病(やまい)と 詩(うた)【66】—終末期の感覚—(ケセラセラvol.112)
東京大学名誉教授 大井玄
ケセラセラも本号を最後に終刊することになりました。動物に寿命があるように、あらゆる営みに終りがあります。最終回は、人生の終末期に入ったと感ずる筆者の感想を紹介いたしましょう。
私として現象している、極微の宇宙もその輪郭が崩れつつあります。
広い意味の終末期とは、生きるために必要な体力、知力を失いつつあり、自分の最後が長く
ない先に来ているのを感じられるようになった時期、と言えるでしょう。
私の場合、その感覚は、八十代になって次第に強く感ずるようになりました。
体力や感覚器官の衰え
歩くこと一つをとっても、若いころはサッカーをやっていたこともあり速足でした。同じ方向に歩いている人たちをすいすいと追い越していくのは、愉快とは言わずとも、気分の良いものです。それが八十の坂に入ると、こちらよりも背の低い、若い女性に追い越されるようになります。それは当然の現象だと心得ていても、一抹の悲哀を感ずるのです。
さらに二十年近く前に脊柱管狭窄症になってから、歩行が不安定になり、よろよろ歩きになりました。踵から着地するのを実行しているので転ぶことはないが、よろよろはひどくなるばかりで、そのうちに歩くこともできなくなる可能性があります。
さらに感覚器官の衰えがあります。
視力の衰えは、比較的早く来ました。両眼の白内障が見つけられたのは六十代だったでしょうか。母が白内障と緑内障の双方を患い、晩年殆ど失明していたのを見ていたので、白内障の手術を受けるのも積極的でした。緑内障は精神的苦労が大きい人で進行が速いのですが、呑気な生活をしてきたお陰で、それを進行させる眼圧上昇はありません。
他方難聴は、私の経験する世界を狭めるうえで、はなはだしいものでした。
補聴器を使うものの、音が裂け歪んで聞こえるので、話の意味が通じない。テレビは勿論のこと、そばに居る人たちの話の内容が判らないのです。講演の質問はすべて紙に書いてもらう羽目になりました。
中枢性難聴の可能性も示唆されたが、その分野の専門家に診てもらうと、脳の聴覚野や伝導路は損なわれておらず、蝸牛の感覚細胞の衰えであるというありがたいご託宣でした。
知力の衰え
知力についても同様の衰えが起るのは当然です。
部屋で仕事をしている。そうだこの仕事にはあの道具が必要だと気づき、その道具を隣りの部屋に取りに行く。と、隣室に入るやいなや、何を取りに来たのを忘れている。こういう短期記憶の衰えは、中年期から多くの人が経験するものです。
人や物の名前を思いだすのに時間がかかるようになりました。そのうちに「あれ、それ」という老夫婦の会話になっていくのでしょう。
また自分の目が信用できなくなりました。必要なものが、あったと思うところになく、なかったと思うところに鎮座しておられる。
認知症になった友人も増えてきています。
その一人は、台湾出身の東大医学部での同級生。クラスでもトップを争う優秀な男でした。
彼は内科の医局に入ったが、教授と一緒に回診する際、教授の方も前もって準備をしていくほどでした。アメリカの名門医療機関メイヨ―・クリニックに移り、循環器内科専門医の資格を取りカルホルニアで開業していたが台湾に戻ります。大病院の副院長、医科大学教授、そして当時の台湾総督侍医となるほどの名医でした。
そんな男が何年か前、医学部クラス会に台湾から参加した時の挙動がおかしかった。前頭側頭葉型認知症にみられる、その場に全くそぐわない言動を、平然としてとるのでした。翌日、彼の泊まっているホテルに電話したら、奥さんが出て、彼はこの一年アリセプトを服用していると話してくれました。アリセプトは脳のコリンエステラーゼの働きを阻害し、記憶を一時的に回復させますが、脳の変性萎縮を止めるものではありません。
