病(やまい)と 詩(うた)【27】ー恵みとしての認知症ー(ケセラセラvol.73)
東京大学名誉教授 大井 玄
人生の最後に訪れる認知能力低下は、われわれのもっとも恐れる状態だ。だが認知症の救いには、がんの痛みと恐怖がないことがある。高齢者医療にたずさわる医師の多くがこの現象を観察している。
都立松沢病院の認知症病棟でつい先日看取った八十代の女性は、大きな直腸がんがあり、じくじく出血があるための貧血と腸閉塞がいつ起こってもおかしくない状態だった。不思議なことには多少お腹が張った感じはあるものの痛みがないという。茸状に成長したがんに肛門から指で触れると、「痔がいたい」というぐらいだった。経口的に水分は入るので、輸血のような延命治療をせず、苦痛があればそれを除く方針で安らかに亡くなられた。奔放だったらしい若いころの話をしても、不安や恐怖を訴えられることがなかった。
社会医学徒は、観察している現象をその集団の中の数量として表現し、他の集団と比較するよう訓練されている。それが臨床一筋でやってきた医師と違う点だ。認知症でがんを患う人たちに「がん疼痛が無いように見える現象」は、認知能力低下の無いがん患者の集団と比較しなければならない。そこで初めて自分の観察する現象がそうであるのかどうかに自信が持てる。
松沢病院はその点うってつけだった。本来の精神科のみならず、内科、外科、整形外科など揃った地域の総合病院である。私たちは、ここに1993年から2004年にかけて、外科的治療を受けたがん患者すべての入院記録を調べた。認知症高齢者では言葉による意思疎通がおぼつかなくなっている場合もあり、そういう方を除外すると50人が調査対象になった。対照群の認知能力低下のないがん患者は84人だった。
素直に考えるなら、認知症高齢者のがんによる疼痛や不快の感じ方が鈍いとすれば、がんが見つかるきっかけは、他の病気を検査したときに偶然に見つかるか、吐血、下血といった見逃しえない徴候が現れたことによることが多くなるだろう。また、鎮痛剤やより強力な麻薬を必要とすることは少なくなるはずだ。
私たちの予想は的中した。(詳しくは論文1を読まれたい)がん発見の経緯は、非認知症の場合、63%は身体の違和感を覚えて医療評価を求めている。一方、認知症の場合はほとんど(92%)が貧血などの評価の際、偶然発見されるか、血便、嘔吐などの症状が現れてがんが見つかっていた。
痛みの訴えも、非認知症患者では76%に痛みがあった。認知症患者では22 %だったが、これにはベッドから落ちたり、がんには無関係な転倒骨折による疼痛も数えている。 非麻薬性鎮痛剤の使用では、非認知症患者が76%であるのに認知の場合12%と大差があった。麻薬の使用は、転移や隣接臓器浸潤などによりがんのステージが進むと、非認知症の人では41%が必要になるのに、認知症の患者では1例(2%)にとどまっている。
今度の調査では胃がんや食道がんなどの消化器がんが圧倒的に多かった。わが国のがん疫学の特徴である。
この文を書きながらずっと食道がんで逝った江国滋の闘病記「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」を思いだしていた。そこには、病の成り行きへの不安と怖れが溢れ出ており、医師の一言半句に対する敏感すぎる解釈があった。
疑心暗鬼 どこまで深き 五月闇梅雨冷えの 奈落の底の 底思ふ
目にぐさり 「転移」の二字や 夏さむし
脳科学が確認したように、私たちには、愛する人が苦痛に喘いでいるとそれを見るだけで自分も痛みを感ずるという能力がある。がんの痛みにも想像による痛みの強化という心理的メカニズムが働いているという。がん疼痛をことさら強く感ずるのは認知能力が保たれる代償であるのか。
これこそが 癌の痛みぞ 明易き 激痛の 波に夕凪 なかりしか
けふからは “モルヒネ患者” 寝苦しき
彼の死の前日、見舞いに訪れた親友の医師矢吹に、江国は筆談で苦しみを訴えている。
なんでもいいから らくにさせて 矢吹さん
はやくよろしく
主治医が点滴で新たな投薬の指示を出しているから、もうじき痛みも楽になると懸命に励ますと、江国は再びサインペンを動かす。
らくにしての らくのイミがちがう
私の診てきたがんで亡くなった認知症高齢者は、例外なく仏様のように穏やかに往生された。
痴呆仏 いこひ給ひし 蓮の上
露の世の がん苦除けよ 認知症
玄人
認知症は、終末期における適応の一様態と見なすことも可能である。
文献1)Iritani,S.etal.Impact of dementia on cancerdiscovery and pain PSYCHOGERIATRICS, 2011;11:6-7