物質が「くすり」になるまで 後篇
人類最初のベンゾジアゼピンを発見した人、レオ・スターンバック
1950年代は、向精神薬開発ブームの時代でした。アメリカでは抗不安薬としてメプロバメートが一世を風靡しました。そんな中で、ロッシュ社のアメリカ研究所でもメプロバメートを超える不安に効く新薬の開発に血眼になりました。そんな開発チームの中の一人にナチスの脅威から逃れてポーランドから移住してきていたユダヤ系の有機化学者レオ・スターンバックがいました。
棚からぼた餅
クロルジアゼポキサイドの発見
1950年代当時、ロッシュ社は抗うつ薬の新薬として開発したイソニアジドが起こす副作用のために世間の評判を落としていました。それを挽回するための画期的な抗不安薬を探すことが会社の至上命題でした。スターンバックは既存の物質の後追いではなく、まったくゼロから自作するというアプローチを取りました。新たに40種類以上の物質を合成してみたのです。しかし、どれも期待するような薬理作用を示しませんでした。その中の1つにメチルアミンを作用させたところ、水溶性の白色結晶末が得られました。実は、そこではスターンバックが予想もしない異常な化学反応が起こっていたのですが、スターンバックはそれに気づかず、690番目の化合物というラベルを貼り付けて、そのまま1年以上、棚晒しにしていました。
1957年、何も結果がでないことにしびれを切らした上司から抗不安薬の開発から撤退し、抗生物質の開発に転進するように命じられました。スターンバックはしばらく隠れて研究を続けていましたが、ついにやむをえず研究室を整理し始めました。そんなある日、彼の助手が棚から690番を再発見し、このまま捨てるかどうかスターンバックに尋ねました。スターンバックはダメ元で良いから、一度、動物での薬理試験にかけてみよう、それからでも捨てるのは遅くない、と考え動物実験の担当者に送ったのです。
その結果は驚くべきものでした。その化合物は当時抗不安薬としてベストセラーであったメプロバメートと同等の催眠・鎮静作用とそれ以上の筋弛緩作用を持っていました。そして改めて構造を調べてみたら、それまで合成した化合物とは全く異なるベンゼン環とジアゼピン環の2つがつながった新しい構造をもっていることが判明したのです。この690番がクロルジアゼポキサイド(日本での商品名コントール、バランス)です。
1960年に米国で売りに出されるとたちまち市場を席巻しました。それまでの抗不安薬よりも効果が確実で安全性も高かったのです。スターンバックはこの結果に満足せず、さらに改良品を作り続け、その1つがジアゼパム(日本での商品名、セルシン、ホリゾン)です。
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幸運は準備された心を好む
これはパスツールが残した名言です。スターンバックはもちろん運に恵まれました。しかしそれだけでは新発見はできません。上司の指示にも逆らって抗不安薬を探し続けるという執念と用意周到さがなければ690番はゴミ箱に入っていたでしょう。彼はいくつもの栄誉をうけましたが、それには目もくれず、ひたすら化学を愛し、それに打ち込んでいました。ロッシュ社退職後も、94歳まで顧問として研究室に通い続けたくらいです。優れた有機化学者というものはそういうものなのだろう、と思っています。