遊ぶ(1)(ケセラセラvol.81)
医療法人 和楽会 なごやメンタルクリニック 院長 原井 宏明
人とは何か?
自我が芽生える思春期以降に、たいていの人がこんな疑問をもったことがあるでしょう。「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」ゴーギャンはこんなタイトルの絵を描いた後、自殺を図ります(未遂に終わりました)。哲学者や宗教者はかならずと言って良いほどこの話題を取り上げます。人間性心理学のマズローや個人心理学のアドラーのように答えはこうだ!と教えてくれている学者もいます。
中には、こんな風に答えた人も。
人間は、言葉の十分な意味において人間であるときにのみ、遊ぶ。また、人間は、遊ぶときのみ、完全に人間なのだ。
(フリードリッヒ・シラー、「人間の美的教育について」)
人とは何かを四角四面に考えることが問題なのかもしれません。人の本質は真面目さではない、遊びだ!と言い出した人がいます。オランダの歴史学者、ヨハン・ホイジンガです。彼は「ホモ・ルーデンス」“遊ぶ人”というタイトルの本を出し、その主張は、遊びによって全ての人間行動が説明できるとする「遊び一元論」です。遊びとは、あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為や活動です。それは本人が自発的に受け入れた規則に従っていて、その規則はいったん受け入れられた以上は、絶対的拘束力をもっています。遊びの目的は行為そのもののなかにあり、何かの他の目的を達成するための手段ではありません。遊びには緊張と歓びの感情を伴っていて、「日常生活」とは「別のもの」として意識されています。
あなたは最近、遊んでいますか?
言葉でも遊べる
子どもは遊びが仕事です。
言葉を覚えたばかりの子どもは「マンマ」など最初は要求を伝えるために言葉を使いますが、そのうちに言葉で遊びはじめます。2歳ぐらいの子どもに「これは、ウンコよ」と教えたら、まったく無関係の場所で「ウンコ」「ウンコ」と言い出すようになり、親や周りが当惑するような場面を経験した方は多いでしょう。周りが困った顔をするのが面白くて、子どもが覚えたばかりの言葉を使って大人を振り回します。
ロシアの子どもたちはこんな歌をうたって遊ぶそうです。
カエルがお空を飛んでった
サカナが漁師のお膝に座ってた
ネズミが猫を捕まえて
ネズミトリの中に閉じ込めた
オクシモロン
こうした遊びにもレッキとした名前があります。「カエルがお空を飛んでった」のように明らかに矛盾する言葉を組み合わせることを撞着語法、オクシモロンと呼びます。
盲(めし)いた山猫、目隠しした百眼巨人(アルゴス)
乳を吸う老人と、年老いた幼児
教養ある文盲、甲冑を鎧(よろ)う裸人
無言の話し手、富める乞食
幸福な迷夢、望んだ苦痛
思い遣りのある友の恐ろしい傷
武人の平和と嵐すさぶ不安
かかるものを心に感じつつも、魂は理解しない
わざと演じた物狂い、愉快な悪意
(ホッケ 『迷宮としての世界』)
他の言葉遊び
有名なものには回文があります。「新聞紙」「竹藪焼けた」のように上から読んでも下から読んでも同じ言葉になるものです。
保安院全員アホ
神主も死ぬんか?
セクハラは癖
根暗は楽ね
禁煙延期
回文を作るコツがあります。最初に、思いついた単語をとりあえずひっくり返してみましょう。たとえば「新幹線」をひっくりかえすと、「んせんかんし」。これに一つ文字を加えてみて意味のある単語になるかどうか考えてみます。あいうえお…、えを加えると「沿線監視」になります。「新幹線沿線監視」とできあがりです。「トマト」のように単語一つで回文になっているものを見つけて、それらを組み合わせるという手もあります。
ぜひトライしてみてください。