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20代のときの上司と50代になってから対談すること(ケセラセラvol.80)

医療法人 和楽会 なごやメンタルクリニック 院長 原井 宏明

あなたの人生にもっとも影響を与えた人は誰?

自分の一生を振り返り、人生に最も大きな影響を与えた人の名前を一人挙げなさいと言われたら、
あなたは誰を挙げるでしょうか?今、学生をしておられるならば教師?子育て中の主婦ならばママ友?会社員ならばやはり上司になるでしょうか?
研修医を終えた後、私が最初に就職した病院は佐賀県吉野ヶ里町にある国立肥前療養所でした。統合失調症の治療を専門に学ぶつもりで行ったその病院で、チャキチャキしたいかにも博多っ子という感じの40代の女医さんに会いました。ちょうどそのとき、オーストラリアの大学から二人の作業療法士が研修に来ていて、英語のできる私に通訳をしてくれないかと頼んでこられたのです。それが山上敏子先生との最初の出会いでした。そして、この出会いがなければ私が強迫性障害と認知行動療法を専門にすることはなく、なごやメンタルクリニックに来ることもなかったでしょう。


人生にもっとも影響を与えた人は?と今の私が聞かれたら、迷わず「山上先生」と答えます。社会人になってから11年間従った相手、結婚届へのサインもしてくれた上司となれば当然でしょう。しかし、私が熊本に異動し、なごやメンタルクリニックに移りなどして距離が離れていきました。この10年、山上先生は学会などに顔を出さなくなりました。FacebookなどのSNSはもちろん、電子メールも一切使わない方です。この何年かは年賀状をやりとりするだけの間柄になっていました。疎遠になった理由は距離だけではありません。強迫性障害に対する行動療法のやり方について意見の相違がありました。直接表だって言われることはありませんが、影でこんなことを言われているよ、と親切に教えてくれる知り合いもいました。
私の行動療法の「師匠」と呼ぶべき、そんな元上司と、大勢の医師や心理士などの前で対談する機会が2015年2月にありました。山上先生と私の双方をよく知る東京大学心理学の下山先生が企画された「山上敏子の行動療法カンファレンス」の出版記念講演会におけるゲストとして招待されたのです。

 

「原井クン、アンタはホントに変わってたから」
私に与えられた課題は山上先生とお喋りすることでした。当然、話題は私が山上先生の下で働きだした30年前のことに遡ります。「原井クン、アンタはホントに変わってたから」が最初でした。山上先生にはよく怒られました、ある患者さんの治療のことではこんなことを言われました、などと私が応じます。「そりゃそうよ、原井クンは常識がないんだから」。いや、その患者さん、その後元気に復職し、もうすぐ定年。30年近くたった今でもお歳暮をくれたりしますよ。「それも病気じゃない?」。まあ、そうとも言えますね。「原井クンが担当していた患者さんを途中でアタシが取り上げたこともあったね」。はい、ごめんなさい。あれは私が患者さんに『治るのを諦めろ』みたいなことを言ってしまいました。今ならもうちょっと賢くやれます。
とても不思議な感覚でした。この年になってまだ怒られているのですが、「原井クン」となんども呼ばれるうちに、自分が20代に若返っていく気がしました。最近はしなくなったあれこれ理屈をつけて生意気に言い返すことをするようになりました。山上先生も生意気な若者を「生兵法は怪我のもと」「アンタにそれは10年早い」とやっつけていたころのことを思いだし、元気になっていかれるようでした。私は怒られることが嬉しくなりました。

山上先生とは衝突もありました。熊本への異動は私が自分で決めたことです。正直、山上先生の下にいた最後の2、3年間、成長を阻まれているような感じがしていて、山上先生の研究室から逃げ出したくなっていたのでした。弟子の家出みたいなものです。そのまま20年近くがたってしまいました。感謝を伝えるチャンスもないまま。

1時間の対談の最後、私もしみじみと振り返ります。こうやって大勢の前で日本における行動療法のパイオニアである山上先生を、現在の行動療法を代表するものの一人として私が対談しています。そんな名誉が私に与えられたのも、いま、こうして私があるのも、30年前に山上先生に通訳を頼まれたことがそもそものきっかけなのでした。
山上先生、本当にありがとうございます。
弟子が講師の研修会に師匠が座っている
実は、その半年前にも山上先生と再会しています。富山で行われた認知・行動療法学会でのワークショップの会場です。私は「動機づけ面接」講座の講師でした。山上先生は長らく学会には顔を出しておられません。富山は福岡から遠いです。そして、その研修生の席に山上先生が座っておられました。私が先生で山上先生が生徒?「後に座っているんだから、アタシにあてちゃーいかんよ。そしたら、すぐ逃げるけんね」が山上先生の指示でした。ちらちら山上先生の方を見ながら、私は緊張しまくっていました。年甲斐もなく。終わった後、山上先生から葉書をいただきました。

あなたの講演を聞いて、私は本当に嬉しかったです。穏やかで、ていねいで、素直で、わかりやすかったです。
それに何よりも、私が永く気にしていて、まだ少しあった、ごまかし用のつじつまあわせの論旨が、なくなっていたことです。それが一番嬉しかったです。指導者として、がんばって、臨床を続けてくださいね。

今、この葉書を目の前にして、2月の再会のことも思い出しつつ書いています。目頭が熱くなります。疎遠になっている間も山上先生は私のことを気にかけておられたのです。山上先生に会えて本当に良かった。一度は疎遠になった20代の時の上司に、50代と70代になってから再会し、励ましていただける、これを人生の幸運と言わなければ私は何を幸運と言えばいいのでしょうか?

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