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ポーランド・クラクフ旅行(ケセラセラvol.75)

2013年10月、ポーランドのクラクフに行ってきました。動機づけ面接トレーナーの世界ネットワーク(MINT)の年次大会があったからです。

クラクフに行く目的は、MINTだけではありません。ポーランドには複雑な歴史があります。今でこそ、人口の98%がポーランド語を話す、ほぼ単一民族の国家になっていますが、第二次大戦の前は多種多様な民族が住み、特にユダヤ人が多い国だったのです。その歴史を物語る代表の1つがアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所です。ポーランドを知らない人でも、アウシュヴィッツは聞いたことがあるでしょう。

アウシュヴィッツは、ナチスドイツが人種差別政策の“最終解決”として作り上げた強制収容所です。クラクフから車で2時間ほど離れたアウシュヴィッツに第一強制収容所、そこから15分程度のところのビルケナウに第二強制収容所があります。「ARBEITMACHTFREI」の看板は第一に、鉄道の線路を中央に引き込んだ監視塔が中央にある建物(映画などでよく出てきます)は、第二にあります。

この場所で何が行われたかはここには書きません。悲惨さそのものは残された建物よりも、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」など、その時その場を生きていた人たちの手記の方が説得力があります。私にとって印象的だったのは、悲惨さの記録よりも、ここにやって来る人たちと来ない人たちでした。イスラエルの学生たちが団体で来ていました。ガス室の跡、クレマトリウムの前で祈りを捧げているグループがいました。MINTの知り合いにもユダヤ人がいます。オランダに住むジンは祖父母の一人をこの収容所で亡くしました。彼女は「あそこには行きたくない」。アメリカに住むズッコフは行きました。彼も親戚を亡くしています。ポーランドに対して複雑な気持ちがあるようでした。ポーランドはナチスの被害を受けた一方、戦後、ユダヤ人がいない国に変わってしまいました。

ビルケナウの木造収容所施設の中を探索しながら、私はフランクルのことを考えていました。彼は、1942年この場所に入れられたとき、こう自分に言い聞かせたといいます。

お前はこれまで、人生には意味があると語ってきた。それはどんな状況でも失われないと言ってきたじゃないか。さあ、ヴィクトール。自分でそれを証明する番だ。

そこで唯一残された、生を意味あるものにする方法は、がんじがらめに制限されたなかでどのような態度で生きるか、どう覚悟するか、その一点だけにかかっていました。被収容者は自由に行動することも、何もせず寝て暮らすことからも締め出されています。しかし、自由や安逸自体には生きる意味はありません。およそ生きることそのものに意味があるとすれば苦しむことにも意味があるはずです。そして、苦しむことも生きることの一部なら、運命や死も生きることの一部なのでしょう。だから、苦悩と死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるとフランクルは主張します。

おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きて出られるか、という問いだった。生きて出られないのなら、ここでの苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きて出ることに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しない。

彼が言うには、人生には三つの価値があります。

1.創造価値・・・人生の中で自分が果たすべき何かを見つけて実現していくことに情熱を傾けること

2.体験価値・・・人生の中で人が経験した心を震わす体験。「あなたが経験したことはこの世のどんな力も奪えない」

3.態度価値・・・人はどんな状態に置かれても自分の態度を自分で決めることができる。この価値は最後まで失われない。どんな状況にあっても、人生には意味があるといえる最終的根拠。

彼の言うことは収容所に限りません。癌でも病でも同じことです。私は亡父のことも思い出します。広島の被爆経験のことを忘れもせず、悩みもせず、自分の経験の一つとしていました。収容所も原爆も非現実的なことになり、現代の私たちが経験できる“苦しみ”の量は親の世代よりも格段に減っています。楽に過ごせても良いはずです。しかし、減っているからこそ、生きる意味・人生の価値を見いだすことが難しくなっているように思います。もし私が、悩みの原因を自分に与えられた人生や“苦しみ”のせいにするならば、それはまるでソ連軍がやってきたとき収容所に火を付けドイツ軍兵士に変装して逃げ出したナチスのSS(親衛隊員)のようです。それよりは戦後に虐殺を証言し、アウシュヴィッツに戻り、そこで絞首刑にされた元所長のルドルフ・ヘスのようでありたい。

フランクルの言葉にこんなのがあります。

私が人生にまだ何を期待できるか?ではなく、人生が私に何を期待しているか?を問わなければならない。

自分の人生に対して私はどう答えれば良いのだろうか?そんなことを思いながら、クラクフでの10日間を過ごしていました。_

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