人の車に乗る・人を車に乗せる(ケセラセラvol.77)
医療法人和楽会 なごやメンタルクリニック院長 原井 宏明
家族が運転する車に乗るのが不安
診察している中で、こんな悩みを患者さんからお伺いすることがありました。
ある40代の女性の方です。一人暮らし。同じ市内にご両親がおられます。
ある夕方、母に頼まれて、いつも通っている内科の病院まで自分の車で送ってあげた。いつもはバスで通っているところだが、雨が降りそうなので娘の私に送って欲しい、という。初めて行くところだが、途中の道は走り慣れているところなので、気安く頼みを引き受けた。しかし、乗せてからが大変だった。「あぶない、ぶつかる、ブレーキ、信号、歩行者」といちいち大声で言ってくる。もともと気が細かい人だから仕方ない、15分ぐらいのことだから、と我慢していたが、とうとうある交差点に来たところで娘の私も切れた。「黙れ、おりろ、ここから歩いて行け!」。さすがに母もそこからは黙ったが、帰りはもう迎えに行かなかった。タクシーで帰ったみたい。母はいつも私を子ども扱いする。もう二度と母を乗せたくない。
今度は、別の50代の女性の方。夫と自分の両親、成人したお子さんたちと暮らしておられます。
この間、買い物に行くときに、20歳の次女の車に乗せてもらった。いつもは自分の車で行くところなのだけど、自分の車は車検中。娘の車に乗るのは初めてなのだけど、もう恐くて恐くて。交差点では左右を見ないで発進してしまうし、止まるときはブレーキを踏むのが一歩遅い。前の車に突っ込むんじゃないか、とずっとヒヤヒヤ。
助手席に座っている間、足は突っ張ったまま。両手でアシストグリップにしがみついていました。心臓に悪いので、もう二度と次女の車には乗りたくない。
お二人ともそれぞれ同情に値します。車の運転の仕方には性格があらわれます。ブレーキを踏むタイミング一つとってもそれぞれ微妙な差があります。他人が運転する車に乗るとき、その人の運転の仕方に慣れていないと、自分の運転の仕方との違いが気になるのでしょう。全くの赤の他人の運転なら、我慢して乗るのでしょうが、身内が運転する車となると、つい自分の気持を言葉に表したくなります。自分の思うように運転手を操作したくなります。そして、運転手の側から見れば、運転中にあれこれ横から口を出されることほど、運転のさまたげになるものはありません。
娘が運転する車に私が乗る
九州にいる私の娘は20歳、大学2年生です。母親と一緒に住んでいる自宅から大学まではJRとバスで1時間半かかります。自動車通学ならば半分以下の時間になります。夏休みの間に免許をとらせ、軽四を買ってやることにしました。娘によれば、母親が心配症で、事故を起こしたらいけないから、時間に余裕があるときはJRで行きなさい、天気予報が雨の日は車はダメ、といろいろ条件をつけられるそうです。実際に運転するのは学校の実習などで遅くなる週に1回だけぐらいとか。
私は年に数回、九州に帰るときがあります。娘に会うことも一つの目的です。そんなある日、娘の車を見せてもらうことにしました。ついでに、福岡空港まで娘の車で送ってもらうことにしました。
娘:お母さんが高速道路はダメだと言っているよ
私:まあ、そう言うだろうね。お母さんには下の道でゆっくり行ったことにしよう。道案内は私がするから大丈夫だよ。
さて実際に娘の車にのり、「高速道路に乗るのは、自動車学校での高速教習以来初めて」という娘を説き伏せ、インターチェンジに入り、九州高速道路と都市高速を使って空港まで向かうことにしました。私の方はと言えば、冒頭のお二人の患者さんの教訓が頭にあって、できるだけ余計な口を挟まないように、運転を誉めるようにと心がけていました。確かに高速道路では車間距離が空きすぎて、前に入られたり、上り坂でスピードが落ちてしまって後から煽られたりと、いろいろ気になるところがあります。ブレーキのタイミングも私の場合とは違います。でも、初心者としては及第の運転でした。ちゃんと左右の確認もしています。混雑した都市高速でタイミング良く車の流れを見て、車線変更し、的確に目的地のランプで降りるのはちょっと難しいことですが、これも無事にやってくれました。
さて私と娘が車に乗っているところを、携帯のカメラで自分撮りしました。宝物の写真です。これを、周りの50代のお父さん達に見せた日には、もう羨望のまなざしが痛くてたまりません。
一方、私自身は、今、思い出してもなんとも言えない不思議な気持ちになります。あの小さく可愛かった娘が、むずがっているとき私の運転する車に乗せれば笑ってくれた娘が、ベビーシートに固定されていた娘が、今は運転席でハンドルを握り、私は助手席に座っ
います。ああ、いつか、この娘が私を病院に連れて行ってくれたりする日が来るのだろう、とも想像していました。子どもが成長するのは早いものです。そして私の頭の中ではこの20年間を一瞬の出来事のようにして思い返すことができます。親娘の間で運転席と助手席を取り替える日が来たなんて。
私が運転する車に彼女が乗る
では35年前、私が20歳だったころはどうでしょう?私も20歳のときに免許を取りました。下宿から大学までは自転車で行ける距離なので親が車を買ってくれるはずもなく、実際にハンドルを握るのは実家に帰ったときぐらいでした。
3年生の夏、彼女ができて、夏休みをどう過ごすか考える必要ができました。若い男女が夏のデートをするなら、やっぱり海でしょう。海に行くなら、車でしょう。運良く、同級生が、私の恋に快く協力してくれて、彼の中古のサニーを貸してくれました。
女性と二人きりで長距離ドライブ、海!!
せっかくできた彼女、私も一生懸命。彼女は「車の運転の仕方にはその人の性格が出るからね。あなたがどんな運転するのか、楽しみ」と言ってくれていました。当時の車ですからマニュアルミッションです。クラッチミートに失敗してエンストなんて恥ずかしいことだけはしないように1週間前から運転を練習していました。バッテリー上がりでエンジンがかからないなんてことにならないようにとブースターケーブルもばっちり準備していました。(当時の車と今の車は信頼性の点では別モノです。)
長い1日が終わり、岐阜に帰り着く頃、彼女に聞いてみました。
私:ところで、どう?私の性格は?
彼女:運転が下手過ぎだったから、わからんかった。
父の車を私が運転する
実家に帰って、父の車を運転した時はどうだったのでしょう。一番最初が大変でした。実家の駐車場は坂道の途中にあります。バックで坂を上りながら駐車場に入れるのですが、オートマ車でもアクセルを踏まなければ、前方にズルズル下がってしまいます。マニュアル車は大変。サイドブレーキと半クラッチを使っての坂道発進と後方確認を同時に行わなければなりません。
私は見事に父の車のフェンダーを凹ませてしまいました。でも、父は怒りませんでした。
「中古のスタンザだから、いいよ。それより最初に車を止めたところがちょっと違う」
もう一度、やり直しをさせてくれました。
娘の意見
この原稿を書いた後、娘にチェックしてもらいました。
修正点:家から大学までは1時間半ではない。2時間かかるぞ。
感想:お母さんの運転への口出しはまだマシな方なのか、と思った。
娘はこんなことをメールで送ってきてくれるようになりました。子どもの成長はまぶしいものです。そして私も〝良い乗客〟になることを心がけなくてはいけませんね。