つまり、人生の終末期になると、知力、特に短期記憶、時間や場所の見当識をはじめ、日常生活に必要な知的能力が衰えるのは、普通の現象であるのです。
近くなってくる死
友人知人がつぎつぎと亡くなって行きます。
医学部の場合、その連中は成績の良い連中が多いのでした。
K君は整形外科に進み教授になります。私が坐禅の時に姿勢が曲がっていると注意されたのを相談に行ったら、レントゲン写真を撮り、脊柱が側弯しているのを示してくれた。まるで教科書の図にしてもよいほど見事な側弯でした。原因は、と尋ねると、それは判らないのだととの答え。医学部長までになったが、後に、車の事故で「閉じ込め症候群」になります。これは相手の言うことはわかるが、自分では発語や身振りなど一切できない不幸な状態です。どんなにか辛い想いをしたことでしょう。何年かそのような状態が続き亡くなった時は、友人たちはホッとしたものでした。
新型コロナウイルスは、ウイルスの生存戦略に沿って、毒性を低め、感染性を高めるように変異しているように見えるが、高齢者にはまだ恐ろしい感染症です。
昨年十月末、高校時代からの親友Tがコロナに感染したと知らせてきました。彼は水疱性類天疱瘡(bullous pemphigoid)という老人に多い良性皮膚疾患にかかり、長期間ステロイドを服用していました。ステロイドの長期服用は、身体の免疫抵抗力を低める。彼は日本医大の多摩永山病院に入院したが、コロナに加えサイトメガロウイルス肺炎をも併発しました。私が見舞ったとき、酸素吸入をしているにもかかわらず、血中酸素飽和度が73%(正常値95%以上)で喘いでいるのです。それでも話しかけてくれるのに、こちらは難聴で彼の言っていることがわからず、ただ頷くばかり。その日の夜、彼は永眠しました。別れるときに見せた彼の笑顔と、左の手首を立てて合図したの思い出すごとに、目頭が熱くなるのを感じます。
老年的超越
能力主義的価値観の持ち主なら、生存に必要な能力をつぎつぎに失っていく老年期や終末期を恐怖するのではないでしょうか。
歴史の若いアメリカでは、白人男性は、野心に燃え、競争をいとわないものが多かった。新大陸という、無限に広く感じられる開放系世界で富を求め、名声を求める。しかし今やアメリカも閉鎖系の限界を示しています。
アメリカ白人男性の老年期の自殺率は、女性や有色人種の男性に比べるとはるかに高い。現在アメリカ社会での五十歳以下の男性の主な死因のトップは殺人であり、次いで交通事故です。
それどころではない、New York Times紙のニコラス・クリストフによれば、アメリカ社会では、現在十日ごとに、「絶望に由来する死―麻薬、アルコール、自殺」による死者が、二十年にわたるアフガニスタンとイラクでの兵士の死者数をうわまわっています。
老年になっても、自己の置かれた環境と状態を受け入れる感覚が生じる場合はそうではない。筆者は看取り医としてその現象を観てきました。しかもその典型例は、自分自身です。それは、日常の何をするにせよ、「ありがたい」という感覚が生じるのです。起きる、食事をする、排便をする、話す、歩く、坐る、寝る、瞑想する、いずれの行為をする際にも「ありがたい」と感じます。
この感覚は、わたしだけではなく、多くの高齢者に存在するのが社会学的研究で明らかにされました。ノルウェイの社会学者ラーシュ・トーンスタムはそれを「老年的超越、gerotranscendence」と名づけました。
さらに凄い例があります。私の父の場合です。九十歳になってすぐ亡くなった彼は八十代末、脊柱をつぶし歩行が困難になり、大小便も失禁し寝たきりになります。長女が献身的に介護したが、だんだん呆けていくのは明らかでした。あるとき彼女が「お父様、今までの人生で一番幸せだったのは何時でした」と聞いたことがありました。じっと答えないので彼女は父親が質問を忘れてしまったのかと思ったとき、はっきりした声で「今」と答えたのでした。 了