を受ける、懸命な生存努力の歴史であった。つまり、他者の意向を読まねばならず、同時に自分を護るという意識がつねに働いていた。
彼らの言語は、ハンガリー人や日本人と同様ウラル系起源をもつ。これは周囲のゲルマン語やスラヴ語との違いを意識させよう。
8世紀から11世紀にかけ、スウェーデン、ノルウェー、デンマークに国が作られたが、フィンランド人は国をつくることがなかった。
この国家的成熟の遅れや地理的関係から、他の北欧諸国とくにスウェーデンやロシアという大国の政治的文化的影響を強く受けることとなった。
今でも、フィンランドの友人は、「スウェーデンには600年間も支配された。スウェーデン人は冷たい」と言う。その口ぶりからは、彼らに対する微妙な敵意が読み取れる。
スウェーデンはロシア(ノヴゴロド公国)との何回かの争いの後、14世紀にフィンランドを属領とした。フィンランドは、その後もこの東西の二強国が繰り返し取ったり取られたりする抗争に翻弄される。スウェーデンによる支配は、19世紀に、今度はロシアに属領とされるまで続いた。
この過程でフィンランド人の地主、官僚、僧侶たちはスウェーデンに同化され、公用語としてスウェーデン語が使われる。フィンランド語文化は農民の間に伝えられた。スウェーデン人も多くフィンランドに移住し、スウェーデン系フィンランド人とよばれた。

17世紀後半、小氷河期が訪れ飢饉が発生し、1695年から二年間にフィンランド人10万人が死亡したという。
1807年、ロシア皇帝アレクサンドル一世は、ナポレオンの対英大陸封鎖令に参加する見返りとしてフィンランド領の獲得を承認させ、翌年スウェーデンに宣戦布告し(フィンランド戦争)フィンランド全域を占領し、その地域を立憲君主制の大公国とした。
内政はフィンランド人が担当し、公用語はスウェーデン語だったが後に待望のフィンランド語が追加された。フィンランド人は開明的な啓蒙君主アレクサンドル二世のもと「自由の時代」を謳歌し、その民族意識も固められていった。
ロシア側には、もちろん、スウェーデン語をロシア語で置き換える意図も働いていた。しかしフィンランド人には独立した民族としての意識が次第に強固になっていた。民族叙事詩カレワラは1835年出版された。「われわれはスウェーデン人には戻れない。しかしロシア人にもなれない。そうだフィンランド人で行こう」という台詞も人口に膾炙した。
アレクサンドル二世が暗殺された後、ニコライ二世は、19世紀末ロシア化政策をすすめ、フィンランド人の自治を禁止した。フィンランド語を禁止し、公用語としてロシア語が強要された。

20世紀に入り日露戦争終了後、第一次ロシア革命が起こり、フィンランドの自治が認められ、民主的に憲法を制定し、普通選挙法、女性参政権が実現し、議院内閣制に基づく政府が発足した。しかし第一次世界大戦前、ロシアはまたもや弾圧政策に転じ、政府を解散し、憲法を停止した。
1917年、ちょうど100年前、ロシア革命により帝政が倒されると、フィンランド人は独立を宣言した。しかし彼らは分裂し、ソビエト連邦への参加を求める労働者階級の赤軍と有産階級諸政党を基とする白軍による内戦となる。白軍は、知勇兼ねそなえたグスタフ・マンネルヘイムが指揮をとり、タンペレの決戦で勝利した。

第二次世界大戦ではソビエト連邦と二度にわたり戦い、破れ、領土を失い、賠償金を払わされた。戦争前、フィンランドはスウェーデンに援助を求めたが断られ、やむなくナチス・ドイツに接近したのだった。
大戦後、フィンランドはロシアの圧力によりアメリカの提供するマーシャル・プランをうけなかったが、中立国スウェーデンからの援助で復興が進み、1952年、ヘルシンキオリンピックの年に対ソ賠償を完済し、財政的な負担がなくなったため、急速に福祉国家建設が進んだ。
1991年のソビエト連邦崩壊により、フィンランドは、政治的自由を得たものの、最大の貿易国・経済的パートナーを失い、GDPは四割も減少し、経済的な便益を求めて1995年にEU(欧州連合)に加盟し現在に至っている。

 

フィンランドは、歴史的に、強大国のあいだの緩衝地帯として運命づけられていた。その社会に住む人は、日本人と同様、空気を読む必要に迫られる。その本人が自覚する感覚は、「気恥ずかしさ」であるように見える。
彼らの気恥ずかしさ、気まずさは、折々敏感に生ずる。たとえば(1)、

・直前に遭った隣人に、また遭う。

・空席を見つけたが、隣席の人にその人のせいで動いたと思われたくない。

・赤信号なのに誰かが道を渡りはじめ、「危ない」と叫べない。

・映画開映に間に合ったが、自分の席が満席の列の真ん中にある。

・満座で誉めそやされる。

・スピーチをする。

まことに、自分のことを言われているようで、微笑みに恥ずかしさがにじむ。

 

(1) Karolina Korhonen"Finnish Nightmares" Atena 2017

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