マインドフルネスの臨床効果と脳科学② すこし思いやりの気持ちが持てるようになりました(ケセラセラvol.93)
医療法人和楽会 理事長 貝谷 久宣
東京マインドフルネスセンターではヨーガの後に瞑想を25分しています。最後の5分は慈愛の瞑想(Loving-Kindness Meditation)です。慈愛と慈悲(Compassion)は少し意味が異なります。慈愛は、自分や他人が幸せになることを望む祈りです。慈愛はパーリ語でMettaと表現され、「無条件の親しみ」や「博愛」と訳されることもあります。自分や他人に対する善意を培う際に、私たちはいつでも慈愛を体験することが出来ます。一方、慈悲とは自分や他人が苦しみから解放されることを望むことです。苦しみに気が付いた時、それを願望や行動として和らげたいと思う時に、慈悲の心が生じます。実際には、慈悲の瞑想は慈愛の瞑想の一部であると考えている人もいます。
では、慈愛の瞑想はどのようにするのでしょうか。瞑想中に次のように心の中でつぶやきます:私が幸せでありますように! 私の悩み苦しみがなくなりますように! 自分に対する慈愛の瞑想が終わったら次には、自分に最も身近な人、親しい人、または好きな人に対して、その次には好きでも嫌いでもないその時にふっと顔が浮かんだ人に、その次に嫌いな人に、その次には生きとし生けるものに、最後にもう一度自分に対して行います。この時、嫌いな人を思い出すだけで心が乱れそうならパスします。
慈愛の瞑想中に参加者の様子を眺めていますと、皆さんの真剣な様子が伝わってきます。中には顔をしかめたり、涙を流す人もいます。慈愛の瞑想を真剣にすると瞑想がより深まります。
こんなエピソードがありました。ある女性は会社の上司が大嫌いで顔を合わせるだけでも全身に虫唾が走るような状態だったそうです。彼女は嫌いな人への慈愛の瞑想の対象にこの上司を選びました。はじめのうちは気分が悪くなりすぐやめてしまったそうですが、繰り返しているうちにこの嫌いな上司にしっかり慈愛の念を送ることができるようになりました。そして、通勤電車の中でもこの上司に慈愛の瞑想を行いました。3か月ぐらいたったある日、会社の玄関でこの上司に会いました。そうしたら自然に挨拶ができるようになったそうです。そして、また日が経つとこの上司に笑顔で対応できるようになったということです。
また、センターに熱心に通っているある男性は、電車に乗っていて老人が乗り込んで来た時無意識のうちに席を譲っていました。今までこんな行動はとったことがなかったのですと、シェアリングで語ってくれました。
自分に対して慈愛の瞑想ができない男性がいました。このような人はうつ病の中のうつ病です。自分なんか幸せになる価値がないと思い込んでしまっている、自責感の強い人です。こんな人でも半年もたつと少しずつ自分に対しても慈愛の気持ちを抱くことができるようになります。もちろんこの時になるとうつ病はかなり軽快してきています。現在、すっかり元気になられ、復職後も時間があるとマインドフルネスに来ています。瞑想は彼の日常生活の一部に完全に組み込まれています。
以前、東京マインドフルネスセンターのワークショップに参加したボストン大学のホフマン教授はうつ病に対する慈愛の瞑想効果について研究しました。彼はドイツ生まれのアメリカ人です。フランクフルトとボストンのうつ病患者に慈愛の瞑想を3か月間行いその前後の変化を調べました。図1のごとく陽性感情は増加し陰性感情は減少しました。勿論、うつ病の重篤度を示す点数も減少しました。
慈悲の瞑想を5年以上続けた人と瞑想を始めたばかりの人についてMRIで脳の体積変化を調べた研究があります。慈悲の瞑想にのみ特異的に出た変化は右角回の肥大でした(図2)。ここは共感性、不安および抑うつと関係する情動調節の役割を持つ部位とされています(Leungら,2013)。慈悲の瞑想中は熟達者ほどまた瞑想が深いほど島皮質の活性が高まることも明らかにされました(Lutzら,2008)。島皮質は脳の外側面の奥、側頭葉と頭頂葉下部を分ける外側溝の中に位置しています(図3)。島皮質前部には高等類人猿特有の紡錘形細胞があり、この神経細胞は自身の脈拍を感じたり、他者の痛みに共感する能力を持つといわれています(ウィキペディア)。島皮質は痛みに関係する最高中枢で、他人の痛みにも共感するといわれていますし、また、他者の心を類推し、理解する能力(心の理論)とも関係のある脳部位でもあります。
慈愛の瞑想で思いやりの心が育まれるとともに、自分の抑うつ気分が消失していきます。これは最近のポジティブ・サイコロジーの示すところでもあります。
文献
Hofmann SG etal. Evidence Based Complement Alternative Medicine(2015)
Leung MKら,Soc Cogn Affect Neurosci.(2013)
Lutz Aら,PLoS One.(2008)