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山口瞳夫人の「パニック障害」、 そして「怒り発作」(ケセラセラvol.100)

医療法人和楽会 横浜クリニック 院長 山中 学

高倉健主演で映画化もされた『居酒屋兆治』で知られる山口瞳(といっても、映画化は昭和58年なので、40年近くも経ってしまっている…)の夫人はパニック障害であった。直木賞受賞作である『江分利満氏の優雅な生活』(昭和38年)に描かれている。『江分利満氏』は小説であり、山口瞳自身はサントリー(当時、寿屋)勤務であったところを、東西電機勤務としているなどの違いはあるが、大正15年生まれの主人公、妻と息子1人の3人家族で社宅住まい、というように自らの家族をモデルにしているのは間違いない。夫人の治子を「夏子」、息子の正介を「庄助」とするのも、その後の『男性自身』シリーズ(週刊新潮に31年間連載)にひきつがれている。

『江分利満氏の優雅な生活』には、「昭和26年6月19日、夏子は奇妙な発作を起した」とあり、以下のように描写されている。

やはり夜中の2時頃で、隣で本を読んでいる江分利に「ねえ、手を握って」と変なことをいう。「ネエ、手をニギッテよう」と2度目は怒ったような、ふりしぼったような声になっていた。江分利が本を見たまま、夏子の手を握ると、冷えて固く、ヒキツッタようになっていた。「ねえ、ちょっと足を見てよう、足が動かないの」足も重ねたままで硬直していた。「イキが……苦しいの」夏子は心臓がよわく、脚気の気味があり、階段の昇り降りがダルイと言っていた。発作は、手と足の異常にはじまり、次にオナカが痛いと言いだし、心臓がトテモ苦しいという順序だった。脚気は足からはじまって、だんだんうえへあがって心臓に来たらダメになると、江分利は小さいときからバクゼンと信じていた。「ネエ、クルシイ、死んじゃう、死んじゃう……死ぬかもしれない」夏子は、そのままの姿勢で動けず、硬直し、天井をニラミ、顔も痙攣し、言葉も困難になってきた。

「その後、半年間、同様の発作が、週に1度くらい起こった」とあり、テタニー、ヒステリー、心臓神経症、脚気などと診断されたとある。そして、「あれから、ざっと10年たった。どうやってアソコを切りぬけてきたか、江分利もよく憶えていない。夏子の発作は1週1度が、半月に1度、月に1度になり、いまでは、ともかく表面はなんともない。鎮静剤の服用と多少の動悸が残っているだけだ。しかし、まだ1人歩きはできない。」と書かれている。

「パニック障害」という病名が世に出たのは昭和55年であるから、当時は「神経症」と診断されたであろう。また、「鎮静剤」とあるのも、現在、用いられているベンゾジアゼピン系抗不安薬の中で最初に発売されたのが昭和36年のクロルジアゼポキシド(商品名、バランス、コントール)であるから、その前のメプロバネートなどであっただろうか。当然、SSRIなんてないし、昭和34年にイミプラミンがようやく発売さればかりのことである。認知行動療法もまだない。

長男の山口正介は、『ぼくの父はこうして死んだ-男性自身外伝』(平成8年)の中で、症状をまとめている。「母の症状は三段階に別れている。突然、手足が硬直するという発作。次に、発作が起こった場合、回りの人に迷惑をかけるから公の場所、特に電車やバスに乗れないという乗り物恐怖症。そして、最後が、一人になったり乗り物に乗らなければならないような状況を何としてでも避けようとするために起こすヒステリーのようなもの。」パニック発作が繰り返し起こり、予期不安が強くなり、広場恐怖を伴っていたと考えてよいであろう。こうして、『男性自身』や他のエッセイにも、妻は一人で外出できない、電車にも乗れない、家にも一人でいられないので取材旅行にも同行する、などと書かれている。

さらに、山口正介が母親の死後に書いた『江分利満家の崩壊』(平成24年)では、「今にして思えば、僕の半生はこの母の神経症との戦いの日々だった」とあり、どんな様子だったかが詳しく描かれている。

また、注目すべきは、「ヒステリーの発作」として描かれている、以下のような記述である。

たとえばそれは子どもの頃、僕が宿題をしない、というようなことからはじまり、次第にエスカレートする。パパもあたしも優秀だったのに、あんたはなんだ、となり、宿題もやらないで映画ばかり観ていると進む。映画なんか観るな、誰のお陰で観られるんだ。いつまでも甘やかさないわよ、となり、次第に悪口雑言が渦巻いて止まることがなく、最近あった不愉快なできごと、知り合いを誰彼かまわず悪しざまに罵り始める。もうそうなると僕の宿題などはどこかにいってしまうようだ。わめき続ける内容は、過去の出来事や、自分の生まれ育ちにまで至る。(中略)問題はこの手の発作が起こっている最中、自分が何を言ったか、何をしたか覚えていないことだ。そして、精神の荒波が去ってしまうと、平静で温和な母が戻ってくる。

これは、パニック障害に引き続いて起こる非定型うつの症状である「怒り発作」そのものであろう。

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